だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

寂しさは鳴る/6/18~29よもやま。

とうとう梅雨が来てしまった。左耳が憂鬱に鳴っている。それでも毎朝5分ストレッチするだけで、ずいぶん心持ちが楽だし、毎朝NHKしか見なくなってからかなりストレス減った。ただし「なつぞら」を見ながらむせび泣いてメイクするので顔はボロボロ。

0618
ゴールドフィンガー'99が後輩に伝わらなくて、令和時代の到来を実感した。
「凪のお暇」を読み始める。

ライフハック術がふんだんに挟み込まれるのは最近の流行り? 2巻時点では、共感とか知恵を得る以前に、我聞への殺意しか湧いてこなくてどうしよう。

 

0619
気になっていた「バニシング」を観に行く。

オランダからフランス旅行にきたレックスの彼女 サスキアの失踪を描いた1988年オランダのサスペンス映画。ミステリーかと思いきや、犯人は早々に断定されて、犯人サイドへと視点が移る。犯人は、典型的な「良いパパ」の大学教授、レイモン。興味関心に歯止めがかけられず殺人をも厭わない、いわゆるサイコパス的人物なわけだけど、その片鱗は誰にも見せない。むしろ緻密にシミュレーションを重ねる割に、いざとなると獲物の女性を上手く車に誘い込めないレイモンはあまりに人間臭く、可愛げすら感じる。計画がうまく運ばない中で、偶然がいくつも重なってひょんなことから餌食になったのがサスキア。レイモンが妻や娘たちから誕生日プレゼントにもらった品々たちがこの偶然をサポートしているという皮肉に背筋が凍る。
サスキアが冒頭で語る「永遠に真っ暗な宇宙を彷徨う金の卵の夢」のイメージはあらゆるところに隠れてる。トンネルのあちら側の丸く切り取られた光、対向車のヘッドライト、木の根っこに埋めた金貨、親指が破けた靴下、そして、二人が人生を終えることになる棺桶の暗示で集結するかと思いきや、レックスとサスキアの写真が載った新聞記事の楕円形まで、本当に最後の最後まで、あまりに綺麗に繋がる。閉所恐怖症のレイモンが考えうる最もおぞましい死が、一片の「金の卵」の物語に収れんしてしまう怖さ。考えれば考えるほど、ぞっとする…。
 
0620
無理やりの休み。家の中に引きこもって、総歩数100歩ぐらい。放送時間が変わってしまってから滅多に見れなくなった「サラメシ」の再放送をやっていて、いたく感動する。南極料理人昭和基地で生活するメンバーの食事のため、30トンあまりの備蓄食料(途中で補充はされない!)を1年8ヶ月、1日の休みもなく調理していく。そもそもの話、南極にこんなに技術者が集結してるなんて、知らなかった。まずはその特異な環境や生活への驚きと、南極料理人のずば抜けた計画性、献立力に脱帽。しかも、全て冷凍、冷蔵の食べ物とはいえ、食卓を見る限りメニューも豊富、彩りも鮮やかで、我慢してる感0。ふつうにめちゃくちゃ美味しそう。
専門の垣根を超えた共同生活も、南極料理人としての働きっぷりを映像で初めて見て「天職だね」と微笑む家族の姿も全部、心に沁みた。この神回見るためだけでも、休んでよかった。
 
0621
前の日トンカツだったのに、わんぱくランチの誘惑に抗えなかった。お肉屋さんのハンバーグ。肉汁じゅわっと、おいしい。

 

0622
休み。やっと「ゴジラ キングオブモンスターズ」を観に行った。日本版ゴジラシリーズ(昭和~平成)のパーツの寄せ集めみたいな感じ。膨大なタスクをこなそうと、終始慌ただしくドンパチやっていて、今どこで何が行われているのか全くわからず、ひたすら混沌。パニック映画としてはある意味正しいのかもしれない。2014年版の続編という位置づけで、前回のゴジラ襲撃によって息子を失った母親が、不条理な死を何とか受け入れようと(この間見た「獣の柱」のように)、人間たちが自然破壊や戦争を止めない世界に、調和をもたらすのがゴジラたち怪獣という考えに至り、研究施設で保護している怪獣たちを、兵器使用とか人間たちに良きように使用される前に解き放とうとするんだけど、自分たちはギリ逃げつつ、他の市民たちをめちゃくちゃ巻き添えにしながら解き放っていくので、いや、それがもろに兵器使用やねん!と思って、前半は死んだ目で見ていた。しかも、こちとら最終兵器的に考えてるオキシジェンデストロイヤーが「今そっちに向けて撃ったから逃げた方がええで」な事後報告扱いで発射されたり、危険なエリアにわざわざみんなで突入していったりと、計画性が皆無。

伊福部さんの音楽を要所要所で使ってくれているのは嬉しいのですが、日本へのサービス精神があふれ過ぎたのか、ソイヤ!ソイヤ!感が強かったり、まさかのモスラの歌まであって、インファント島とか小美人の設定がないまま、いきなりどんどこどこどこ太鼓が鳴り始めるので、さすがに映像とのギャップ!ってなった。他にも、海底の古代神殿に描かれたゴジラの壁画に思いっきり「ゴジラ」ってカタカナで書いてあったのも笑えた。

事前情報を入れずに日本語吹き替えで見てみたら、主人公のおっちゃんの声が明らかに顔とあっていなくて、全く喋る内容が頭に入ってこない。もしや…と思ったら、田中圭でした。いやいやいや…演技力とか以前に、せめてビジュアルにあった声の持ち主にオファーしてくれや…。

逆に、良かったのは、大好きな「地球最大の決戦」と同じく、キングギドラモスララドンが集結していたこと。「地球最大の決戦」はタイトルのスケール感の割にとある山上でしれっと決着がつくので、彼らが本気で戦うとこうなるのか…と納得。地味キャラだったはずのラドンがやたらカッコよかったのもよかった。が、「地球最大の決戦」のゴジラモスラ(幼虫)、ラドンが結託してキングギドラをやっつけるという図式が好きで、ラドンモスラを背中に乗っけて攻撃を仕掛けるのはおもちゃでも何度も真似したくらい最高のシチュエーションなのですが、あろうことか、ラドンキングギドラ側について、モスラを攻撃するので、なんでやねん…!(混乱)ってなった。半面、モスラは安定の役回り(生命、死、祈り、鎮魂に結び付く)で、あまりにもモスラらしすぎて泣いた。渡辺謙演じる芹沢博士が1954年「ゴジラ」の芹沢博士のシチュエーションをなぞりながら死んでいく時の日本語の台詞「さらば友よ」も良かった。これは日本人しか言えない台詞ですね…。

人間が怪獣を制御/駆逐しようとする→技術・戦闘能力的に可能なのか→いや、そもそも制御していい存在なのか っていう怪獣との関係性の揺らぎも、各地の神話に怪獣が登場する(過去から共生してきた)のも日本のシリーズで何度も出てきた設定で、それ自体はすごく好き系だったのですが、キングギドラを倒したゴジラが最終的に「ライオンキング」的に他の怪獣たちに傅かれるっていうのには解釈違いを起こした。しかもさっきまで敵だったラドンが寝返っている。確かにゴジラは怪獣の「王」であり「神」ではあるけど、そういう単純なヒエラルキー上の話ではないと思うんだけどな。わざわざ各地の神話と結びつけながらでもそう収まるのが不思議に思えた。ともあれツッコミどころも含めて見てよかった。ゴジラ愛がたぎった。

 

0623
「切られの与三」を観た。
コクーン版「切られ与三郎」。そもそも通しで掛かる機会がなく、ほぼあらすじすら知らなかったので、えげつなく人殺すやん…とか、お富何者やねん…怖いわ…とか、そもそものストーリーに驚き。
これまでのコクーン作品と比べると、中盤まで断片的なシーンの連続で小品なものの、勘九郎芝翫もいない中での七之助主演作品としてはぴったりだと思った。前半は落語の語りを重層的に取り入れたり、音楽でぶつ切り感を緩和しながら、物語の不出来さを逆手に取った、現実感のなさ、悪夢の只中にいるような気味悪さが露呈してくる後半へと橋渡していた。
野田秀樹三谷幸喜の歌舞伎作品を見てしっくりこなかったのは音楽。コクーン歌舞伎では串田さんが毎回違ったアプローチを試みてて(クラシック、椎名林檎、ラップまで)、今回はジャズ。前半の与三郎とお富のラブストーリーはめちゃくちゃポップに、後半はそこに疾走感あるリズムを足しこみながら、感覚としてはライトにふわふわと夢心地でいさせてくれる。これがまるでミュージカルで、ファンタジック。与三郎とお富が見つめ合えばいい感じの曲が鳴り始めて、今にもデュエットが始まりそう。(実際中盤でみんな歌い出すし、踊りや場面転換もミュージカル風だったりする)最初こそ違和感のあったものの、この音楽がだんだん馴染み、後を引いた。
コクーン歌舞伎は、古典歌舞伎を演劇として捉え直す企画。大きなうねり、力を持った狂言を二巡、三巡するうち、「天日坊」からはより今的な感覚が強まった。与三郎の生き様は「天日坊」のアイデンティティ探しと共通しつつも、勘九郎のエネルギーや強い求心力をもって突き抜けていく「俺は誰だぁ!?」のストレートな叫びと違って、現実を真正面から捉えるにはあまりに柔すぎて、夢うつつの遠近が定まらない。傷を引き受けた後もひたすら駆けていく(生死も夢か現かもわからない)のが、あぁ…なんかめちゃくちゃ「真夜中の弥次さん喜多さん」やん…!と思って、胸熱。こういうのは七之助の十八番なんですよね…!(興奮)
そして、もうひとつ。今回、元々の物語がちゃんと書けてないせいだと思うんですが、お富の存在がかなり怖い。与三郎が坂を転げ落ちていく一方で、お富は身をもち崩すことなく今まで通り難なく暮らしている。男性に「取り憑き」、姿も生活もまるで変わらず現実感の薄いお富は、ある種の「幽霊」なのかもしれない。だから、ひたすら駆け抜けていく、与三郎の足を羨む。

一方で、与三郎からすると醒めない悪夢の只中に放り込まれたよう。本来の「切られ与三郎」では薬と条件付きの生き血を飲んで与三郎の傷は全快、お家再興という歌舞伎らしい大団円を迎えるらしいけど、そこはコクーン。「全てをなかったことになんて出来るのか」と自問自答し、薬を投げ捨てて、傷だらけのまま、ひとり疾走していく。生きることを受け入れる、誰かに付けた傷も自分の傷跡も、痛みも、生の痕跡、爪跡も全て引き受ける。「西洋骨董洋菓子店」の千影の台詞を思い出した。「あなたと何も無くはなかったですよね…。」

「なかったことにする」=リセットすると簡単に言えど、「しがねぇ恋の情けが仇」なわけで、不幸を消せばその「恋の情け」も、これまでの人生すら、まるまま否定してしまうことになる。生きていさえすれば、傷口をかさぶたがふさぎ、やがて新しい皮膜が覆い、癒えていく。我々みんな、傷だらけの与三郎なんだな。
ヘルタースケルター」で、りりこと都市の「皮膚」がリンクしてたように(どちらも人々の欲望のまま変貌をやめない)、与三郎の傷と背景の現代的な工事風景が繋がっている気がした。膨大な「与三郎」たちの営みや災いの痕跡が地層のように積み重なり続けて(0にリセットできないまま)、今ここがある。そして、これからもずっとずっと果てなく続いていく、生き続ける皮膜がこの世界なんだなー。


あぁ…コクーン歌舞伎って本当にいい企画だな…。伝統芸能だからこそ、芸や狂言を継承する一方で、時代に応じて捉え直しをして今に再接続する作業が大事。歌舞伎の振り幅は年々大きくなっているけど、そもそも芯をつかみいく企画はなかなかないんですよね。コクーン歌舞伎には、「四谷怪談」で衝撃を受けてから、今までずっと心を打たれ続け、ときめき続けてる…。

 
0624
母が「魏志倭人伝」観に行ってくるわ!と出かけていった。多分、「壬生義士伝」。
 
0625〜0628
仕事。匍匐前進レベルのスピードでしか物事が進まないけど、クラッシュを免れているだけまだマシか。ゲンロンと美術手帖が面白い。

 

0629

東京03 FROLIC A HOLIC「何が格好いいのか、まだ分からない。」を見終わる。豪華ゲスト、生バンド付で、コントと演劇を自由に行き来するパフォーマンス。かなり尻すぼみ気味ではあったけど、面白かったー。

マリー・アントワネット」を見る。 

 もう10年以上前の作品なのに、衣裳や美術の異常な可愛さで女性人気が滅茶苦茶高いガールズシネマ。ビジュアル中心に語られがちな映画だけど、歴史ドラマとしてではなく(王宮の外の世界は一切写らない)、一人の女性の生き方として描かれていて、苦しかった。いつかの失言「女は子供を産む機械」そのままに、異国の地の王妃になり、世継ぎを「産む」こと(産めば終わりで育児は乳母の仕事)しか存在意義を与えられないアントワネットの虚しさ。悲しいかな、多くの男性には届かないだろうこの感覚。アントワネットもエリザベートも、あれだけの地位を持ってですら、ただ、自分の人生を生きていく(私は私だけのもの)ことがままらなかった。アントワネットは革命によって状況が一変する中で「最後まで国王と共に」という存在意義を自分で選び取るわけだけど…。

ところで、「1789」のアントワネットもこの映画のイメージが少なからず含まれてると思ってるのですが、このポップなガールズ文化と結びついたアントワネットのイメージって、この映画以前にもあったんだろうか。

マジシャンの憂鬱 5/13~6/17よもやま。

0513~0516
仕事。なんかバタバタしていた。翌週豊島に行こうとしてたが、諦める。

0517

『笑う男』を観る。

kotobanomado.hatenablog.com

0518

のんべんだらりと過ごす。

0519

「悲劇喜劇」を読む。

お目当ての「消えていくなら朝」、赤裸々だった…。劇評も面白くて、ルーシー・カークウッド(『チルドレン』『チャイメリカ』)に興味が湧く。次公演があれば絶対観る。熱く語られていた「Le Pere」、撮れているはずだから観てみよう。

ポランスキー の「テナント」をWOWOWで。

ローズマリーの赤ちゃん」風のサイコホラーかと思いきや、今的な不寛容と相互監視の物語で、震えた。昨今の除夜の鐘や幼稚園の騒音問題のように、やっぱり不寛容ってまずは音に繋がってくるんだな。たかが騒音問題、されど騒音問題。自分に関わりのないことは、その事情や意義を汲むこともなく、全て「ノイズ」認定って、実はめちゃくちゃ怖いことだと思う。映画評論家の町山さんの解説いわく、ユダヤ系のポランスキーの実体験を元にしてるとか。なおさら怖いのでは。ところで、主人公が関テレの豊田アナに激似なの、誰かと分かち合いたい。

0520

仕事。「藪の中」読了。短かった…。

地獄変」が気味悪く、「杜子春」が懐かしすぎた。

0521

仕事。担当案件の恐ろしい噂ばかりが毎日増えていく。

0522

仕事。「一億総ツッコミ時代」読了。

自戒の念…。メタではなくベタに生きよう、は、30代の目標にしたい。主語である自分を取り戻すというのか。4月よもやまのツッコミ気取りがひどい。学生時代に書いてたブログはもっと自分の熱中目線で話してた。思えば、自分自身が心惹かれるブログもそうなわけで。必要なのは、ジャッジではなくて、自分の人生に引き込んで、人生のエリアを広げていくこと。

0523

マリコ、うまくいくよ」読了。

女性が働き、キャリアを重ねていく中で直面する色んな出来事が、世代の違う3人のマリコを中心に描かれる。どれも何気ないシチュエーションや些細な心の声に見えて、「一億総ツッコミ時代」同様、名付けえぬもやもやを掬い上げ、鋭く本質をついてくれる。初の女性管理職を陰ながら後押しする、マリコたちの鍛え抜かれたコミュニケーション術。劇的に境遇が変わるわけでもないし、部長のハラスメントを根本から正せたわけではないけど、ピンチを賢く切り抜いていく。したたかな力強さとほんの少しの悲哀を纏った、同志たちの物語だった。

0524

仕事。

0525

夜中に山村紅葉が突然やってきて、猛獣たちを従えながら、庭の植木に肥料散布するというものすごい悪夢を見た。怖い。

「非色」をぐんぐん読んでしまった。

かなり露骨な人種差別の話。差別用語も頻発しまくるので、そりゃあ絶版状態なはずやわ。日本での肌の色の差別問題から始まり、アメリカに舞台を移ると、肌の色は単なる1つの要素にしかすぎず、歴史的、社会的背景を持ったより複雑な、人種差別のグラデーションに掘り進められる。結局は、誰もが自尊心や優越感を保つために、自分「以下の」存在を個単位でも国や民族単位でも作り出したいだけ。差別、抑圧される側も、平等を望みながら、さらにその下の階層への差別へと連鎖していくという地獄絵図。 アメリカ、日本、双方から侮蔑される戦争花嫁たちは、夫の人種でマウンティングを取り合う。使う側、使われる側はどういう形であれ存在し、いつの世も「カースト」は生まれるだろうけど、自尊心や優越感、そして、そういうのをぶくぶく肥やすためのヘイトには、自覚的でいたいなぁと思った。正しく、他者にも自分にも敬意を払えることが大事。

この日結婚式を迎える同僚とばったり会ってしまって、あまりにびっくりしすぎて、「ご無事で…」と口走った自分にもっとびっくりしてしまった。結婚式をなんだと思ってるんだろう。

0526〜0606

久々に仕事が楽しかった。みんなで怒涛のように走り回って切り抜けた。そんな中、来年度の優秀な内定者が他社の内定ももらったらしく、急遽、引き止め大作戦が計画された。中堅、若手メンバーが個々に数十分ずつ面談・説得するという、学生サイドからすると、かなりおっかないプロジェクト。他者に傾きかけている子に、弊社の魅力や働きがいをお伝えすべきところだったんだけど、まぁ一人くらいは本音で話した方がいいかなと思って、一歩引いてニュートラルな感じでお話しした。ところが、後からすり合わせると、わたし含め全員が「別にこの会社入らんでええで…」スタンスで臨んでしまったらしい。(とんだマイナスプロモーション)しかも、わたしと先輩は、自分の就活経験と重ねながら、色んな条件を天秤にかける必要をお話しした一方で、若手チームは、うちの待遇の悪さを赤裸々に言ったみたい。腹割すぎでは。若手の子達のモチベーション低下の話は兼ねてから聞いていて、中堅の一人として彼女達のことももっと考えていかないとな、と改めて思った。なんてったって、去年下半期だけで、若手男子3人辞めてるし…(遠い目)うちは業界の魅力に惹かれてくる子が多いけど、給料や福利厚生なんかの待遇面がひどく、プロパー社員が大事されない、「やりがい搾取」が発生しやすい会社だと思ってる。だから、こんな作戦までして、もし仮に内定者がうちにきてくれたとしても、きっとまたずさんに扱うんでしょ?とみんな白けてるから、彼女の目を見て言えなかった。「良い会社だから、一緒に働こうよ」と。別に愛社精神を育む必要はないと思ってるけど、自分の会社について胸を張れないのは、とても不幸な気がした。しかも、部署によっては「やりがい搾取」どころか、ただ言われるがままに作業に追われるのみで、キャリアアップが図りにくい場合もあって、そうなるとモチベーション下がる一方なのは当然。給料を上げたり福利厚生を見直す権限はなくとも、せめて今ある制度を最大限に利用できる雰囲気作りだったり(若手はそれすら憚られているらしい)、何らかの仕事で決定権を持ってやりがいを感じてもらったり、そういう環境是正は自分にも十分できると思うので、積極的にしていきたい。せっかくならみんなで胸を張って、楽しく健やかに働きたい…などと思っていると、上司への信頼感が揺らぐ事件が立て続けに勃発し、さらにプロパー社員の不満が高まってしまった。さぁどう転んでいくか・・・。あ、内定者はよそへ行った。おそらく正しい選択。

連勤が続いて藤原啓治さんの声で癒されたくなった。youtubeに全編落ちてる「アンティーク 西洋骨董洋菓子店」を観る。

なんてよくできた話だろう。(そして、藤原さんを筆頭に、声優陣の尋常じゃないハマり方ときたら)最終話の、小野と橘の高校卒業式の記憶と、橘と誘拐犯の記憶の重なりや交錯、過去を埋め合わせるように、誘拐犯を追い詰める橘と、亡くした息子の幻影を追い求める誘拐犯の邂逅は、何度見ても鳥肌がたつし(ここは漫画のコマ割りが最高)、結局ふたりとも過去の余白を抱きかかえたまま、それでも前へ向かって生きていくのを優しく祝福するのが、あのケーキたちっていうのが、あー、すごい。

かつ、よしながふみさんの描くコマそのもののような、「余白」に満ちた世界観がまたいい。それぞれの心の傷をくるむ「余白」(記憶の抜け落ちや臆病さ)を、親子、恋人、友達、夫婦みたいに強固なものじゃなく、名付けえない、大きなくくりから抜け漏れた、これまた「余白」の関係性が、そっと寄り添い埋めていく。初めて漫画を読んだのは高校の頃で、エイジ側だったのが、いつしか橘や小野に近い年齢まで日々を積み重ねてきて、年々感慨深くなっているいく気がする。傷ついたり誰かを傷付けたりして、諦めやくたびれの空気感みたいなものも纏いつつ、それでも新しい日を迎えれば、じゅわっと希望が滲んでくるような…。この作品そのものが心の「余白」に寄り添う名付け得ない関係性であり、明日を祝福するケーキなんだろうな。これからも長くお付き合いしていきます。

0607
会社帰りに、セレソン吉本新喜劇的世界観の舞台を観る。

www.z-lion.net

適度に既視感があり、予定調和。疲れが溜まってる時は、それくらいの方が頭にも体にも優しくて、いい気分転換になるかもしれない。

0608
久々の休みなので、めっちゃ寝た。「きのう何食べた」を観て、あぁ…こういうふたりの関係性を築きたい…と無性に思ってマッチングアプリをいくつか始める。プロフィールのお手本がわりに出てくる同性の人達の清潔感あるビジュアルや文面から滲み出す信頼感がべらぼうに高くて、思わずいいねを押しかける。むしろ彼女たちと知り合って生活を共にした方が幸せになれる気がする。

0609

法事に参加。もう最悪だった。

三国人呼ばわりだの高須院長やら訪日外国人絡みの、ヘイトにまみれた話ばっかりで、本気で吐きそうになった。これは年代によるものか、うちの親族がおかしいのか…。デュブルベボレロのタルトビチェリンがめちゃくちゃおいしくて、ようやく気を取り直せた。わたしは積極的にケーキを食べたい派ではないのだけれど(しょっぱいものの方が好き)、「アンティーク」っぽい店は常に探していて、(半年に一回は「アンティークみたいなケーキ屋」で検索する)(検索下手すぎでは)デュブルベボレロはイートインもあるし、ケーキの感じもお店自体も、知ってるお店の中ではいちばん理想に近い…

0610

マッチングアプリ内で、癖の強い人の出現率が異様に高い。マジシャンとか、元芸人とか、大衆演劇の役者さんとか。別に職業をおちょくってるわけではないので、誤解しないでいただきたいんですが、のっけから癖が強い人があまりに多いし、アプリを使ってる同僚たちに聞いても、どうやらそういう人たちとマッチングするのは私だけらしい。相手を知る糸口が、プロフィール写真と趣味、職業ぐらいしかない中、例えばひとくちに映画好きと言っても、

「今度アラジン観に行きます」 から「主戦場観に行きます」まで幅がありすぎるので、最初からオタク気質をゴリゴリ出した方が楽だな、

と思って実践してるせいなのか。知り合ってメッセージを交換している人たちとも、始めて3日で趣味の殴り合いと化していて、本来のマッチングアプリの意図を見失ってしまった。このブログが何より自分の人間性をさらけ出していると思うので、25歳位から40歳位で、このブログの内容をほどほどに受け入れてくださる男性がいらっしゃれば、結婚しませんか。(単刀直入)あと、性別関わらず、お友達になりませんか。

0611

仕事。産休に入る先輩のお祝い会。「怖い絵」読了。

なんか週刊誌っぽい。

0612

トニー賞チラ見。オルフェウス×ディストピアSFて、『ハデスタウン』、センス良すぎでは…!

アプリに、マジシャン パート2が現れる。なんだろう…わたし、マジシャン受けするんだろうか。メッセージのやり取りの中で、実はマジックが趣味で…というような程度ではなく、プロフィール写真1枚目からめっちゃマジシャン。

歌舞伎座で三谷歌舞伎を観る。

kotobanomado.hatenablog.com

0613

東京。目黒雅叙園に行きたかったが、元気がなく断念。最近疲れがち。

0614

今まで振られ続けだったイタリカへ。店内は中崎町らしくがちゃがちゃしているけど、お料理はおいしくて、満足!

よく遊んでくれるS先輩のお母様の具合が思わしくなく、再手術になった。先輩もわたしも、ひとりっこ×独身の最強孤独コンボなので、その諸々の辛さは痛いほど共感。うちの親にも、せめて検診行ってくれと口を酸っぱく言ってるけど、なかなか言うことを聞いてくれない。

既婚者の先輩が、結婚して子供がいるからこその莫大な責任があって、経済面だったり使命感や義務から、たまに全部降りたいと思う時があるとか、この間のお祝い会で祝ってた子供のいない先輩が、2回流産を経験してたとか。

今は、風の音がぴゅーっと通り抜ける、パインアメみたいなイヤリングをつける、そんなちっぽけなことで浮かれて、毎日ふわふわ生きてますが、これから、きっと色々な受け止めや、直面すべきことが出てくるんだろうな。それにしても、いろんな数ある問題の中で、孤独が一番ヤバいと思うので、どうしよう。

0615

石丸さんのコンサートへ。初めて行くシンフォニーホールは、昭和のゴージャス感と、行政の古い箱物っぽさが入り混じった不思議なホールだった。舞台奥にパイプオルガンがあって、その周りにも客席があるので、客席が舞台を360°取り囲む形になってる。音響は良いのか悪いのか微妙なところ。オケ単体では良いと思うけど、ヴォーカルとのバランスが微妙で、ヴォーカルがのっぺり平面的に聴こえてしまっていた。さすが大ベテラン、コンサート慣れもしている石丸さんなので、歌にトークに安定していて充実した内容。さらに「エリザベート」から駆けつけたよしお氏が加われば、鬼に金棒状態。宙に浮かびがちなエリザネタから、シークレットガーデン観てないネタ…トークがとめどなく溢れ出す。よしお氏の「僕こそミュージック」のクリアさ。スケール大きく広がるのに驚くほど親密に心に届く。石丸さんとの「闇が広がる」も素晴らしく、本人も冗談で「まだルドルフやれるな」と言っていたけど、これを聞いちゃうと、ヴォルフガングもルドルフも、よしおが日本一!という気持ちになってしまう。いろんな意味で、ゲストとしてこんなに重宝する人は他にいない。散々盛り上げて、帝劇へ帰っていった。

石丸さんの真骨頂は、ラストの大曲3連発。「美女と野獣」の「愛せぬならば」、「スカーレットピンパーネル」の「あなたはそこに(目の前の君)」、「ジキル&ハイド」の「時が来た」。フルオケになると、ワイルドホーン無双っぷりが半端ない。フランク&フレンズなんかだと、バンド編成ということもあって、リラックスしたアレンジになりがちだけど、やっぱりワイルドホーンは、どーん!ばーん!してこその本領発揮な気がする。石丸さんも伸びやかな声に、さらにエネルギーが加わった気がして、贅沢なひとときだった。

0616

イキウメを観に行った。最高に面白かった。間違いなく今年No.1。

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0617

「十二人の手紙」読了。坂元裕二氏の「初恋と不倫」が面白すぎて、もしかして手紙ってめちゃくちゃ面白いのかも、と、東野圭吾さんの「手紙」と一緒に「手紙」くくりで買った本。

坂元さんの本では、手紙の持つコミュニケーションの面白さに惹かれて、東野さんの「手紙」では、お互いの様子が見えない中、想像力を欠くと関係性が破綻する怖さみたいなものも感じた。「十二人の手紙」は、短編13話からできていて、書いてあることが事実か、そもそもその書き手は本物なのか、本当に存在する人物なのか、読み手に正しく届いているのかすらわからない、タイムラグもある、いくらでも「なり済まし可能」な手紙の側面がクロースアップされてる。「アクロイド殺し」的なトリック含め、手紙ならではのアクロバティックな仕掛けがたくさんで、井上ひさしが劇作家ということもあってか、手紙の持つパフォーマンス性の探求という感じ。私情や意思が入る隙のない公的書面の羅列から、一人の生き様、ドラマが浮かび上がるっていうアプローチも、しみじみ余韻が残った。エピローグではそのパフォーマンス性が、サスペンスの謎解きへと繋がりながら、これまでの登場人物が総出演、後日談が描かれる、(短編同士のつながりの種明かしも)という鮮やかな幕切れ。不幸なエピソードが多い中、その後の希望もちらりと。あくまでも、最後まで手紙(メモ)の中で、ですが。手紙絡みの本、引き続き、集めていきたい。

今気になってるのは、痕跡本。差出人不明、宛先不明の手紙っぽいな、と思ってる。(というか当人は誰かに向かって出してるつもりもないかもしれないけど)

録画していた第3回韓国ミュージカルアワードをチラ見。韓国演劇界のレジェンドらしい、パク・ジョンジャさんのクセが強すぎて、なかなか内容が入ってこなかったけど、「笑う男」のパク・ヒョシンさんは目を剥くうまさだった。オリジナルミュージカルの「レッドブック」が、かなり今的で攻めてる内容っぽい。こういう題材でオリジナルミュージカルを作れるって強い。安直に2.5次元を作ってるのとはわけが違うなぁと思った。

イキウメ『獣の柱』@サンケイホールブリーゼ 感想

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作・演出:前川知大

出演:浜田信也、安井順平、盛 隆二、森下 創、大窪人衛 / 村川絵梨、松岡依都美、薬丸 翔、東野絢香市川しんぺー

CGどころか映像も、大掛かりな装置も何1つない。シンプルなセット、照明、音楽を駆使した、繊細な演出で舞台空間が醸成されて、そこに役者がしっかりと息づいている。演劇的なプロセスを忠実に固めていけば、こんな広大なSF作品を生むことができるのか…演劇ってSFに向かないと思ってたけど、なめてた…。

変死、行方不明事件、原因不明の「幸福感」。日常のタガがそっと外れ、気味悪さがじわりとにじむ。やがて日常の崩壊に紐付いて、様々な問題が提示されていき、「散歩する侵略者」や「太陽」にもリンクしながら、果てない荒涼感を生んでいく。

幸福感を生む代わり、死ぬまで身動き一つ取らず見つめ続けてしまう、謎の柱が大量発生。事件・事故であれ、天災であれ、どんな突飛なことが起ころうと、非日常を認めずに、できる限り変化のない日常を送ろうと、自分の理解可能な範疇へ押し込めようと補正をかけるのが人間。だからこそ佐久間たちはいつの世も変わらず、人に寄生して生き延びることができる。(「レ・ミ」のテナルディエ夫妻のように)

そして、しりあがりさんの「方舟」も思い出し、舞台の外で繰り広げられているだろう、無数の人たちの様子にも思いをはせる。

 

一方で、農家の山田たちは、新たに自給自足の生活スタイルを提案・実践して、現状に適応していく。

50年後。柱の存在を日常に溶け込ませるため、「御柱様」と名付け共存し、柱の力に影響を受けない新人類が誕生している。(この辺りは原作の方の『風の谷のナウシカ』を思い出しながら。)新人類は、旧世界の再興を司る存在として、権力者から政治利用されようとしている。山田は自給自足の伝道師となり、どうやら財を成したようで、2051年には使用人までいる身分らしい。でも、彼の孫(柱の影響を受けない新人類)が言うには、呆けた妻 桜と共に1ヶ月前に自ら柱の元へ旅立ち、抱き合いながら死んだと。

桜が、幼い頃亡くなった両親を、キリストとマリアに見立ててたというエピソードにあるように、神話や宗教は、不条理で受け入れられない事柄に直面した時に、物語を通して筋道を立てたり、意思や意味を見出して、物事を呑み込みやすく補助してくれるもの。

宇宙人が、神が、地球が、天候が…柱が降ってきた理由を推測し合うものの、結局のところ、柱が誰にどうしてどうやってもたらされたか、わからない。「不条理」=「わからない」ことが、一番怖いから、わたしたちは日常のタガが外れた時に、何としてでも、「どうして?」の答えを出したいのに。科学も宗教も総動員して、色んなアプローチから、物事を人間の理解の領域に入れて、どうにか解釈したいのに。

御柱様」と名付けて、表面上は日常を取り戻した中、山田が妻と一緒に柱へ旅立ったのは、妻の身に起きた新たな不条理に対して、そういう上辺だけの解釈ができなかったからじゃないのかな。だから、不条理の真っただ中へ旅立ったけど、皮肉にも周囲から見ると、「殉教者」のようにすら見える、っていう。

「アリの巣で遊ぶ」ような俯瞰の視点で、(危機的状況に陥らなければ緩慢な日常に埋もれて見えない)色々に解釈しようとする作業、つまり「現代の神話」を描くことが、必要なんだろう。

安易な日常への引き込みじゃなくて、自分たちを客観視しながら、何とか理解しようと、解釈しようと、もがき続けること。

今でもまだぐるぐると考えている…。これからも折に触れて思い返すと思う。

三谷かぶき『月光露針路日本』@歌舞伎座 感想

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みなもと太郎 原作 三谷幸喜 作・演出

幸四郎 猿之助 愛之助 松也 八嶋智人 新悟 廣太郎 種之助 染五郎 弘太郎 鶴松 松之助 寿猿 宗之助 錦吾 男女蔵 高麗蔵 竹三郎 彌十郎 白鸚

冒頭、大学教授風の松也がストーリーテラーで登場して、あれ?石田先生作演だっけ?となった。(最後ははぼ「猛き黄金の国」の絵面だし)不幸続きな運命に翻弄される男たちの生き様を、笑いとペーソスを交えた三谷節で描く、三谷幸喜初の歌舞伎座作品。

前半の漂流船上は、ぼんやり散漫な印象。話が進むにつれてキャラクターが絞られてからは、役者それぞれの味が滲み出て、加速度的に面白くなった。飄々としたコメディセンスの幸四郎、ニヒルながら実は情に厚い愛之助が、的確な舵取り役ならば、泣き笑いの猿之助はドラマを大きく動かす帆の役割。不幸話をコメディで描くという裏腹のベクトルを、まとめあげ昇華させる圧倒的な力が猿之助にはある。スーパー歌舞伎も精力的にやってるけど、

PARCO歌舞伎といい今回といい、私は、幸四郎の隣で全力発散する猿之助が一番愛おしいと思ってる。ふたりが永遠の別れを惜しむロシア式の挨拶は、このふたりだからこその信頼感と切なさが漂い、「凱旋門」のラヴィックとボリスも思い出す、名シーン。氷の大地でそりを引く犬たちに、「決闘!高田馬場」の登場人物たちの名前を割り当てて、思いがけず、猿之助の「立つんだ…安兵衛!」がもう一度聴けたのも、かなりの胸熱シーンだった。

バイプレイヤーの彌十郎さんの安定感にはいつも救われる。一方で、染五郎の今の彼しかできない初々しく真っ直ぐな芝居、染五郎との二人芝居をしっかりリードして、歌舞伎以外の芝居の才も見せつけた鶴松、茶目っ気たっぷりな新悟。花形チームの見せ所も多く、作品の熱量を高めていた。

さすが役者のあて書きが徹底していて、心浮き立つ場面はいくつもあったものの、作品としては「決闘!高田馬場」ほどまとまっておらず、台詞も転換も散漫としてしまっていたのは確か。

松也も八嶋さんも遊びすぎだと思ったけど、逆にあそこまで脱線しないと、場がもたないんだろうなぁ。PARCO歌舞伎の時は、猿之助だけが熱血キャラクターとして歌舞伎風に芝居がかっては、周囲から浮いて笑いを誘いつつも、話が進むにつれて周りも彼の熱量に感化され、全体が徐々に熱を帯びて歌舞伎化していき、クライマックスへと駆け抜けていく、構成の面白さがあった。今回も冒頭は現代風のお芝居で、そこから歌舞伎のパロディが何度も織り交ぜられた挙句、幸四郎猿之助愛之助の別れのシーンは、歌舞伎っぽい雰囲気(『俊寛』みたいな)を作り出してるものの、PARCO歌舞伎ほどの勢いというか、パロディがマジに転化するカタルシスは得られなかった。音楽的にも、舞台機構的にも使いこなせているとは言い難いし。(だからこそ逆に「ポーリュシカ・ポーレ」の発想が生まれたりするんだろうけど)(爆笑した)

それでも、最後の最後、小市が待ち望んだ「海から見える富士山」が、客席まで押し寄せた波間の果てに見えるのは、心震わす絶景だった。自分も一緒になって、苦難の果てにたどり着けた気分になったのか、ぼろぼろ泣いてしまった。

そして、去年の「桜の森の満開の下」もそうだったように、これが他劇場ならともかく、歌舞伎座で歌舞伎の一演目として掛かり、お客さんも普通に受容しているのは、単純に驚くと同時に、尊敬する。歌舞伎の何が好きって、そういう面白がる精神、懐の深さだなーと嬉しくなった。

『笑う男』@梅田芸術劇場メインホール 感想

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脚本:ロバート・ヨハンソン

音楽:フランク・ワイルドホーン

歌詞:ジャック・マーフィー

演出:上田一豪

出演:浦井健治 夢咲ねね/衛藤美彩(Wキャスト) 朝夏まなと  

   宮原浩暢 石川禅 山口祐一郎 ほか

そもそもの話…これ、なんでミュージカル化しようと思ったんだろう…?すでに「レ・ミ」や「ノートルダムの鐘」の先例がある、ユゴー×ミュージカル企画はわかるとして、なぜあえてこの作品を…全く盛り上がらなくない…?

あらすじ↓ 

17世紀のイギリスが舞台。コンプラチコスという人身売買集団に誘拐され、口の両端を引き裂かれたグウィンプレン(浦井健治)。幼い彼はある日コンプラチコスから吹雪の中一人捨てられる。そして赤ん坊であったデア(夢咲ねね)と出会う。その後、興行師ウルシュス(山口祐一郎)と出会い、ウルシュスはグウィンプレンの奇形的な笑顔と、盲人であったデアの話をもとに公演を創作し、流浪劇団を立ち上げる。やがて時は経ち、グウィンプレンは青年へと成長すると、欧州全域で最も有名な道化師となり、妹のように育ったデアと互いに愛情を抱くようになっていた。だがある日、グウィンプレンの前に、肉親を名乗る裕福な者が現われる。自分の出生の秘密を知らされたことで、平和であった3人の人生に新たな危機が迫る...。

 

キッチュな美術とあいまって、おとぎ話感が強い。(前にも書いたけど、韓国って、こういうサーカス的なアングラが好きなんだろうか。)1幕ラスト5分でミーマイ展開に、2幕はミーマイ&ボンベイドリームスと言った感じ。一応、寓話として見ることはできるけど、2時間半かけてこれ…?という内容の薄さ。やるならもっと貧富の対比やトラウマ的要素、(そして目の見えないデアとの関係性)を深められたのでは。

ゆう様のキャラ設定が定まらないおんじは想像通り。券売要員だとしてもミスキャストにも程があり、ただでさえ薄い物語が破綻してしまう。元々役柄として掘り下げられてもいないけど、浦井くんは、歌も芝居も居住まいも浦井健治夜神月かの二択。立ち姿や動きが何を着てもどの役をやろうとも(古代エジプトであっても)どこまでも日本男子で(だからデスノートが良かった)、…というか、すごく雑くて無頓着で、めちゃくちゃ気になる。ねねさんはしどころのない役ながら、娘役芸を発揮して柔らかな雰囲気。見どころは、朝夏さんと宮原さんの色情魔コンビ。朝夏さんは気品と色気の絶妙なバランス。抜群のスタイルでデコラティブなドレスを着こなして、美しかった。退団後、超ハイペースで、「マイ・フェア・レディ」、「オン・ユア・フィート!」 、「笑う男」ときてるけど、お芝居ではどれも違った役どころで爪痕を残していて、見てる側に「もうお腹いっぱい感」を感じさせないのはさすが。惜しむらくは、歌になると一気にトーンダウンしてしまうこと。カッコよく歌い上げる曲だけにもったいない。喉が詰まるような声の出し方、少しでも改善されるといいなぁ…。

宮原さんにはびっくり。初ミュージカルの「グランドホテル」では、伊礼くんとのWキャストで分が悪く、ハードルの高すぎる男爵役に苦戦していたのが、「ピアフ」を経てミュージカル3作目で、このクオリティ…!今までベルベッツでは佐藤さんに目がいきがちだったけど、宮原さんも負けてない。アグレッシブな芝居に安定した歌。タッパもあり、舞台姿も映える。この年齢で、濃い色悪的な役柄ができる人って貴重だから、これからもいいポジションで活躍してほしい…。

韓国はオリジナルミュージカルが盛んで、(脚本、演出は自国スタッフでなくとも)ちゃんと日本にも売り込めているのだから、日本もそういう作品作れればいいのにな。言い方は悪いけど、正直、このレベルの作品ですら売れるのだから。(ホイホイ買ってしまうのは日本だけということなのか…)

ちなみに、韓国版はカーテンコールで一節歌うだけでこれで、もしかして実は名作だったんじゃ…?と思えてくる不思議。

たとえ作品全体の出来が悪かろうが、この声が響く間だけは、作品世界がまばゆく光輝く。せめて、そういう瞬間がほしかった。

うかれポンチ/4/1~30よもやま

0401

パソコンを忘れて出勤。新年度早々、斬新な働き方改革をしてしまった。新元号で、にっぽんうかれポンチ。ドン引き。

0402

ブッフェ。体調絶不調な日にブッフェ。しょっぱい系も程々にあって、バラエティに富んでる。この値段出すならコース食べに行く方が遥かにコスパ良いのに、まんまと釣られるなー。

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カロリー消費もしておこうと、太陽の塔も予約してたけど、体力がなくてキャンセル…。(せっかく行くならみんぱくも回りたいし結構体力いる)

0403

仕事。

0404

仕事帰りに結婚が決まった友達とバルへ。おっさんずラブを布教する。

0405

東京出張。庭園美術館岡上淑子さんの個展を見に行く。

センスの塊で、全くもって古さを感じさせない。元々来たかった庭園美術館も素敵だった。建物の趣は違えど、大山崎美術館へ行った時と似た興奮。建物と作品の溶け合い方、それに満開の桜の花吹雪…白昼夢のようだった。

0406

ロミジュリを観る。

kotobanomado.hatenablog.com

0407
『ブラックメリーポピンズ』を映像で観る。これは面白いの…?(おそるおそる)『フランケンシュタイン』といい、韓国ミュージカルってトラウマ系が多いんだろうか。

0408

東京へ。チームラボや香取慎吾へ行く余力がない。

0409~0411

仕事

0412

ロミジュリを観る。

0413

桜満開のうららかな日に、会社の先輩と小林一三記念館へ。

13日の一三デーということで、記念館のガイドツアーと池田文庫の館長セミナーに参加。どちらもお話が上手く、めちゃくちゃ楽しかった。セミナーの方は全6回で全制覇したいところだけど、平休日関係なしに13日にこだわっていて、なかなかハードルが高い。最近、遊びはほぼこの会社の先輩と一緒なのですが、(つまり、ほかに友達がいない)「もう15時だからわたし帰るね!」と、突然慌てて帰ってしまうことが何回かあり、実はシンデレラ的存在の可能性がある。

Tverで「きのう何食べた」を観る。内野さんが芝居的に重すぎないかと心配していたら、逆に西島さんが薄すぎた。うっちーは幸福感があふれていていい。ドラマとして面白いかは微妙だけど、ごはん作りたい欲は確かに沸く。そして、おっさんずラブを踏まえた、テレ東の商売魂(マグカップとかレシピ本とか)に感服。

Tverを漁っていると、なんと「トリック」第1シリーズが!第3シリーズから観ていて好きだったので、ラッキーぐらいの熱量で見始めたら、異様な面白さで止まらなくなる。深夜枠ならではの際どさ、おどろおどろしさ、仲間由紀恵のシャープさ、遊び心のある映像…最高。(この頃の仲間さんは、アウトサイダー的で影がある。笑いに寄りすぎないのにコメディ感覚が鋭い。何となく歯の多そうな感じもいい。)シリーズを重ねるごとにそのどれもが緩慢になり、阿部寛だけが変わらず冴え渡っていたんだなということがわかった。第1シリーズは、菅井きん篠井英介と続くゲスト選びも的確。(ちなみに、若かりし日の橋本さとしさんも出てきたりする。)特に篠井さんのミラクル三井回は、伝説だなと思った。

0414
久々にちゃんとしたごはんを作る。(きのう何食べたに感化されすぎ)

・鰤のステーキ

・しょうがと油揚げのたきこみごはん

・ちくわの磯辺揚げ

・キュウリの辛子漬け

・かきたま汁

充実感がすごい。

0415

仕事。

0416

仕事。心電図で笑ってしまう記録9年連続更新。絶対笑ったらあかん時の神妙な面持ちが苦手で…。お姉さんから、「いい加減にしてくださいね…」と静かに叱られて、一気に真顔になる。

0417

仕事

0418
仕事

0419
オーシャンズ11』を観る。

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0420

シネマ歌舞伎桜の森の満開の下』を観る。

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帰って、WOWOW東京二十三区女」1.2話。確かに暗渠で佐野史郎とサシは怖いが、ぱるるのアースダイバー的なパートと、ゲストの怪談話が話的にも絵的にも効果的に結びつかず、イマイチ深いところに落ちていかない。でも、ぱるるの顔はいつも不穏。

0421

『クラッシャー女中』を観る。

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0422~0429

仕事。ビジネスマンとして働けない、お気持ちだけで動く、マウンティングおじさんをどうしていくか問題、再勃発。

0430

阪急のパンフェアへ。長蛇の列に並んでパンというか肉を喰らった。インスタ用かと思いきやちゃんと美味しかった。

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喰らいながら、阪急の催事の動線やスペース作り、祝祭広場の汎用性の高さはさすがだな、と感心した。

続いて、シルバニアファミリー展へ。

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35年間の商品を惜しげもなく全部見せする展示で、懐かしくて可愛すぎて、半泣き状態で見て回った。さすがに35年も経つと、お店も家もネタ切れに近いのだけど、時代に合わせて焼き直していくスタイルなので、その変遷をみるのも楽しい。かたやファミリーの方の激しい新陳代謝は、種族の栄枯盛衰や店長交代に繋がり、なかなかシビア。今改めて見ても、90年代末の森のマーケットシリーズの可愛さは最強。これで遊べたことはわたしの誇りです…。今回初めて見た2000年代の海シリーズも、めちゃくちゃに可愛いかったな。三十路も普通に欲しい。

最近のタウンシリーズは拓けすぎな気もするけど、タウン開拓に伴い、ワゴンとかメトロとか乗り物系が充実したのはいいですね…。展示の〆はドールハウス作家さんとのコラボ。工藤和代さんの作品が、世界観の作りこみが段違い。

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図録も購入できて、めちゃくちゃ満足…!!仕事で腹が立ったらこれで心を落ち着かせる。あー、いい具合に平成を締めくくれた。 

充実した気分で、帰ってテレビつけたら、知性もセンスも何一つなく、ひたすらバカ騒ぎで、またもやドン引きしてしまった。若者たちのテレビ離れ、当り前じゃない?

『ロミオ&ジュリエット』@梅田芸術劇場メインホール 感想

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セットや演出に関しては前回を踏襲しているので、印象は概ね変わらず。

前回、思わずプルーンをあげたくなるような血の気のなさだった古川ロミオは、若々しく、顔色も良さそうで一安心。大野くんは、姿勢の悪さ、もっさりした動きが気になった。「僕が怖い」を高音までしっかり歌えているのに、ダンスが段取りになってしまっているのが、あまりにもったいない。

木下さんは何の危な気もない、何ならはすっぱなジュリエット。体型的に白のワンピース+ボレロが似合わず、ちょっと工夫してあげればいいのに、と残念に思った。葵さんは小さく可愛い。リズムが間延びしてしまうのはご愛敬として、驚くほど良く通る綺麗な声で、鮮烈なミュージカルデビューだった。

渡辺ティボルトは、ずっと宝塚の男役っぽいなと思ってたけど、あれですね、らんとむに雰囲気が似てるんですね。作品ごとに歌が上手くなって、どの曲もドラマチックに歌いこなす。木村ベンヴォーリオは爽やか好青年。声量はないものの、癖なくクリアに高音まで出て、ファルセットも綺麗。それだけに、「どうやって伝えよう」のバックに続けざまに出る、あのインスタ画像が可愛そうで。ねぇ…あれはひど過ぎない…?ギリ許されて宝塚のバウじゃない…?この数年のうちにインスタ覚えたんだねぇ…と目を細めかけたが、舞台はそういう場ではない!(その後、オーシャンズでもインスタが出てきていた)もう、みんなで、だせぇよ!と小池大先生に言ってあげようよ。宝塚のノリを平気で持ち込むというか、別ジャンルだと自覚してスイッチできてないのは痛々しいよ・・・。対する三浦ベンヴォーリオは数枚上手。なんせテクが凄い。着こなし、佇まい、舞台での芯の取り方、逆に芯じゃないときの周りとの絡み方、全方向に感覚が行き届いていて、三浦くんが入るだけでロミオたちの関係性がぐっと濃密になった。なので、後半のあのインスタ画像ですら神妙な面持ちで観れたんだけど、マーキューシオのワンショットで、やっぱり面白くなって吹いた。序盤のロミオやロミオママとの寒いやりとりも、木村くんは実直にやって妙な間が空いて寒かったのが、(もはや誰もくすりともしないから)三浦くんは上手いこと小芝居挟んで、自分のテンポ感に落とし込んで防寒対策バッチリだった。(この辺り前回の矢崎くんもうまかった)本来マーキューシオタイプの個性を持っていながら、一歩引きつつ全体のバランス調整役に徹していて、感心してしまった。

黒羽マーキューシオは器用にこなせているのに、薄味。もうちょっと押し出しが欲しい。

大貫死、もう4回目なんだから別役にステップアップしてほしい(とはいえ役の序列的にはロミオ、ジュリエットに続く3番手)と思うのに、いざ見たら、いややっぱこの役は大貫くんしか無理やわ…と悟る。前回からソフト帽を目深に被った「人」の姿になって、より良くなった。「僕は怖い」と漠然とした不安を抱くロミオに、すっと寄り添うような人影。概念としての死。光を放つスターは数多いれど、底知れぬ闇を放てるスターって大貫くん以外に存在するんだろうか。人間の鋳型みたいな美しいフォルム。手だけがアンバランスに大きく異形のものを思わせ、空間を掌握するようにおし広げられる恐ろしさ。ティボルトが、マーキューシオが死に、「死」が概念から現実の恐怖に変われば、帽子もコートも脱ぎ捨て、より一層フォルムが強調され(筋肉以前に骨格が美しい!)ぽっかりと空いた「無」だったものから、一気に生々しく息づく質感が加わる。ジュリエットとの初夜、ロミオは夢の中で死とも結ばれている…。なんなんだろう…あの色気は…。あぁ…もうこれは大貫くんありきの舞台。育三郎や城田くんがロミオをやってた時ほど、ロミオと仲間たちのキャスト差がつかなくなって余計に、死の物語としての側面が強くなった。大貫くん、もちろんメリーや雨に唄えばみたいな、ミュージカルにも出て欲しいけど、こういう彼の稀有な表現力を活かせる舞台にも出てほしい。(オギーと合うとずっと思ってるんですが…)カーテンコールはしっかり笑いを取ってて、こういうキャラクター性も含めて、もっともっと人気出ていいと思ってるー(泣)一方の宮尾さんは、嗅覚で感じる死かなと思った。優美に漂う死。ただ、2幕からは大貫君一人勝ち状態。

大人チームはまとめるとこんな感じ。

石井さんはキーが合っていないのか歌はさほど良くない。すごい民主主義的な大公で、絶対いい街にしてると思う。岡さんは相変わらず異様な歌のうまさだった。絶対放蕩に明け暮れてないけど。神父がまともになった。普通こうですよね…。サカケンならうっかりがありえるが、岸さんはメールの後すぐ確認の電話入れるし、霊廟には約束の30分前に行く、そういう男。キャピュレット夫人の春野さんがいい殻の破りかたをしていた。久々にくねくねしていて嬉しかった!さすがに業の塊みたいなかなめさんの迫力には負けるけど、(かなめさんなら、ジュリエットにいきなり暴露しても何ら驚かない)もっと生々しい人妻の色気があった。

200回記念のアンコールは、生田さん以外のキャストが全員扮装姿で集結して、ナンバーを歌ってくれるという想像以上の豪華さ。ダブルロミジュリの「エメ」、ロミオ、マーキューシオ、ベンヴォーリオの「本当の俺じゃない」、そして中でも最高だった、ティボルト中心の世界の王!和かなティボルトが二人揃うのがまずもってレア。しかも楽しげに世界の王!大人キャストも存分に弾け、ついには死まで歌い出して、自然と手拍子の起きる最高のイベントだった。