だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

ふたたびバラが咲きました/如月よもやま

<今月の話題>

大友克洋童夢

・フィリップ・ニクルー「MATSUMOTO」

岡崎京子東京ガールズブラボー

・はるな檸檬「れもん、よむもん」

桐野夏生「OUT」

・「リング2」

・「嘘を愛する女

・「シェイプオブウォーター」

・「ベルサイユのばら45」

 

 

 月初め。久々に2連休を取ってホッと一息。去年から気づかないふりをしてきたけど、今年、ヤバいかもしれない。仕事量とは裏腹に、一向に増えない会社の給料に見切りをつけて、iDecoと積み立てNisaを始めようと腹を決める。この先またしばらく休めなくなるので、ひとまずその準備をいくつか。

初めて日経womanを買ってみたりなど。

速攻で感化され、今年やりたいことリストの書き出し。(出だしが「夜行列車に乗る」。)意識低い系にしてはかなり大きな一歩じゃない?

家族揃って、近所にできたピザ屋へ行く。ド田舎にしてはオシャレで美味しすぎて、採算は取れているか、いつまで持つか、という不安で頭がいっぱいになりながら、頬張る。食べログに投稿してあげようと思う。

久々に漫画。「団地団」を読んでからずっと気になっていた童夢は「AKIRA」よりずっと好みだった。今思えば、「来る」後半のエスパー合戦はもはや「童夢」だったのでは。

今年は「渦が森団地の眠れない子たち」もある。るひまみたいに、団地バスツアー付チケットとかあったら絶対行くのに。

バンド・デシネ開拓の一環で、「MATSUMOTO」を読む。

松本サリン事件がメインで、地下鉄サリン事件はほんの触り程度。オーストラリアであんな前日譚があったなんて。オウムの異常性そのものより、警察やメディア、一般市民のレベルまで「違和感」を覚えつつも危機意識を持たず放置されることの怖さ、そして、あまりにあっけなく日常が失われるさまを淡々と。

東京ガールズブラボー岡崎京子さん初期の作品。

80〜90年代のサブカルチャー考察には必ず岡崎さんの話が出てくる。私は90年代後半~しか肌感覚がないけど、確かに、時代の空気感を捉えていると思う。とりわけこの作品は、先行して読んだ「リバーズエッジ」や「ヘルタースケルター」にも増して、カルチャーが、もう、ページから氾濫していた。カルチャーへの渇望やシンパシーこそがヒロイン サカエちゃんの生命力なんだ。

東京都民でもなく80年代を知らずおまけにカルチャーに疎い私は、サカエちゃんの従姉妹マユミのように、すっかり蚊帳の外という感じ。今の東京の「ナウい」子達も、こんなに多様なカルチャーを摂取して刺激的な日々を活き活きと送っているんだろうか。だったら、いいな。どうせなら田舎の私たちには手の届かないぐらい、欲望と刺激まみれに生きて欲しい。

「れもん、よむもん」ははるな檸檬さんのコミックエッセイ。

さすが「ダルちゃん」の著者、本の紹介はそっちのけで、読書へと駆り立てる強烈な自意識へと話を掘り進めていく。中高生時代の自分にプレゼントしたくなるような本。

「OUT」読了。

主婦たちがひょんなことから犯罪に手を染める程度を想像していたら、清々しいまでにOUTな人たちのOUTな話でした。こんなエグいの、どうやって映像化したんや…。でも、あそこまでの犯罪に手を染めるかはさておき、ゆっくり毀れて死んでいく社会のどん詰まり感の中で、一緒に毀れていくか、打破するか、の二択っていう根幹部分はあまりにリアルで、生唾ゴクリ。

WOWOWで一向に「らせん」を放送してくれないので、代わりに「リング2」。

1でちょい役だった中谷美紀がヒロイン。柳ユーレイもメインキャストで、20世紀末のサイコ・ホラーを象徴する(私の中で)「女優霊」と「ケイゾク」の二人が揃ったこともあってか、序盤に立ち込める雰囲気は1より遥かに濃密。ただ、もはや呪いのビデオのルールはどうでもよくなっていて、誰も彼も呪われていくので、ビデオ、ダビング(画質がどんどん劣化していく感じ)、砂嵐に仄暗いロマンを感じていた身からすると拍子抜け。

予約ミスでラスト30分が欠けていた嘘を愛する女撮り直し。

徹底的にダメな映画だった。脚本もキャストも画も全てがぬるい。長澤まさみの着ているコンサバ服だけが気に入った。ブランド教えて欲しい。

満を持して「シェイプオブウォーター」。

ギレルモ・デル・トロ監督の「パンズラビリンス」が大好きなので、これも楽しみにしていた。まず目を惹くのが、グリーンベースの美術やレトロな音楽。「アメリ」のダークサイド版といった風で、徹底的にこだわり抜いた作りこみ。「異種族ラブロマンス」と謳われているけど、むしろマイノリティ/マジョリティの溝がデカい。機知と愛情によって結びついた、ヒロインたちのマイノリティコミュニティ(ヒロインは声が出ず、仲の良い同僚は黒人、良き理解者は同性愛者、恋に落ちるのは半魚人)と、美しい妻と子供たち、マイホーム、マイカー、全てを手にした、理想的、模範的なマジョリティ(白人男性、軍人。イエローベースの明るい世界。)の暴力による支配が裏返しになっている。半魚人を制御しそこね、軍人の指がふっ飛ぶエピソードがわかりやすい。無理やりくっ付けた指が腐ってだんだんと変色し、悪臭を放っていくのだけれど、軍人は意地でも自分の「欠損」を認めない。「まとも」な「男」というマジョリティのありもしない幻想に憑りつかれている。ヒロインの良き理解者 画家のジャイルズはカメラに取って代わられ、広告の仕事をクビになった。消費の欲望を掻き立てる、広告に相応しいイメージが描けていないとダメを出される。でもヒロインと半魚人の恋物語をハッピーエンドのおとぎ話にして語り継げるのは、―ヒロインのネガティブな過去をポジに反転させる―彼のイマジネーションあってこそ。

トクサツガガガ」のダミアンが、「リアルってまるで怪人だね」と呟き、塾までの道のりを大好きな戦隊モノの世界に見立てたように、ファンタジーやイマジネーションって、リアルで生きづらい時に心に宿るものだから。負け組やマイノリティのレッテルを押され、生きづらい目に遭っている社会的弱者を救い、励ますものがファンタジーだ。(だから、ファンタジーの力でご都合主義的に問題が解決されたり、世界に平和が訪れたりはしないし、世界は強者が支配したままなのだけれど。)このマイノリティへの優しい視座と、ファンタジー、イマジネーションへのリスペクトが全編を通底している。うーん、こう考えると、基本構造も「パンズラビリンス」に似て好き系なはずなんだけど、それほどハマらなかったのは半魚人にドン引いてしまったからなのか。

舞台はベルサイユのばら45」のみ。今更「ベルばら」なんて …という熱量の低さで見たくせに、最終的にはワタコム、コムチカ、ノルユリ最高ー!!!となって終了。『ベルばら』は普通に上演されると見るに堪えないので、これくらいの抜粋で、お祭りイベント的にやった方が断然楽しい。充実ー。レジェンドチームの貫禄。カン様の流石のカデンツァに汀夏子さん渾身のジェミニ。安奈さんといっちゃんの「愛の巡礼」豪華聞き比べはどちらも最高過ぎて軍配上げられず。『ベルばら』でサヨナラだったノルユリ(特別編成のフィナーレでボレロがなかった)、18年越しのまさかの「ボレロ」には、嗚咽が止まらなかった。わたるさんはいつにもましてオスみに磨きがかかり、ばらタン、小雨なんか、今すぐ劇団に出戻ってほしいレベル。いや、水さんの小雨も捨てがたく、エロの大氾濫。コムさんも現役時代よりもずっと人間らしくて素敵なオスカルを見せてくれた。わたるさんや水さんを見ていると、これこれー!となる。完璧な作画のまま涼しい顔でいられても心動かない。私は宝塚で、現実離れした完璧な作画が、エネルギッシュに、そして色っぽく、ゆがみ、崩れるのが見たいのだ、と気づく。えぐみギリギリに、美しさが予想もしない化学反応を起こしていく。そんなスリリングで刺激的な瞬間が、宝塚にはある。…しばらくぶりに忘れていた感覚を思い出させてもらった。

そして、月末、仕事の果てにノロ。お腹より熱が堪えた。大山崎山荘美術館国立国際美術館へ行った話は別立てで書く予定。