だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

『わたしの星』@読売テレビ 10hall 感想

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夏、未来、宇宙。
火星移住が進み、過疎化した地球に残された高校生たちは文化祭の準備に明け暮れていた。
夏休み最終日、スピカはたったひとりの同級生に転校を告げ、姿を消す。
片思い、叶わぬ夢、帰れない場所。
オーバー・ダビングされた思い出たちが宇宙の片隅で再生される。
星に引力があるように人にもきっと引力がある。
たとえどれだけ離れても、あなたはずっとわたしの星。

www.ytv.co.jp

 
「過疎化した地球、火星への移住」。
中高生時代って、学校生活が世界の全てで、今思えばめっちゃ馬鹿げてるけど、こうやって「星」という尺度に拡大してもすんなり受け入れられるような感覚を持っていた。その設定を除けば、片想いに友情に嫉妬、誰もが経験する身近なエピソードばかり。関西弁ネイティブキャストがいたから余計に、このわちゃわちゃした空気感知ってる…エモい…と思いながら見てた。
わたしには戻りたくなるような、思い出に浸りたくなるような青春なんて微塵もなければ、そもそも記憶力が圧倒的に悪くて全てがおぼろげだけど、それでも、あぁ、確かにそういう瞬間があって、それはあの時しかなくて、もう二度とああいう風にあの子たちと集まることはないんだな…とは、思う。もちろん今も一回性の只中にいて、二度と繰り返しの効かない瞬間を重ねてはいる。ただCMで安藤サクラが言うように「大人って長いよー」の過程にいると、なかなか気づきにくて。あの心も体も急激に変化していってたあの青春期に、気の会う仲間が積極的に寄り集まったわけでもなく、たまたまそこにいた子達と何年間もずっと一緒にいたこと。今はじめましてしたら仲良くならないような子も、たまたまあの学校にいて、一緒に時を重ねて。だからこそ、濃密で尊い
 
劇場ホワイエには出演者やスタッフ手作りの「わたしの星」新聞や日誌が展示されている。この舞台のために、オーディションで集められた高校生達が一夏の舞台のために稽古や合宿を重ねてきたことを記したたくさんのドキュメント。彼女たちは劇中同様夏休みに集まって作品を作り上げ、公演が済んで夏休みが終われば、またそれぞれの高校生活へと帰っていく。ここでもまたメタ的に一回性の奇跡が起きている。そういうメタな部分も含めた「わたしの星」プロジェクトに、ハマってしまった。
 
↓に初演版の台本があるけど、毎回キャストに当て書いているようで、キャラクターの名前も設定も台詞も今回とはまるで違う。ストーリー自体、今この瞬間この時このメンバーでしか成立しないものになっている。演劇はどれも一回性の芸術だけれど、わたしは幼い頃から宝塚とか歌舞伎とか、虚構性の高い舞台に慣れ親しんできたから、これほど現実と虚構が肉薄して「今」が激しくスパークするのを観たのは初めてかもしれない。 テクニックでは説明のつかないパフォーマンスに、あてがきってこういうことなのか…と、胸を打たれ続けた。ただそこで、全キャストが、伸びやかに、生きていた。ついでに言うと、今時の子達なのでキャスト、スタッフ共にSNSを使ってエゴサしている子達が多くて、わたしのツイートにいいねしてくれたろしたのですが、それも舞台の外にキャラクターが飛び出してきたみたいで、観劇後も何とも不思議でふわふわとした感覚が続いていた。

www.mamagoto.org

不思議といえば、初演台本から大きく二つ変わっていた。1つは、未来の高校生たちが今まさに体現しているはずの高校時代の心情を「あの頃…」から始まるラップでそれぞれ吐露していること。そしてもう一つ、遠い未来の高校に、2019年の女子高生が幽霊として存在していること。

ラップについては、例えば、火星へ引っ越すスピカと入れ替わるように地球へやってきたひかりの場合、病が進行し、病室で寝たきりになっている自分と高校生時代の自分を照らし合わせる。
客席に挟まれる長方形の舞台はそれ自体がカセットテープを模していて、各々の登場人物が「あの頃…」と回想する時には、テープが巻き取られる二つの円のところをなぞるようにステップする。もしくはギザギザの照明が円を縁取って回る。(でもひかりの時だけ回らない…)それぞれが記憶のカセットテープを回している。冒頭、サラがラジカセにカセットを入れて思い出を再生すると、カセット録音の回想シーンに雪崩れ込む流れがめちゃくちゃ好きなのですが、それに加えて、各キャラクターの未来の回想劇という側面が強化されていた。過去、現在、未来の時制が切り替わるというより、同時にある感覚。まるでカセットを録音する時の「録音」「再生」同時押しの身振りのように。
彼女たちが円を描くステップは、文化祭の出し物として、星と人の人生を重ね合わせたラップ(「わが星」の内容にリンクしている)の通り、星の公転でもある。各々の軌道をなぞり、お互いに近づいて星座のように物語を描くこともあれば、離れてもその瞬きを見つめ合う。
もう青春時代なんてとうに過ぎ去った大抵の観客は、目の前で起きる様々なイベントと縦横無尽に弾けるキャラクターに自分の青春を重ねる、と同時に、それを一所懸命に演じる高校生キャスト達にもメタ的に自分を重ねる、と同時に、「あの頃…」と青春を振り返る彼女たちの身振りに今の自分の姿を重ねる、そして極め付けは、幽霊となった〈自らの姿は未来の高校生たちには見られず、彼女たちを可愛いなぁ…と一方的に見つめている〉2019年の女子高生には、強制的に姿を重ねさせられる。というのも、最後に、霊感JKモモ(一番好きなキャラクター。コメディセンス抜群)が幽霊に向かって「可愛いなんて思わないで!あなた達がちゃんとしてくれたら私達がこんな風に悩むことはなかった!」と言い放つから。観客の過去や現在を重ねまくってきた彼女たちが当初の設定通り、起こりうる未来のいるかもしれない登場人物として言葉を投げかける。「学校の外に世界はない」感覚が、世界が衰弱して文字通りの現実になってしまうこと。あらゆる場所であらゆる人たちが何度も繰り返してきたーそれこそオーバーダビングされたカセットテープのようにー青春が、当たり前に未来でも、どこでも繰り返される必要条件はわたしたちの双肩に掛かっている。ただエモさを求めたり、青春コンテンツとして消費しようとする受け手にNOを突きつける、ストレートな台詞が追加されていた。
 
結局ハマりまくって2回観に行った。客席の別サイドから見たことで色々見方が変わったし(スピカとサラのハグはどちらかの表情しか見れない、とか)、あるかもしれない未来のいるかもしれない高校生たちの可能性の一つだからか、冒頭の「女子高生っていいですよねー」のたとえ話から、ピアニカの幽霊のいわれ、ひかりの出身地、呪いのポーズとか、色々違ってたのも面白い。DVDもちゃっかり予約したので(ハマりすぎ)届くのめちゃくちゃ楽しみ。(早く布教したい)
 
しかし、2回とも席はあまり埋まっていなかったな…。そもそも儲かる公演ではないのに、民放局(ytvの宣伝は一切見てなくて、安直な青春コンテンツとしての呼び込みだったか、とか、どう言う経緯で実現したかはわからないのですが)が製作主催を名乗り出て、こんな素晴らしい舞台を作り上げたことは心底尊敬。だから、埋まってなくて本当に悔しかった。私企業である以上、どんなにいい取り組みでも継続するには収益が必要になってくると思うので。
 
ともあれ、わたしにとっては、この夏一番の素晴らしい体験でした。
これからも繰り返し再生するだろう、大切な宝物。
あなたはずっと、わたしの星。