だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

5月のたしなみ。(演劇・パフォーマンス配信編)

5月もほぼほぼ在宅勤務でした。4月以上に調子に乗って色んなコンテンツを摂取しまくったので、いくつかに分けて書いていきたいと思います。まずは演劇・パフォーマンス編!

劇団チョコレートケーキ「遺産」

 「遺産」と「ドキュメンタリー」は、両作観ればより楽しめる程度で考えていたのですが、両作観てようやく完成する、が正しかったです。

「遺産」は、1990年の日本が舞台。ある老医師の遺した戦時中の記録によって彼が封印してきた凄惨な記憶へ遡り、さらに、同じように過去を封印してきた人たちが戦後の日本社会をいかに生きてきたのか、その上で「遺産」とどう対峙するか、というかなりヘビーな話。
本当に当たり前のことなんですけど、作品の舞台になっている1990年ってまだ最近のようにも思えるけど、戦後45年しか経っていない頃で、戦争を経験した人(経験したからこそ当時の記憶を封印し、何も語ろうとしない人も)が数多くいた頃なんだなぁ…というところからのスタート。
老医師の死をきっかけに、第二次世界大戦中に現地の人達を対象に惨い人体実験を繰り返していた731部隊の実態、実験対象の”マルタ”として拘束され、命を奪われたある中国人女性 王さんの姿が淡々と描かれる。研究者として人体解明の志とそれに見合った高い頭脳を持ち合わせている人たちの集団なのに、倫理が失われ非人間的な行いがまかり通ってしまう。真の怖さは、”マッドサイエンティスト”的な個の問題ではなくて、倫理観の欠如を集団で共有化してしまっていること(それが、戦争というものなんでしょうが)。”マルタ”のように名付けのルール化、タスクをルーティーン化することで、どんなに異様な出来事も日常として呑み込めてしまうようになる。

自分や身近な人たちの誤りを忘却せず直視すること。誰しもが人間性を失う懼れを抱いて、いつも正しさを問いかけること。こんなにもシンプルなことがなかなかできないという学び。そして、王さんが言う「もう一度私たちを殺さないで」という言葉。”マルタ”として名前も尊厳も失い、命を落としていった一人一人の人生をなかったことにせず、未来に繋ぐこと。「遺産」は観た人全員に託されたよね、と思った。

実は1990年から30年も経っていて、今や戦争を知る当事者達はほとんどいない。一方で、加害の歴史に光を当てるだけで「反日」あるいは「捏造」と大炎上するような歴史修正がはびこり、特定のコミュニティどころか国民レベルで正しさへの態度を見失い始めている。1990年の世界から30年越しに託された遺産は更にずっしりと重く、どう対峙していけばいいのか、思考を巡らせ続けてている。

劇団チョコレートケーキ「ドキュメンタリー」

 グリーン製薬(ミドリ十字社)社員の内部告発をきっかけに始まる、非加熱血液製剤による薬害エイズ事件の話。3人芝居。フリージャーナリストがインタビューを続けるうち、グリーン製薬の利益重視の社内体質のみならず、企業と政府の癒着や医学界全体の腐敗が浮き彫りになっていく。やがて、会社の創業に731部隊の出身者が多数加わっていたことが明るみになり…。一見すると奇妙な因果に見えるけど、「遺産」と重ね繋げていくことで、731部隊の他者の命の軽視という根から太い幹が伸び続け、あちこちに枝葉を茂らせてきた結果だと腑に落ちる。記憶や記録を隠ぺいしたところで、無くならない。過去と向き合って清算してこなかった報いを最悪の形で受けることになる。この枝葉、まだ茂り続けてるよね?

劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」

令和になった時の浮かれ騒ぎにドン引いていた事を思い出していた。西暦表記がスタンダードになり、天皇と時代がリンクしているとは思えない現代で、もはや元号に何の重要性があるのだろう…という去年の感覚との落差に揺さぶられた。それぞれの個性や志向性が反映されている天皇の御世としての明治、大正、昭和の三時代が描かれる。物語の中心になるのは、明治、昭和に比べて短く存在感が薄い大正天皇。「遺産」からさらに一歩進んで、大正を忘却するための明治時代復古や、病弱で無能な天皇のイメージを国民に流布して皇太子へ権力を移行させることで(明治、昭和天皇との歪な親子関係も面白い)、歴史の抹消のみならず、”書き換え作業”が描かれる。人としての尊厳ではなく、天皇という器の権威を守るため、時代の道しるべが大きく変わっていく。大正天皇の精神的・身体的な人間くささと、"現人神"とのズレ、ねじれは、現代の”生きづらさ”にも通じるテーマでした。

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3作品ともめちゃくちゃ興味深く面白い題材だった!ただ「芸人と兵隊」を観た時の、学生さんに観てほしいなぁ…という印象から大きく覆ってはいなくて、演劇として面白いか/好みか、と聞かれるとそれはまた話がまた違う…。

kotobanomado.hatenablog.com

範宙遊泳「うまれてないからまだしねない」

音が文字としてプロジェクションマッピングで投影されるという特徴だけ知っていた劇団。取り留めのない日常から、ものすごいスピード感でSFに飛躍していきました…。飛躍したはずが、このコロナが蔓延る現実世界にそっくりという皮肉。(ということは、「天気の子」にも。)大雨をきっかけにして、今まで何の疑いもなく当たり前に過ごしてきた世界が、取り返しのつかないほど一変してしまって(あるいは、これまで直視してこなかったから一変したように見えて)、人との関係性も大きく変わりながら、それぞれが弱っていく。そこに、出産を控えた25年前の夫婦の時間軸が何度か挟み込まれていく。てっきりメインストーリーに登場する女性の両親だと思っていたら、実際には赤ちゃんは死産で”生まれてこなかった”。死、世界の終わりと、まだ生まれていない、世界の始まりが奇妙にクロスする… 不思議な作品でした。

庭劇団ペニノ「笑顔の砦」

臭いまで染み付いてそうな程、精緻に作られたアパートの1ルームが、同じ間取りで左右2つ並んでいる。左側には漁師の男性、右側には認知症の女性が住んでいる。思い出したのはアンジャッシュのこれ。

実際は全く無関係な行動をしてるのにお隣さん同士が見かけ上リンクするというコント。「笑顔の砦」は、同様の仕掛けもありながら、逆に全く共通点がなく交わらないはずの人間同士がたまたまお隣さんになることで、ほんの少しだけ人生に影響を及ぼし合ってしまう、という話でした。それは例えば「万引き家族」で、赤の他人が一つ屋根の下で共同生活を送るというようなコミュニティの形ではなくて、あくまで壁を隔てたお隣さんで、「困ったことあったら何でも言ってくださいね」と社交辞令を言いつつ、お互いの生活に興味関心はないけど、薄い壁を隔てて何かが聞こえてきたり、軒先から垣間見える時だけ自分とは異なる環世界が意識に上ってきて、自分の生活がほんの少し揺らぐというような。漁師たちのルーティーン化した永遠に続くような毎日も、ある日突然終わりが来る可能性もあるんですよね。あの脆い1ルームはそんな恐怖から身を守る最後の砦でもある。近くて遠い「そことここ」の話、面白かったです。

MONO「約三十の嘘

1シチュエーションのサスペンスコメディ。うーん…面白いシチュエーションに期待値が上がりすぎたのか、イマイチ爆発力に欠けるような気がしました。「約三十の嘘」というタイトルにもピンときてないので、単に私が台詞に隠れた深い意味(嘘)に気づけてないだけなのかもしれませんが。

iaku「あたしら葉桜」

今月観に行こうと思っていた作品の2018年上演版。岸田國士の戯曲「葉桜」朗読と、それを元に現代劇として書き下ろされた「あたしら葉桜」のセット上演。朗読劇の方は正直やや眠たい感じだったのですが、後半の「あたしら葉桜」は、「葉桜」の設定がこうアレンジされるのか…!という面白さに加えて、母娘の軽快な大阪弁のやり取りから互いの心の内と娘の幸せを模索し合う姿にこみあげるものがあり(独身over30ひとりっこなので…)気づくと泣いてました…。うぅ…これは生で観たかった。

Wir spielen für Österreich

 

オーストリアの公共放送ORFで放送されたドイツ語圏ミュージカルコンサート。Twitter情報では日本では観られないということだったんですが、先月一番の学び「bilibiliには大抵何でも揃っている」を元に、翌朝検索してみたらナンバーごとにチャプターに分かれた完璧な状態で普通にありました。(それはそれで怖い)https://www.bilibili.com/video/BV19i4y1x7fx?

 

Lukasが何言ってるかはわかりませんが何か良いこと言ってる風だったし、Markはリモートでもイケオジ街道まっしぐら、Thomasおじさんがご自宅からほのぼの弾き語りをしてくれたのも新鮮でした。驚いたのは、ソーシャルディスタンスを遵守しながらミュージカルナンバーを歌い継ぐだけではなくて、あえて衣裳やヘアメイク、照明や音響、そして観客といった舞台に欠かせない要素の不在や不完全さ、喪失感を際立たせた演出。こんな時だからこそ何事もなかったかのように華やかに、というのもエンタメの一つの答えなのだと思いますが、舞台を創る人、愛する人達の痛みや哀しみにも寄り添った今回のコンセプトが私には尊く、素晴らしく見えました。

 

SCRAP「のぞきみZOOM」

以前から気になっていたのぞきみカフェのオンライン版。芝居と捉えてしまうと内容のチープさは否めないのですが、現実世界と劇世界を橋渡す面白いギミックが盛りだくさんで、仕掛け絵本的に楽しめた。ジャンル的に正しく言うと、インタラクティブ芝居のようです。生配信は4月10日でしたが、しばらくYouTubeに公開されています。

ツイートしてた通り、かなりグッときてしまいまして…。他の脱出ゲームや謎解きゲーム同様、さまざまな仕掛けから収集した情報を元に、物語に介入して正しいエンドを目指すわけですが、この作品での目指すべきエンドは、実は両思いなんだけど障壁に阻まれてなかなか思いを伝えられないとある男女の背中を押すこと、そして、ふたりを祝福することなんですね。2人の思いを阻む理由こそゴリゴリのフィクションですけど、ゴールはどこにでもいそうなカップルの幸せというごく日常的なもの。見ている人達は、そのささやかな幸せに向けて、せっせとお節介をしていく。つまり、知らず知らずのうちに、モチベーションの原動力が善意になってるんですね。このお節介が見事に功を奏すと、めでたくハッピーエンドを迎えます。彼らからお礼を言われた後、ふと現実世界に立ち返ってハッとさせられる。普段からこうやって積極的に想像力を働かせて他者を思いやれていたっけ、と。逆に、たとえ物理的に人との関わりができない今のような状況でも、ちょっとした工夫で優しくなれるのでは、という手応えも芽生える。タイトルの「のぞきみ」という言葉の持つ後ろめたく剽窃的なイメージを見事に反転させる、しかもそれを自粛警察とか感染者差別とか日々耳を疑うようなニュースが流れてくる今、リモートで提案してしまうというところに、エンタメの粋を感じてグッときてしまったのでした。

「迷宮クローゼット」

オンライン演劇をリサーチしていて行き当たった作品。「ライブシネマ」と謳われていました。有名youtuberの方をヒロインにしているので、自宅からの配信というリアルさは担保されてるわけですが、そこから一気にファンタジーへ持っていく力技はうたい文句の「ライブシネマ」(ライブ映像だけでなく前撮りしたパーツを挟み込む)ならでは。面白いのは、ファンタジーの力を借りて伝えられるメッセージがyoutuberの強い自意識で、それに共感・感動するコミュニティ達が発信する無数のリアルタイムコメントを物語に織り込んでいくこと。私はアーカイブで観ました。内容はなかなかきつかったのですが、リアルタイムで3万人が視聴していたという情報は作品の出来としてとか自分の好みはひとまず置いておいて、受け止めなければならないと思いました。

東京03リモート単独公演「隔たってるね」

 

冒頭の飯塚さんの言う通り、通常の単独公演と比べるとさすがに完成度が劣る気がしたけど、それでもZOOM縛りでこんなにバラエティに富んだコント作りができ、しかも構成・演出がしっかりついて1本の作品になっていたのは感動。 

ハイバイ「ワレワレのモロモロ 東京編」

出演者それぞれの「酷い」実体験を演劇として立ち上げる、7つの短編集。オンラインで観るのにちょうどよい、エッセイのような、漫画のようなのびのび感で心地よかった。これは演劇に対して初めての感覚かも。「『て』で起こった悲惨」みたいに振り返れば笑えるものから、これでディープな長編芝居が書けるのでは…という心底恐ろしい「深夜漫画喫茶」まで、酷さの濃淡は様々。トリの「きよこさん」のインパクトと情緒には頭をガツンとやられ、笑い泣きしてしまった。うん、「きよこさん」はずっと忘れられないと思う。

 劇団ノーミーツ「門外不出モラトリアム」

Twitterの動画でバズった劇団ノーミーツの有料公演。私が観た回は「再演」とのことでしたが、1600名の視聴でした。合計で5000名程だったようです。すごくないですか…?

PVがめちゃくちゃよく出来ていて期待が高まったのですが、冷静に考えてみて、普通の映画・演劇でも2時間もの長尺作品を製作するのは至難の業なのに、制約の多いリモートならなおさらですよね…。オンラインならではのギミックやコンセプトが光ればSNSではバズるけど、この尺はそれだけでは持たない。問われるのはどこまでいっても…というより、飛び道具を扱うからこそより基礎力が重要になるんだなと思いました。(数か月前に選択型演劇を観に行った時と全く同じセリフ)でも普段演劇を観ないような人たちも含め、ネームバリューがほぼなく純粋に”面白さ”が動機づけになっている作品に2000~2500円払って観てるという現象は特筆すべきだし、その人たちにどうやって劇場まで足を運んでもらうか、ということは真剣に考えるべきですね。

DAZZLE「Labyrinth 東京C」

 

オンラインイマ―シブシアターと銘打った短編作品。ミニクリップの中で物語の続きを選べる二択が出てきて、youtubeコメント欄の多数決で次の映像が配信される。システムが想像以上に原始的で切れ切れ視聴になったけど(今は再生リストになってるので、映像の選択はできませんがシームレスに見れます)、雰囲気がとてもよい(「サクラヒメ」のトラウマをまだ引きずってた…)!!次回作「NORA」のプロモーションを兼ねた企画だったようで、こういうプロモーションの仕方って、イマ―シブシアターに限らずできるよね…(作品・キャスト情報はまた別素材で作るとして、世界観の提示)と思った。

リモート演劇の旗手たちに聞く

めちゃくちゃ面白かったですね…。オンライン演劇を企画・上演するためのアイディアからテクニカル面の気づき、工夫。オンライン演劇の可能性、そもそも演劇やコミュニケーションの本質とは…?という内容。たとえ実際にオンライン演劇を実施せずとも、この状況下での可能性や傾向を模索するために、演劇関係者は見た方が良いと思った。

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余談。

5月の演劇関係はこんな感じでした。オンライン演劇、盛んになってきましたね。海外作品の情報も目にしていたのですが、言葉のハードルが高くて試聴を諦めました…(語学力0)。あ、英語力がなくても大丈夫という噂の「Eschaton」には6月参加予定です。

chorusproductions.ticketspice.com

あと、Disney+で「ハミルトン」が配信されるようなので、それは観てみようと思ってます(サブスク沼)。

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苦境を迎えている演劇業界ですが、様々な制約のある中でも、演劇体験、あるいはジャンル横断的な新たな体験の可能性を模索する動きが同時多発的に起きていて(それは演劇業界に限らず、旅行、飲食などでもですが)、とても心強く、ワクワクしています。一方で、(こちらではあまり仕事の話は書かないようにしようと思ってますが)演劇関係者の端くれとして焦りも感じています。モノからコト消費が急激に進んでいた中での突然の接触NGの流れなので、今後「体験」に対しての欲求や価値観とそれに応えるサービスの在り方が大きく変化することは確実。でもそれがどう転ぶか、まだわからない…。とりあえず今目標にしたいのは、劇場再開できて良かったね、じゃ元通りで!以上!ではなく、演劇体験の濃度や付加価値のバリエーションについて引き出しを増やして、これまでの演劇体験+αの取り組みができないか、ということ。ピンチをプラスに捉えたい!

最後に、オンライン演劇をいくつか観た気づきメモ。

・ 劇場は非日常へと導く滑走路的な役割をしているけど、画面のこちら側も向こう側もド日常(自宅)から始まってしまうので、物語を非日常へいかに飛躍させるか(テクニカル面での課題でもある)。劇場では、パフォーマンスする側と観る側が、一回限りの場と時を共有する一方で、オンライン演劇では「時」しか共有できないが、劇場にはないそのド日常性を活かして、なおかつ同時性の証明のために、画面のあちら側とこちら側の場をいかに結び合わせるか、の実験。

・客席から舞台面に没入させるという一つの大きなベクトルではなく、注意散漫(マルチタスク、マルチデバイス)的な作り。コメント実況(それが物語に組み込まれる。メタ的な視線。)や見ながらリサーチする仕掛け。これも「時」の強化に繋がるが、観客の年齢や普段のデジタルデバイスの使用方法によっては、これが効果的ではない場合もある。