だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

8月のたしなみ。

続いて、8月のまとめ!(色々抜けているものもあるけど潔く無視!)

宝塚宙組『FLYING SAPA』

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宝塚宙組『壮麗帝』 

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Kミュージカルシネマ『モーツァルト!』

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スウィンダラーズ』@prime video

騙し騙されの詐欺映画。ビジュアルから「コンフィデンスマンJP」的な軽快なものをイメージしてたけどそうでもなかった。最後どんでん返しはあるものの爽快感は感じず。ヒョンビン氏もあまり役にあってなかったような。

『告白』@prime video

原作が好きじゃなくて(日テレが好きそうなテイスト)後回しになっていた映画。中島監督の映画は、女優さんが美しさ可愛らしさや男性にとっての癒し、マスコット的なものを求められずに、とことん気持ち悪さを曝け出せるのがめちゃくちゃ好きなんですが、この松たか子も不穏で気持ち悪くて最高でした。序盤のHRシーンの過剰さが中島監督らしくて圧巻でしたね。

『イーライ』@Netflix

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ホラー好きの知り合いからお勧めされたもの。中盤まで「エヴォリューション」「ユージュアルネイバー」のような信頼ならない大人達の話に心霊を混ぜた感じ?と思っていたら、まさかの悪魔爆誕で笑いました。なんやこれ。

『クェダム』@Netflix

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Netflixオリジナルの韓国短編ホラーオムニバス。韓国ホラーに興味があって観てみたけど、話は「世にも奇妙な物語」的というか割とありがちな展開。謎のクリーチャーがやたら出てきたりグロさを無理やり過剰に足し込んでいく感じが好みではなかった。

『スクリーム』@WOWOW

わたしが小学校の頃(1990年代)って、テレビではいくつも心霊番組やってたし、POV方式の「ブレアウィッチプロジェクト」とか「スクリーム」とかJホラーとか、当時の社会情勢やメディアをうまく取り込んだホラー映画の新たな潮流が生まれて、今思えばホラー全盛期だったんですよね。大人になってから、その頃の映画をちまちま観るのが楽しみになっていて、「スクリーム」もずっと気になってた映画のひとつでした。

ただ、その頃「最終絶叫計画」というのもあって、いつの間にかわたしの中で内容がごっちゃになってた。「スクリーム」は過去のホラー作品をメタ的(「キャビン」的な)に引用したりオマージュする、かたや「最終絶叫計画」はホラーだけじゃなく流行った映画のモチーフをパロっている。こちとら「最終絶叫計画」のイメージで見ているので、え、意外にまとも…!という裏切られた気分で終わりました…。あと、わたしはホラー映画をまんべんなく観ているわけではないので引用されているネタに反応できなかったのは悲しい…精進します…。

『テイルフロムダーク』@Netflix

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これもホラー好きの知人からお勧めされたもの。内容はともかくとして、中華ロケーションを存分に楽しめる作品。

NHK『JOKE』

クドカン脚本のほぼ生田斗真一人芝居状態のリモートドラマ。「リモートで殺される」と「ダブルブッキング」の間くらいのサスペンス・コメディ感。

2作になかった設定としては、人間の代わりに2台のAIが日常生活の相棒になっていることと、芸人の主人公がYouTubeで生配信中という設定で、主人公もテレビを見ている私たちにとっても見知らぬ不特定多数の誰かが閲覧しコメントを残していくところ。この2つの要素が社会風刺もまじえながらブラックに絡み合っていく。AIの"ボケ"や、あるいは人間のボケに対してのマジなツッコみのうすら寒さ…。

坂口理子「フロイデ」

やる気も自信もない音大生たちと、戦時下で音楽を諦めざるを得なかった幽霊たちとの邂逅。この手の戦時中の人たちと現代人がクロスしたりタイムスリップしたりする話は山ほどあって、ちょうどこれを読んでいる時にもNHKのひろしまタイムラインが話題になっていたり、ちょっと前にはホロコースト時代にもしもインスタがあったならという企画も見ていたので、物語そのものよりは、当事者が少なくなった出来事を語り継いだり、身近に感じられるようにするための仕掛けについて考えていた。

話がずれるけど、とある学生が、自分が読み終えた本がフィクションだと知って「なんだ嘘か、泣いて損したわ」的な、リアクションをしたという話を聞いて、そういうのも怖いなと思ってる。ノンフィクション、フィクションは当然ながら簡単に切り分けられるものではなく、例えばドキュメンタリー映画でも、誰かの主観的観点に則って編集されるわけで、ピュアな客観的事実ではない。でも意外とその感覚を獲得してこなかった人は多くて、SNSなんかを見てもやっぱり真実、嘘の単純な二分化で憤ってる人がめちゃくちゃ多い。例えば、芸能界なんてイメージを売り買いする世界なので、そこに真実を求めてしまうと何もなくなってしまうのに、そこに少しでも嘘を嗅ぎ取るやいなや全力で糾弾して叩き潰してしまう。そういう嘘を嫌う人たちが増える中で、”物語”がどれほど有効性を持てるのか、あるいは、そういう人たちだからこそ参加することによって真実らしさ(あくまで”らしさ”でしかなく、「1917」なんかを見てもそれはそれで怖さを感じる)が担保されるイマーシブシアターや、物語から人物を取り出してSNSに移植したひろしまラインがウケるのか、その辺りに関心がある。

全く本の感想ではなくなってるんですが、戦時中の人たちとの邂逅の話を続けるならば、現代人達に今の時代は恵まれていると再認識させ、やる気を奮い立たせる都合の良いトリックスターに仕立てるのは罪だなと感じています。