だらだらノマド。

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『INTO THE WOODS』@梅田芸術劇場メインホール 感想

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映画版は観たはずなんだけど、ほぼ記憶に残っていなかった。

ストーリーテラーの語りによって幕開けると、シンデレラ、ラプンツェル赤ずきんちゃんら、おとぎ話のキャラクターが息付き始める。

魔女が自らの欲望を満たすために、パン屋夫婦の欲望をかき立てて深い森へとミッションに駆り出させれば、まるでドミノが倒れるように欲望が欲望を呼び、別々の物語に住まうはずのキャラクターたちが奇妙に出逢い、お伽噺が溶け合っていく。
それぞれの持ち物が交換されたり人生が交錯したり、と、歌舞伎のだんまりのような暗い森の中でのスペクタクル。1幕では、曲がりなりにも、パン屋夫妻はミッションクリア、赤ずきんは無事オオカミのお腹から生還、シンデレラは王子と結婚、ジャックはお金持ち‥と、それぞれのハッピーエンドらしきものまで漕ぎつける。1幕が永遠に続くかのような長さだったのだけど、ここで「めでたしめでたし」とは終わらない。2幕では、ストーリーテラーが途中でいなくなり、取り残されたキャラクターたちは幸せを綱引きのように引き合い、不幸の責任は醜くなすりつけ合いながら、巨人の犠牲になって次々に死んでいく。
ここまでくると、ハッピーエンドの概念が変わって見えてくる。ただ気づいていなかっただけで、主人公のハッピーエンドの陰で誰かが泣いていたのかもしれない。いつだって「誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ みんなの願いは同時には叶わない」(by宇多田ヒカル)。
混沌を彷徨う、生き残った赤ずきん、シンデレラ、パン屋夫は、それぞれの物語内で与えられたキャラクターの役割から脱して、新たな関係性を築きながら、真っ白なページを描き始める。人は誰かを必要としている、でも、それぞれの幸せは共存しない(誰かがその代償を支払う)かもしれないと知った上で。

御伽噺の形式を借りた人生の寓話でありながら、その上メタ構造にもなっていて、2幕ラストには、物語とは?物語るとは何か?みたいな境地にまで辿り着いて、知恵熱が出そうになった。(理解できていないことが山とある)

…しかしこれ、必要以上にややこしすぎませんか。というのも、複数のお伽噺が掛け合わせって、シンデレラとか赤ずきんちゃんとかお馴染みのキャラクターがベースになりつつも、少しずつズラされてるし、メタ構造を強化するためか、全体的に普段ミュージカルではなかなか聴きなれない超口語訳(翻訳・訳詞:早船歌江子)になっていて、大阪弁のノリツッコミ、歌舞伎調の大仰な芝居、アクロバティックにぐるぐる回される魔女、王子達の芸人感…お伽噺の世界とは相容れない現代日本のバラエティノリがまぶしてある(しかも早口)。文脈に満ち満ちてあまりにハイコンテクストすぎる。

演出は熊林弘高さん。確かに斬新ではあるけど、もはや混線としかいいようがなくて、果たして有効だったんだろうか。私には狙いがよくわからなかった。

家族や結婚のような社会規範だったり物語内あるいは家庭内・性別で決められる役回りと、メタ構造になっている物語内外でのそれらの摩擦みたいなものもテーマの一つになっていると思うのだけれど(この辺りは河合隼雄さんの本を読み返したいなと思った)、今の時代に再演するならば、むしろこういう側面への+αが必要だったのではないかなと感じた(このバージョンしか観てないので、実はオリジナル版からプラスされてたりした?)。

と、演出への疑問はあるのだけど、ネットで炎上していたような「ストレートプレイの演出家はミュージカルを手がけるな」と言いたいわけではない。そんな十把一絡げ、不毛なだけなので。(私は意地悪な人間なので、逆に、手掛けるミュージカルを宝塚フォーマットで蹂躙していく小池修一郎に何でもかんでも依頼するのはアリなの?と思う。)

全ては、作品と演出家を掛け合わすプロデューサーのセンス。そして、選ばれた演出家のセンスと作品の理解力に依る。演出家に音楽の知識が足りないのであれば、音楽監督に然るべき人をたてて補っていけばいい。今回が失敗だったと思うなら、そのセンスと理解力がなかった、ただそれだけだと思う。

キャストについて。

望海さんはよくわからないキャラクターだったけど、相変わらず脇目も振らずぶっちぎっていた。このスキル的にも芝居的にも一人ぶっちぎるというのが望海さんの特性で、逆にN2Nみたいな役はニンではないという認識なので、純粋にどうなるんだろうと次回に興味津々。わたるさんとコムさんはいわゆる”客寄せ”なんだろうけど、それにしても、あまりに勿体無かった。

hキャストの歌唱力についても大炎上していた。確かに、古川さんや滝内さんの歌はかなりしんどい。お芝居としても、そもそも熊林さんの狙いを理解できていないので、面目躍如とまで感じられず、お二人とも映像で素敵な姿を知っているだけに、実力が存分に発揮できない歯がゆさみたいなものを観てるこちらも感じてしまった。

ソロよりむしろ「Into the woods」のように掛け合いが成立していないのが悲しい。終盤の「No one is alone」も、本来ならばある種のカタルシスを生むシーンなはずなのに、音程が行方不明で全く締まらない(「4Stars」でめちゃくちゃ上手いのを聴いてしまっている)。

ただ、これも「ミュージカル役者以外をキャスティングするな」というつもりは毛頭ない。(なんか演劇・ミュージカル・映像の境界をやたら引きたがるけど、何でなんだろう…それも不毛なだけでは。再び意地悪発言をすると、歌・芝居できない癖にミュージカル俳優として幅を利かせている人たちの方がよっぽどタチが悪いと思ってるよ。)これもひとえにプロデューサーと演出家のキャスティングセンスの問題だと思います。

あと、そもそも、炎上ポイント以前に、これってかなり変なミュージカルですよね…?それを、あたかもグランドミュージカルなていで、宝塚ファン率の高いお客さんに向けて上演するって、ターゲット層が合ってなさすぎる(映画版もディズニーが作っていてほぼ詐欺状態だったけど)。これが最大の敗因では、と思った。

いやーしかし近年まれに見る酷い叩かれようだった。賛否そのものはどうでもよくて、この作品は叩いてOKみたいな空気感に辟易した。中身がほぼないと言っていいボディガード』の作品の欠点をためらいがちに書いてる人が、この作品に対しては拒絶の一言みたいな。

とにもかくにも、私の中ではまだ消化しきれてない部分が山とあるので、1幕の異様な長さに再び打ち勝てるかは不安に感じながら、機会があれば、また観てみたいと、願う!