だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

忘れられない旅「藍色飯店」。

今更ながら、HOTEL SHE,による「泊まれる演劇」第3弾「藍色飯店」の備忘録。

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「泊まれる演劇」シリーズは、立ち上げの頃から知ってはいたものの、勇気のいる価格設定なのでずっと二の足を踏んでいた。今回は、イマーシブ仲間に誘ってもらい、ツインルームに宿泊することに。

 

チェックイン

舞台となるHOTEL SHE, OSAKAは、弁天町駅から歩いて5分ほどにあるミレニアル世代向けのオシャレホテル。

www.hotelsheosaka.com

「泊まれる演劇」のプロジェクト自体、このHOTEL SHE,を運営するL&G グローバルビジネスがホテルの体験価値向上を目的に企画したものなんですよね。キャスト・スタッフはゴリゴリの演劇畑ではあるものの、企画者がいわゆる“門外漢“。私がなかなか踏み出せなかったのは、これに懐疑的なためでもあった。

「藍色飯店」の名の通り、ホテル館内は世界観に沿った中華風の装飾がされている。

チェックイン時に招待状とルームキーが手渡される(予約から宿泊まで間がある場合は招待状が郵送される?)。いったん部屋に荷物を置き身支度を整えて再びフロントへ。

首から下げられる旅の通行証(木札)をもらい、代わりに、スマホや時計など時間のわかるものを預ける。ここから既に、今回のテーマになっている「時を忘れたホテル」の仕掛けが始まっている。参加者が揃うまでウェルカムドリンクを飲んだりして時間を潰していると、隣に謎のお婆さんが腰掛けていたりして、わーもう始まってるんだ、とワクワク。リアルとフィクションの境界があやふやになっている。

参加者は20人ほど?全員揃えば、中庭でまず物語の導入パフォーマンスが5分ほどを観る。そこからは完全自由行動に。3階建てのホテルの客室10部屋ほどがパフォーマンス専用の部屋になってる。このパフォーマンス専用部屋の扉には、幾つかポケットが付いた木札入れが掛かっている。部屋によってポケットの数はまちまちで、これに空きがある時だけ自分の持ってる木札を入れて中に入ることができる。

いざ部屋の中へ

同行者と別れて、私が最初に入ったのは、列車の部屋。扉を開けると、コンパートメントタイプになった4人がけの席に一人旅の女性が座っていて、その向かい側に参加者2名が座って和やかにお話していた。女性は弁天町行きの切符を握りしめている。ある男性と駆け落ちをするため待ち合わせ場所に向かっていること、でもまだ決心が揺らいでいて悩み続けていること、お相手はかつて事故にあった時に助けてくれた命の恩人ということを教えてくれる。そんな身の上話の合間に参加者に旅行や恋の話を尋ねてくる。「時を忘れるほどの恋をしたことがある?」と聞かれて目が泳いだ。

「スリープノーモア」が大好きなのは、もちろん圧倒的なクオリティの高さもそうなんだけど、そもそもジャンル的に「参加者がいないもの(アノニマス)として扱われる」イマ-シブシアター(なのに1on1でその均衡が突如として破られること)だからなんですよね。

kotobanomado.hatenablog.com

コミュニケーション能力を振り絞って物語に能動的に参加しなければというストレスのないまま、その世界観に没入できるというメリット。なので、「藍色飯店」のHPには、確かに「あなたも物語の一役に」と書いてあったけど、1部屋目の体験後は、うわーーー苦手なやつ来てもうたーーー。これ何部屋も回るのきついーーーーと泣きそうになった。
ホテルの部屋という逃げられない密室で(しかも扉を開けないとどんなキャラが待ち構えているかわからない)、キャストとのアドリブ芝居によって世界が築かれていくイマーシブシアターって…私来たらあかんやつやん、と。
2部屋目からは、サシでキャストとコミュニケーションを取り始めるという最悪の事態だけは避けるため、できる限り既に木札が刺さっている部屋に入ることにした。川の底でおじさんの幽霊と一緒に横揺れしてみたり、森に暮らすおじさんと何故かままごとをしたり、お婆さんとお墓にお花を供えたり、小さな女の子とお絵描きしたりしているうちに、あれ…?もしかしたら、なんか楽しいかもと思い始めた。(バスを待つお兄さんとタピオカルームには行けてません)
部屋それぞれにはキャラクターが一人ずつ「時を忘れた」状態でいて、5〜10分ほど?のパフォーマンスを繰り返し(とはいえアドリブなので、完全なリピートではない)行っている。そして、いくつか部屋を巡っているうちに、キャラクターたちがそれぞれ話していることが、実は一つに繋がってるんじゃ…?という推測が生まれる。昔事故にあった女の子、バス事故で死んで幽霊になってしまった運転手。お母さんを探しに家出した女の子、森で迷う家出少女を匿う森のおじさんなどなど…。

加えて、部屋を巡ることで自分の記憶を辿ってることにも気づく。知らない誰かに思い出話を語ることなんてあっただろうか?一緒に遊ぶことも。お墓の前で、大切な人が亡くなった経験を聞かれ、答えてそれをお婆さんが受け止めてくれた時は思わず泣きそうになった。いや普通に考えると、出会って早々、赤の他人にこんなプライベートなことは話さないし、そんな質問は不快に感じることかもしれないんだけど、なんかスッと染み込んできた。

物語を探求できるような仕掛けがたくさん施してあって世界観に没入することができる一方で、キャラクターたちの喜びや不安や後悔に共感しながら、自分にも跳ね返ってきて思わぬ形でメンタルケアをしてくれるような不思議な体験(この辺りは、ちょっと「エブリブリリアントシング」を思い出した)。

ただ、コミュニケーション型のイマーシブシアターの上にさらにハードルを課している形になるので、これは好き嫌いが分かれやすく、ただ不快を引き起こす可能性もある、危険な賭けでもあると感じた。

ブリッジ〜後半戦

謎めいた支配人とのサシ部屋で謎が加速したり、無人の305号でホテルのスタッフさん(に扮したキャスト)が思わせぶりな言葉を残したりと、頭が???でいっぱいなるようなことも起きつつ、あれ?これなんか物語繋がってない?と気づき始めたくらいで、キャラクター達が移動し始めた。

タピオカ引きこもり少女、電車に乗っていた一人旅の女性、うさぎをお絵描きしていた女の子の3人がフロントに集まりお話しし始める。ここでこの3人が同じ経験をしていて同一人物なのでは?疑惑が強化される。

そうこうしていると、いつの間にかパフォーマンスの部屋のいくつかが入れ変わったり、同じ部屋でも中にいるキャラクターとパフォーマンス内容が別物になっていた。ここで、参加者だと思っていた女性が実はキャストだったことが判明したり、無人だった305号がバス停の男の人の部屋になっていたり、扉を開けるごとに謎が謎を呼んでいく。(ちなみに、もう一人参加者に混じった男性キャストがいたらしいのだけど、それを知ったのは帰宅してパンフレットを読んだ後。想像以上に込み入った仕掛けに驚愕して、この後1週間以上ずっと『藍色飯店』の話をしていた。)

パンフレットの表紙に、螺旋階段を女性が上る姿が描かれているのだけど、登場する女性達は実は一人の女性の人生のどこかなのかもしれない。ここで女性達と相手の男性(支配人とバス停で待つ人)をバス事故が取り結べば話は一本につながるのだけれど、それぞれのキャラクターたちの話が矛盾していたり、はぐらかされてしまって辻褄は合わないまま(矛盾を解き明かそうとしつこく質問しまくるのも無粋だと思うし)。

とはいえ、幼少期から老年期までの人間の一生を垣間見て、なんならお墓で祈ったり幽霊のおじさんに遭遇することで死まで思いを馳せて、壮大な人生の旅路を走馬灯のように体感した。
部屋チェンジ後の後半戦、幽霊のキスケさんがアボリジニのドリームタイムを引き合いに出しながら、時間の概念を教えてくれる場面があった。もううろ覚えなのだけれど、時間は過去→現在→未来と流れていくのではなく、それぞれが同時に存在している、的なことだったと思う。そうなると、この一本に繋がらない問題も何となく納得できてしまう。それこそ、直線ではなく螺旋を描くように、いろんな可能性(あったかもしれないこと)も含めたようなそれぞれの息づきだと。
個々の部屋でのパフォーマンスが終わると、ロビーで全員が集結してエピローグが始まる。電車で一人旅をしていたお姉さんがチェックアウトして時間の環が閉じる。

天才では

いやもう端的に天才だなと思った。まず、ホテルでイマーシブシアターをやる意義がしっかりあるところ。元々、旅行・宿泊する行為って現実からの浮遊感がある。ホテルという場所はそれをフィクションへの浮遊感とないまぜにできる唯一無二のロケーションなので、もうまずもって、体験の結びつけ方が素晴らしい。

加えて、HOTEL SHE,の運営会社が企画してるという強み。宿泊・飲食までも包括的に物語世界に紐づけていて、HOTEL SHE,と物語内の藍色飯店が二重写しになる強い没入感が味わえた。

「時を忘れる」というテーマも物語とルールの両面からこの没入感を支えていた。パフォーマンスの始まりと終わりは一応存在するけど、あえて何時から何時までと告知しない。宿泊・飲食体験は朝まで続いているので、参加者の想像力も手伝ってチェックインからチェックアウトまでずっと物語の予感と余韻に満ちているんですよね。(宿泊後に「藍色飯店」に繋がる電話番号まで用意されていた。)普段は何気ない事務作業であるはずのチェックイン・チェックアウトにも物語的意味を持たせていて、特にチェックアウトは、パフォーマンスから一夜経っているはずなのに何だか満たされた気持ちになったほど。このおかげで、「旅」と「物語」を橋渡ししてシームレスに「物語(フィクション)を旅する」になっていたと思う。もう天才では(しつこい)。

ちなみに、私たちはお腹が空きすぎてパフォーマンス開始後真っ先にルーローハンを食べてしまったんだけど、パフォーマンス後に感想を言い合いながら食べると尚更世界に浸れたんだろうなと思う。朝食はこんな感じ。

部屋の活かし方も興味深い。まず扉を開けて新たな世界へ入るという行為がもう素晴らしいよね。小さな物語を集めて大きな物語へ接続する過程を、物理的にも、小さな部屋での一人ずつのパフォーマンスからフロントへ移動してキャラクター同士のコミュニケーションを取らせたり、更に部屋を追加したりシャッフルするという工夫で表現するのも、決して広くはないパフォーマンス空間を最大限に活用して面白かった。

パフォーマンス後には、無人になったパフォーマンス部屋(ここにもちょっとした仕掛けがある)が解放されていて自由に入って写真を撮ることもできる。これも物語の余韻を感じたり、他の参加者との情報交換で物語を補強できる場として機能していた。

あと、特筆すべきは、DAZZLE、ホテルアルバート×2を経験してきて、ネックだった脚本のクオリティがクリアされていたこと。今まで書いてきたようにまず発想と仕掛け自体が天才的なのだけど、それをしっかり演劇に落とし込めていたことに感動した(脚本・演出は、「悪い芝居」の山崎彬さん) 。

おまけに、中華風の異国情緒の味付けも程よかった。例えば、これが日本のどこかだとここまでときめかなかっただろうし、欧米の設定だったら特にコミュニケーションを取るタイプのイマーシブシアターとしてリアルとのギャップに冷めてしまってただろう。絶妙なさじ加減だったと思う。自分はノンバーバーバルのイマーシブシアターが好みだと思ってきたはずなのに、面白い脚本なら台詞ありのイマーシブシアターもありだね、と簡単に心変わりしてしまった。

でも、それは脚本・演出を具現化するキャストの力あってこそ。とてつもない対応力で、参加者とのコミュニケーションが主となる芝居を繰り広げてくれて、ただもう素晴らしかった…。こちらが上手い返しをできずとも物語世界を壊さず盛り上げてくれるし、詮索しすぎる人に対しては上手いことはぐらかすし、本当にキャラクターがそこにいるという臨場感。
そういえば、キャストはみんなマスクをしていたのだけど、マスクも衣裳と合わせたデザインが施されていて、マスクもキャラクターの一部になっていて「マスクしてるな」と現実に引き戻される感覚は全くなかった。なので、この写真も新鮮だったな。

唯一気になったのは、イマーシブシアターでどうしても気になってしまう感染対策。この頃は第6波前で感染者が少なかったとはいえ、劇場はアクティングエリアから観客まで2mルールを守っているのに、密室空間でキャスト・他の参加者と至近距離で会話するのはなかなかリスクが高い。ドアノブとか小道具の接触も多々あるし。正直、感染状況次第で私は行けないなと思った。

既にこの次の「泊まれる演劇」が終わり、山崎さんが手掛ける新作の告知も出ている。SNS上ではまだまだ演劇好きには広がっていない感覚があるので、もっともっと広まってくれればいいなー(でもより一層チケット取れなくなるか…)。

わたしも感染状況が落ち着いてくれるのを祈りながら、次はどんな旅に連れて行ってくれるのか、今からわくわくしてる。

ひとまず、最高の旅をくれた藍色飯店に半年ぶりに謝謝!!