だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

ロンドン旅その3(諸々のスポット・交通・食事の羅列)

その3は、ごった煮羅列スタイルで行きたいと思います。

その1・2はこちら。

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  • フォートナム&メイソン
  • コヴェントガーデン(Covent Garden)&ニールズヤード(Neal’s Yard)
  • チャイナタウン
  • オスカー・ワイルド像
  • クリミア戦争記念碑(Guards Crimean War Memorial)とバンクシー新作(Man Blinded by Flag)
  • バラマーケット(Borough Market)
  • レドンホールマーケット(Leadenhall Market)
  • V&A博物館
  • 交通の話 地下鉄
  • その他電車 チャリングクロス駅(Charing Cross)
  • リヴァプールストリート駅(Liverpool Street)
  • リヴァプールストリート駅周辺(丸亀製麺~ホワイトチャペルの話)
  • セントパンクラス駅(St Pancras)
  • キングズクロス駅(Kings Cross)
  • 食べたもの
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ロンドン旅その2(劇場めぐり・ホテル周辺の小径)

その1(宿到着まで)はこちら。

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さて、ここからは時系列ではなく、行ったスポットをジャンルごとにまとめていきたいと思います。その2は劇場めぐりとホテル周辺の小径について。

  • ホテルの立地が最高すぎた
  • 劇場めぐり
  • ホテルから徒歩3分圏内にあった小径① セシルコート(Cecil Court)
  • ホテルから徒歩3分圏内にあった小径② グッドウィンズコート(Goodwins Court)
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ロンドン旅その1(出国・不時着・ホテル編)

というわけで、ようやく本題のイギリス旅です!

プライベートではないので、大英博物館やバッキンガム宮殿のような、これぞロンドン!なスポットにはあまり行けていません(とはいえ仕事にしては遊んでる)。

その1は、出発~ホテル到着編です。

  • 羽田空港からの出発~パワーラウンジプレミアム
  • 飛行機機内(機内食・機内エンタメ)
  • 知らん空港に不時着
  • Hub by Premier Inn Covent Garden
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ロンドン旅行記を書く前に その③:Joseph Merrick 'The Elephant man'

ラストとなるその③です。

London Museunの記事 和訳です。

Joseph Merrick: 'The Elephant Man' | London Museum

その①②はこちら。

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ジョゼフ・メリック―「エレファント・マン」

ジョゼフ・ケアリー・メリックは、19世紀後半のロンドンで、ホワイトチャペルの人間を見世物とする「展示物(human ‘exhibit’)」として広く知られるようになった。

身体的な障害があったことから、彼には「エレファント・マン(象人間)」という芸名がつけられた。

ロンドン病院でもっとも有名な入居者

ジョゼフ・メリックがロンドン市民に知られるようになったのは、1880年代のことだった。彼はホワイトチャペル・ロードで行われていた見世物の一員で、その外見から、「半分人間、半分象(Half-a-Man and Half-an-Elephant)」として一般の人々に宣伝された。このような人間を「展示」する見世物は、ヴィクトリア朝時代には大衆娯楽として許容されていた。

1862年にレスターで生まれたメリックは、骨や皮膚、その他の組織に生じた増殖性の病変が、時間とともに大きくなっていった。それらは次第に彼の身体の動きを妨げるようになり、話すことも困難にした。

19世紀の多くの障害者と同様、メリックも差別や孤立、仕事を見つけることの困難に直面した。やがて彼は、レスターのユニオン・ワークハウス(救貧院)に入らざるを得なくなる。そこは、ヴィクトリア朝社会の貧困層や弱い立場に置かれた人々が、劣悪な環境のもとで働き、生活する施設だった。

メリックは、金を稼ぎ、救貧院から自由になるために、人間を見世物とする興行に加わることを自ら決意した。 興行師たちが彼の外見を利益のために利用する巡業生活は、わずか数年間しか続かなかった。その後、彼は再びホワイトチャペルへ戻り、ロンドン病院(London Hospital)で残りの生涯を送ることになる。

メリックはどのようにホワイトチャペルへやって来たのか

1884年、メリックは「人間珍奇ショー(human novelty exhibition)」の一員になるため、レスターのミュージックホール経営者サム・トー(Sam Torr)に自ら連絡を取った。

ミッドランズ地方で数か月を過ごした後、メリックはホワイトチャペル・ロードにある店舗へと移った。そこで彼を取り仕切ったのが、「シルバー・キング(Silver King)」の異名で知られた、成功した見世物興行師トム・ノーマン(Tom Norman)だった。

興行では、『ジョゼフ・ケアリー・メリック自伝(The Autobiography of Joseph Carey Merrick)』と題されたパンフレットが販売され、その売上利益の半分をメリックが受け取っていた。

このパンフレットは一人称で書かれており、彼のいわゆる「身体の変形(deformity)」について説明するとともに、継母のもとで過ごした厳しい生い立ちや、仕事を見つけるうえで直面した困難について語っている。

「私は、街を歩けば人だかりができてしまうため、自由に出歩くことさえできなかった」
――『ジョゼフ・ケアリー・メリック自伝』、1884年

この文章のどこまでをメリック本人が書き、どこまでを彼の興行師が書いたのかは、はっきりとはわかっていない。しかし、これをメリックが自らの身体について語る権利を自分自身の手に取り戻そうとした試みだったのではないか、と考える人々もいる。

そしてこのパンフレットからは、メリックのような障害者が当時直面していた、周囲からの偏見やさまざまな困難をうかがい知ることができる。

「私の身体の変形はあまりにもひどくなり、街を歩けば人々が私の周囲に群がってしまうため、出歩くことさえできなくなった」とパンフレットには記されている。

ヴィクトリア朝の娯楽

ヴィクトリア朝期のロンドンでは、人間―とりわけ、身体的な特徴が他者と異なる人々や、「普通ではない」と見なされた身体を持つ人々―を公衆の前で見世物として展示することが、娯楽の一種と考えられていた。

ロンドン博物館のコレクションには、ピカデリーのエジプシャン・ホール(Egyptian Hall)のような著名な興行施設で行われたショーを宣伝するため、「freaks(奇形・異形の見世物)」や「curios(珍奇なもの)」といった、現在では侮蔑的とされる言葉を使用した芝居番付や広告も残されている。

こうした見世物興行の背景には、ロンドンの縁日やサーカスの長い歴史がある。なかでも悪名高かったものの一つが、シティ・オブ・ロンドンのスミスフィールドで何世紀にもわたって毎年開催されていたバーソロミュー・フェア(Bartholomew Fair)だった。そこでは1600年代という早い時期から、他の大陸から連れてこられた人々を含む、人間そのものが見世物として展示されていた。

イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースは、この光景を、「怪物たちの議会(a parliament of monsters)」と呼んだ。

19世紀末に近づくにつれ、こうした見世物興行に対する世間の風向きは変わり始めた。人々が、それを人間を搾取する非道徳的なものと考えるようになっていったのである。メリックの見世物も、開幕してからほどなくして当局によって閉鎖された。

巡業生活の終わり

メリックは新たな興行師とともにヨーロッパ各地を巡業し、約50ポンド―現在の価値にして5,000ポンド以上―の貯金を蓄えた。しかし、その興行師はメリックから貯金を奪い、ブリュッセルに彼を置き去りにした。 この出来事は、搾取的な興行師たちに対してメリックがいかに弱い立場に置かれていたかを示している。

それでもメリックはなんとかロンドンまで戻ることができ、1886年6月、外科医フレデリック・トリーヴス(Frederick Treves)によってロンドン病院に収容された。

トリーヴスが初めてメリックに出会ったのは、病院のちょうど向かい側、ホワイトチャペル・ロードで行われていた見世物興行だった。トリーヴス自身もまた、1882年12月、ロンドン病理学会(Pathological Society of London)でメリックを医学的な「展示」の対象として紹介していた。

ホワイトチャペルのロンドン病院での生活

メリックは、その後の人生をすべてロンドン病院で過ごした。

『タイムズ』紙を通じて寄付が呼びかけられ、その資金によって病院内の部屋が改装され、メリック専用の居住スペースが設けられた。病院で暮らすようになってから、メリックはヴィクトリア朝の社交界でもよく知られた存在となり、今度は好奇心を抱いた上流階級の訪問者たちが彼のもとを訪れるようになった。その中には、ウェールズ公妃アレクサンドラもいた。

かつての興行師ノーマンは後に、メリックは「絶えず人々に見られ、観察されていた」のであり、本人はまるで「慈善に頼って暮らす囚人のようだ」と感じていたに違いない、と主張している。この時点でメリックはもはや働くことができず、生活を病院の保護に依存せざるを得ない立場になっていた。

病院から外出する際、メリックは人々の視線から自らの姿を隠すため、足元まで届く長い外套をまとい、顔にはヴェールをかけていた。

メリックの死と、その後に残されたもの

メリックは1890年4月11日、病院で突然亡くなった。27歳だった。

トリーヴスはメリックの遺体から型を取り、皮膚の組織標本を採取した。 また、その骨格はロンドン大学クイーン・メアリー校の医学部でガラスケースに収められて展示され、現在は予約した場合に限って見学することができる。

それから130年以上を経て、メリックの伝記作家の一人が、ニューアムにあるシティ・オブ・ロンドン墓地・火葬場(City of London Cemetery and Crematorium)で、墓標のない共同墓地を発見した。メリックの遺骨の残りは、そこに埋葬された可能性がきわめて高いと考えられている。

現在、その墓のそばには小さなプレートが置かれ、短かった彼の生涯を伝えている。

ロンドン旅行記を書く前に その②:Duality in Robert Louis Stevenson’s Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde

その②です。

その①と同じく、Britsh Libraryの記事和訳。

Duality in Robert Louis Stevenson’s Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde | The British Library

その①はこちら。

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ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』における二重性

キュレーターのグレッグ・バズウェルが、『ジキル博士とハイド氏』における二重性(duality)について考察し、この小説が、当時盛んに議論されていた進化、退化、意識、同性愛、犯罪心理学といった問題にどのように関わっているのかを探る。

ロバート・ルイス・スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』(1886年)は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)で初めて提起された思想を、ヴィクトリア朝後期において変奏した作品である。

しかし、スティーヴンソンの怪物は、縫い合わせた身体の部位から人工的に作り出されたものではない。むしろ、人間の人格の暗黒面から、完全な姿をとって現れる存在である。

物語の中で、ヴィクトリア朝の専門職中産階級に属する、社会的に尊敬される人物であるジキル博士は、一連の科学実験を行い、自らの精神の内側から、「獣のような(bestial)」「類人猿のような(ape-like)」ハイド氏を解き放つ(第10章)。

ゴシック小説はそれ以前にも、不吉なもう一人の自己、あるいは「分身(double)」という発想を幾度となく扱ってきた。しかし、『ジキル博士とハイド氏』におけるスティーヴンソンの卓越した点は、一人の人間だけでなく、社会そのものにも二重の性質があることを描いたことにあった。

物語全体を通じて、社会的な体面(respectability)には堕落(degradation)が、放縦(abandon)には抑制(restraint)が、誠実さ(honesty)には欺瞞(duplicity)が、それぞれ対になって存在している。

ロンドンという都市そのものさえ、二重の性質を持っている。立派で品位ある街路のすぐ隣に、汚濁と暴力で悪名高い地域が存在しているのである。

進化と退化

単純な次元で見れば、ジキル博士は善良な人物であり、その職業においても大いに尊敬されている。一方、ハイド氏は邪悪である。彼は殺人者であり、たまたま自分の行く手にいたというだけで幼い少女を踏みつける怪物でもある。

しかし、より深い次元で見ると、ここで対比されているのは単なる善と悪ではなく、進化(evolution)と退化(degeneration)である。

物語を通じて、ハイド氏の身体的な外見は人々に嫌悪感を引き起こす。彼は「類人猿のような(ape-like)」「穴居人のような(troglodytic)」「ほとんど人間とは思えない(hardly human)」存在として描写される(第2章)。

ジキルの友人アターソン氏の遠縁で、社交界でもよく知られた人物であるエンフィールド氏は、こう語る。

「彼の外見にはどこかおかしなところがある。何か不快なもの、いや、はっきり言って嫌悪すべき何かがある」(第1章)

『ジキル博士とハイド氏』が刊行されるおよそ15年前、チャールズ・ダーウィンは『人間の由来(The Descent of Man)』(1871年)を発表していた。その中でダーウィンは、人類は「毛に覆われ、尾を持つ四足動物」から派生したのであり、その動物自体も「おそらく古代の有袋類に由来する」と結論づけている。

さらに過去へと遡れば、ダーウィンは、こうした進化の諸段階に先立って、直接の系譜上に「ある種の両生類に似た生物がおり、さらにそれは魚類に似た何らかの動物から生じた」と仮定した。

このような、人間という存在の特別な地位を否定する、悪夢めいた生物学的系譜は、ヴィクトリア朝後期の多くのゴシック小説に流れ込んでいる。

『ドラキュラ』においてドラキュラが狼や蝙蝠の姿へ変身できることは、その一例である。また『モロー博士の島』では、モロー博士が、進化を人為的に加速させる野蛮な試みとして、島の哀れな動物たちに実験を施している。これもまた同様の例である。

スティーヴンソンによるハイドの描写も、同じような仕組みで機能している。ハイド氏は身体的に忌まわしい存在として受け止められる。しかし、それはもしかすると、彼に出会った人々が、ハイドの姿から無意識のうちに、自分たち自身が遠い過去から受け継いできた進化上の出自を思い起こさせられるからにすぎないのかもしれない。

ジキル博士の医学者仲間であるラニョン博士は、ハイドがジキルへと戻る変身を目撃する。そして、醜く殺人的な獣が、社会的に尊敬されるヴィクトリア朝の科学者の内側に存在しているという事実を知ったことで、まず病床に伏し、やがて早すぎる死を迎えることになる。

二重生活と、人を欺く外見

ジキル博士の邸宅の描写は、著名な外科医ジョン・ハンター(John Hunter, 1728–1793)の邸宅をモデルにしていた可能性がある。18世紀後半、レスター・スクエアにあったハンターの邸宅もまた、世間から尊敬され、名声を得た家でありながら、ある秘密を抱えていた。

人体解剖について教え、また自ら研究するために、ハンターは人間の遺体を必要としていた。その多くは、新しく埋葬された墓を暴く「死体盗掘人(resurrection men)」によって供給されていた。

そうした遺体は通常、夜間に邸宅の裏口へと運び込まれた。そこには跳ね橋(drawbridge)が設けられており、解剖の準備室と講義用の解剖室へと通じていた。

ジキル博士の邸宅は、正面から見ると「富と安楽を強く感じさせる佇まい」を見せている(第2章)。一方、物語の序盤で初めて出会って間もないハイド氏は、「長年にわたって薄汚れたまま放置されてきたような」建物へ入っていく姿を目撃される(第1章)。

しかし、ここには仕掛けがある。立派な正面部分と、荒れ果てた裏側とは、実は同じ一つの建物の二つの側面なのである。

スティーヴンソンが示しているのは、社会的に立派なものといかがわしいものとが、しばしばごく近接して存在しているということだけではない。立派な外観を備えているからといって、その内側に暗い秘密が潜んでいない保証にはならないということでもある。

同じように、一見するときちんとした人物である、弁護士アターソン氏の友人エンフィールド氏も、初めてハイドに出会ったのは、

「真冬の真っ暗な朝の3時ごろ、世界の果てのようなところから家へ帰ってくる途中」

だった(第1章)。

エンフィールド氏が具体的にどこにいたのか、そこで何をしていたのかは、最後まで明らかにされない。しかし、どうにも潔白とは言い難い響きがある。

この作品では一貫して、最初は無害で単純明快に見えた人物や出来事が、より注意深く見つめるにつれて、暗く不吉なものへと姿を変えていく。

二重意識

ジキル博士とハイド氏の外見の違いが、チャールズ・ダーウィンの研究から生まれつつあった諸理論を下敷きにしているのと同様に、二人の人格の違いは、道徳的行動や、人間の意識が複数のものから成り得るという可能性をめぐる当時の議論を探究するものとなっている。

スティーヴンソンは、ジキル博士の意識を文字どおり二つに分裂させる。一方には、社会の命ずる規範に反する欲望を抑え込もうとし、実際その大部分を抑えることに成功している良識ある側面がある。もう一方には、動物的な欲望を満たそうとして奔放に振る舞う、道徳に縛られない側面がある。このように二つを極端な形で分離することによって、スティーヴンソンは、私たち一人ひとりの内側で繰り広げられている葛藤を、より鮮烈な形で描き出している。

ジキル博士自身がこう述べている。

「私の意識という戦場で争っていた二つの性質について、もし私がそのどちらか一方であると正当に言えるのだとすれば、それはただ、根本的にはその両方が私だったからなのだ」(第10章)

ハイドという存在を通して、社会的に尊敬されるジキル博士は、社会から課せられた束縛から解放される。

「私の中の悪魔は長いあいだ檻に閉じ込められていた。それが咆哮を上げて飛び出してきたのだ」(第10章)

物語の最後に置かれた告白の中で、ジキルは、最終的にはジキル博士として生きるか、ハイド氏として生きるかを選ばなければならないと認識する。

ハイドを選ぶことは、高潔な志を捨て、「永遠に軽蔑され、友もない」存在になることを意味する(第10章)。しかしジキルを選ぶことは、ハイドとしてなら思うままに満たすことのできる、官能的で世間から後ろ指をさされる欲望を断念することを意味する。

自らが置かれた状況がいかに奇妙なものであろうとも、憂鬱なジキルが述べるように、この葛藤とせめぎ合いそのものは、「人間と同じほど古く、ありふれたもの」なのである(第10章)。

同性愛

この作品の初期稿では、スティーヴンソンはジキル博士にこう告白させている。

「幼い頃から……私はひそかに、ある種の欲望の奴隷となっていた」

こうした言葉を目にすれば、その「欲望」とはいったい何だったのか、と考えずにはいられない。

ジキルとハイドが同一人物であることを知らない作中の登場人物たち―そして、この本を初めて読んだ読者たち―の一部にとって、二人の関係は不可解なものに見えたに違いない。なぜ、社会的に尊敬されるジキルが、卑劣なハイドに自宅への自由な出入りを許しているのか。それどころか、なぜ自分が死亡、あるいは失踪した場合にはハイドが財産を相続するよう、遺言書まで書き換えるのか。

エンフィールド氏にとって、答えは一つしかない。

「恐喝だろう。若い頃にしでかした何かのために、まっとうな男が法外な代償を払わされているんだ」(第1章)

スティーヴンソンは、彼が執筆していた時代の制約から、同性愛について明示的に言及することはできなかった。しかし物語の大部分は当初、ジキル博士の当時の規範から外れた性的嗜好を材料に、ハイドが彼を恐喝していることをほのめかすように構成されている。

この時代、同性愛と恐喝はしばしば結びついていた。 1885年―スティーヴンソンがこの物語を執筆していたまさにその年―に制定された刑法改正法(Criminal Law Amendment Act)の第11条は、「重大な猥褻行為(gross indecency)」を犯罪とした。この言葉は曖昧で、何を意味するのか厳密には定義されていなかった。

実際には、この法律は主として、ごく乏しい証拠しかない場合にも同性愛者を訴追するために用いられ、「恐喝者の憲章(Blackmailer’s Charter)」と呼ばれるようになった。

ジキル博士は独身である―実際、この物語全体が、少数の独身男性たちだけで構成された人間関係の中で展開していく。

アターソン氏の、「あの生き物[ハイド]が、泥棒のように忍び込んでハリーの寝床へ近づいていくところを考えるだけで、ぞっとする」

という言葉にも示唆されているように、同性愛―それが博士の過去に隠された秘密であれ、若いハイドと孤独なジキルとの現在の関係であれ―は、物語全体を通じて薄いヴェールをかけられた主題となっている(第2章)。

さらに、年老いた国会議員サー・ダンヴァーズ・カルーの振る舞いさえ、物語の底流に同性愛という主題が存在することを読者が意識すると、違った意味合いを帯びて見えてくる。カルーはある夜遅く、川辺でハイドに「たいへん感じのよい態度で(with a very pretty manner)」声をかけ、その後エドワード・ハイドの手によって殺されるのである(第3章)。

二重生活を描いたこの物語では、誰一人として、最初に見えたとおりの人物ではない。

スティーヴンソンの物語に見られる魅力的な「二重化(doubling)」は、本の刊行とともに終わったわけではなかった。陰惨なひねりが加わるように、現実の出来事が物語の上に重なり始めたのである。

『ジキル博士とハイド氏』刊行から2年後の1888年秋、ホワイトチャペル連続殺人事件が発生すると、現実の殺人犯と架空のハイド氏は、たちまち人々の想像の中で結びつけられた。

実際、殺人事件とこの物語との結びつきはあまりにも強くなり、小説刊行の翌年に制作された舞台版でジキル博士とハイド氏を演じて名を馳せたリチャード・マンスフィールドは、一般市民から切り裂きジャック本人ではないかと疑われるほどだった。

ハイドがサー・ダンヴァーズ・カルーを襲った際、彼はステッキでカルーを殴り殺す。そして後にこう語っている。

「歓喜に我を忘れ、抵抗することのできないその身体をめった打ちにし、一撃ごとに快楽を味わった」(第10章)

この襲撃の凶暴さは、切り裂きジャックによる殺人の激烈さを思わせる。

『ジキル博士とハイド氏』が指し示したのは、受け入れがたい一つの真実だった。「類人猿のような」外見を持つハイド氏は、犯罪者にはその邪悪な本性を示す特徴が外見に現れるとする、当時の犯罪学理論に合致していた。

しかしジキル博士は、「大柄で体格がよく、滑らかな顔立ちをした50歳の男」であり、そのような理論には当てはまらない(第3章)。にもかかわらず、私たちが知っているとおり、ジキルとハイドは同一人物―一つの人格が持つ二つの顔なのである。

そこから、きわめて不穏な可能性が浮かび上がる。つまり、切り裂きジャックのような怪物と街ですれ違ったとしても、目に映るのは社会的に立派で文明的な紳士にすぎず、その内側に潜む堕落した殺人者の痕跡など、まったく見えないかもしれないという可能性である。

それこそが、『ジキル博士とハイド氏』と切り裂きジャックを結びつける、もっとも恐ろしい点なのである。

ロンドン旅行記を書く前に その①:Jack the Ripper 記事和訳

イギリス ロンドンに行ってきました!

『ピーターパン』、『不思議の国のアリス』、『ジキルとハイド(マイフレンドジキル)』、『エレファントマン』、『マイフェアレディ』、『ME&MY GIRL』、切り裂きジャック、オスカー・ワルドあたりをうっすら頭に入れつつ向かったのですが、ロンドン内のエリアごとの個性や特色が実際の事件や物語と、想像以上に密接にリンクしていることに気づきました。特に19世紀末 ヴィクトリア後期はかなり面白い時代なので、旅行記を書く前にまずそちらから整理し始めます。

以下、知りたかったこととあまりにドンピシャだったThe British Libraryの記事の和訳。画像資料等はHPをご覧ください。

Jack the Ripper | The British Library

 

切り裂きジャック

1888年、ロンドンのホワイトチャペル地区で、「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」として知られる正体不明の殺人犯が、女性たちを次々と殺害した。ジュディス・フランダースは、この謎めいた殺人犯をめぐる興奮と恐怖が、ヴィクトリア朝後期の文学へとどのように入り込んでいったのかを探る。

殺人犯ウィリアム・パーマーについて考察した際、チャールズ・ディケンズは、その顔には「残酷さ、貪欲さ、打算……そして卑しい邪悪さ以外、何ひとつ表れていない」と評した。ディケンズは、自分は殺人犯らしい顔をした殺人犯が好きなのだ、と語っている。

誰と見分けもつかない殺人犯

それは現実の殺人犯についての話だった。一方、ディケンズは自身の小説の中で、それ以前からずっと、恐ろしいことに、ごく普通の人々とまったく変わらない姿をした殺人犯という観念を探究していた。

『互いの友(Our Mutual Friend)』のブラッドリー・ヘッドストーンは、社会的にきちんとした教師でありながら、それでも殺人を企てる。『エドウィン・ドルードの謎(The Mystery of Edwin Drood)』のジョン・ジャスパーは、模範的な市民であり、聖歌隊長でもあるが、(おそらく)同時に殺人犯でもある。(断定できないのは、ディケンズがこの小説を完成させる前に亡くなったためだ。)

1886年1月、スコットランドの作家ロバート・ルイス・スティーヴンソンは、『ジキル博士とハイド氏(The Strange Case of Dr Jekyll and Mr Hyde)』において、この恐るべき二重性を描いた、後世にきわめて大きな影響を与えるイメージを生み出した。

この中編小説は、ある薬物を服用すると凶悪なならず者のような殺人者へと変貌する医師を描いたもので、刊行後わずか6か月で4万部を売り上げた。そしてほどなく、本を読んでいなかった何千人もの人々も、舞台化された作品を通してこの物語を目にすることになった。

1888年8月、もっとも有名な舞台版が幕を開け、リチャード・マンスフィールドがジキルとハイドの二役を演じた。彼は、魅了された観客たちの目の前で、姿勢や歩き方(そして、おそらく照明も)を変えることによって、一方の人物からもう一方へと変貌してみせた。

その3週間後、ホワイトチャペルで一人の娼婦が殺害された遺体となって発見された――これが、のちに「切り裂きジャック事件」として知られる連続殺人の始まりだった。すると多くの人々が、スティーヴンソンの描いた、表向きは社会的に立派なジキル博士と、殺人者であるハイド氏という二つの顔を、姿の見えないイースト・エンドの殺人犯と結びつけるようになった。
新聞も、この殺人犯を「ハイド氏(Mr Hyde)」と呼ぶことが常態化していた。

一般市民の一人などは、マンスフィールドを告発する手紙まで警察に送りつけた。
「恐ろしい役を演じているからといって、その人自身が悪人だなどと考えるつもりは毛頭ありません。しかし、マンスフィールド氏がジキル博士とハイド氏を演じるのを観たとき、私はすぐに、この男こそ警察が捜している人物だと感じました……これほど一瞬のうちに自分の姿を変え、別人になりすますことのできる男は、ほかにいないと思います……」

正体不明の殺人犯

スコットランド・ヤードが、この突飛な情報を実際に捜査したのかどうかはわかっていない。しかし、この正体不明の殺人犯の仕業とされた一連の殺人事件は、それ以来ずっと人々の想像力を捉え続けてきた。

「切り裂きジャック(Jack the Ripper)」と呼ばれるようになった正体不明の人物による犯罪については、おそらく、カインがアベルを殺して以来のどんな殺人事件よりも多くのことが書かれてきた。

この連続殺人がもたらす最大の恐怖―そして最大の魅力―は、事件の全貌がまったく知り得ないという点にある。事件がいつ始まり、いつ終わったのかさえ定かではない。犠牲者の人数についても、時にはその氏名についてさえ、見解が分かれている。

逮捕もなければ、裁判もなく、判決もなかった。事件に終止符を打つものは何ひとつなく、残されたのは、影のように実体のない人物像と、ほぼ間違いなく愉快犯が書いたとされる手紙に由来する呼び名だけだった。

少なくとも5人、おそらくはそれ以上の女性が、ロンドンのイースト・エンドで殺害され、遺体を損壊された。それらが、一般に考えられているように一人の人間による犯行だったのか、それとも複数の人間によるものだったのかもわかっていない。

当時から現在に至るまで、多くの人々が、スティーヴンソンの描いた構図にならうように、殺人犯は外見上は「立派な(respectable)」人物――つまり、中流階級あるいは上流階級の男性――だったのではないかと考えてきた。

外面的な品行方正さと、内なる腐敗

こうして現実の事件が進行していくなか、『ジキル博士とハイド氏』の舞台版は、世間への配慮から上演中止となった。 しかし、外見上の品行方正さと、その内側に潜む腐敗という観念そのものは、なお社会に漂い続けていた。

イースト・エンドのある新聞は、殺人事件を報じるなかで、こう書いている。

「人の思いは……何らかの神秘的な力についての説や、暗黒時代の神話へと向かってしまう」

そしてその1年後、ある兼業作家が、まさにそうしたものへと意識を集中させ始めた。ブラム・ストーカーは、のちに『ドラキュラ』となる作品の最初のメモを書き始めたのである。

両者のあいだには、数多くの類似点を見いだすことができる。ホワイトチャペルでは5人の女性が殺害された。一方、『ドラキュラ』には5人の「花嫁(brides)」が登場し、ドラキュラは彼女たちを襲い、その身体を傷つける。作中の医師は黒い鞄を持ち歩いているが、ホワイトチャペルでは、ただ黒い鞄を持っていたというだけの理由で男が逮捕されたこともあった。

ヴァン・ヘルシングとその仲間たちは、ストーカーが自身のメモの中で「自警委員会(vigilance committee)」と呼んだ集団を結成する。一方、現実のホワイトチャペルでも、マイル・エンド自警委員会(Mile End Vigilance Committee)が街路を巡回していた。

イースト・エンドには何千人ものユダヤ系移民が暮らしており、当時の事件報道の多くには、強烈な反ユダヤ主義的論調が含まれていた。『East London Observer』紙は、この犯罪はあまりにも邪悪であり、「ユダヤ人による犯行に違いない」とまで書いた。

ストーカーは、こうした偏見――よそ者、とりわけ東ヨーロッパから来たよそ者に対する恐怖――を、芸術へと変換したのである。

ストーカーだけではなかった。オスカー・ワイルドもまた「二重性(doubling)」という発想を用いた。 しかも彼は、恐怖の対象を「よそ者」ではなく、社会の内部にいる人間に据えることで、それをさらに恐ろしいものにした。ストーカーが最初のメモを書いてからわずか3か月後に発表された『ドリアン・グレイの肖像』に登場する、率直で美しく、隠し立てのないように見えるドリアン・グレイである。

ワイルドはグレイを描くにあたり、ホワイトチャペル事件が生み出した不確かさ―誰一人として見かけどおりの人間ではなく、どんな立派な人物も邪悪な秘密を抱えているかもしれない、という感覚―を取り込んだ。

グレイの経歴には、切り裂きジャックを思わせるような秘密の生活が入り込む余地がある。彼には「謎めいた長期間の不在」があり、「波止場近くにある、評判の悪い小さな酒場の薄汚れた部屋」を持っている―つまり、殺人事件の現場からさほど遠くないイースト・エンドである。そこで彼は「偽名を使い、変装して」過ごしている。

さらに、「君が夜明けに恐ろしい家々からこっそり抜け出すところを目撃されたとか、変装してロンドンでもっとも忌まわしい巣窟へ忍び込んでいくところを見られたとか、そんな噂が流れている」とも語られる(第11章、第12章)。

そして最終的にグレイは、口にすることさえ憚られる犯罪を犯す。こうして文学の中のグレイは、現実のロンドンの街路に存在した切り裂きジャックと、変わらない存在になっていく。

スティーヴンソンの作品は、切り裂きジャック事件よりも前に書かれた。一方、ワイルドとストーカーが執筆した時代には、スティーヴンソンの作品も、現実に起きた殺人事件も、すでに社会に定着した事実として存在していた。

しかし彼らが扱った観念―他者性(otherness)、疎外(alienation)、暴力、そして絶望―は、彼らがその到来を先取りしていたモダニズム文学における主要な主題となっていった。

2026年4月の摂取コンテンツ。

すごい!まだ続いてる!

1~3月分はこちら。

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摂取リストは以下の通り。普通にネタバレもしてるのでご注意ください。

 

  • 【舞台】ミュージカル『ジキル&ハイド』@梅田芸術劇場メインホール
  • 【舞台】ミュージカル『ロマンティックスアノニマス』@BrilliaHALL箕面
  • 【舞台】『どろんぱ』@Sky Theater
  • 【舞台】宝塚月組『RYOFU』『水晶宮殿』@宝塚大劇場
  • 【舞台】音楽劇『コーカサスの白墨の輪』@兵庫県立芸術文化センター中ホール
  • 【舞台】ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』@サンケイホールブリーゼ
  • 【舞台】『いきなり本読み!』@博多座
  • 【舞台】ミュージカル『シルヴィア、生きる』@ザ・ポケット
  • 【舞台】『ガールズ&ボーイズ』@新国立劇場小劇場
  • 【ドラマ】『アマデウス 』@U-NEXT
  • 【ドラマ】『欲望のセントルイス』@U-NEXT
  • 【漫画】よしながふみ『タレント』1巻
  • 【漫画】mememe『ロックンロール』上巻
  • 【漫画】mememe『太郎 DON’T ESCAPE!』
  • 【展示】『拡大するシュルレアリスム』@東京オペラシティ アートギャラリー
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