だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

宝塚雪組『ハリウッドゴシップ』@シアター・ドラマシティ 感想

f:id:kotobanomado:20191117170601j:plain

映画スターを志しながらもチャンスに恵まれないコンラッドは、これを最後にと、新人発掘を謳う大作映画のスクリーンテストに臨む。しかし主演に選ばれたのは今をときめく若手スター、ジェリー・クロフォード。新人発掘の謳い文句は単なる話題作りだったのだ。その事実を知ったコンラッドは、怒りに任せスタジオへ。だがそこで、彼は往年の大女優アマンダに見出される事となる。彼女はコンラッドに、スターになるための演技や身のこなし、更には、聴衆の目を惹きつける“秘策”をも伝授するという。そんなアマンダにはある思惑があった。それは彼女を踏み台にしてスターとなったかつての恋人、ジェリーへの復讐。やがて、スターの素養を身に付けたコンラッドは、アマンダと共に先の映画の制作発表会見へと乗り込んで行く。そこにはジェリーの新たなロマンスの相手と噂される無名のヒロイン、エステラの姿も。驚く彼らを前に、コンラッドはでっち上げの“ゴシップ”を披露し、悲願であったスターへの道を歩き始めるのだが……。 1920年代のハリウッドを彩るスキャンダラスな“ゴシップ”をモチーフに、虚構の街で夢を紡ぐ人々の光と闇をドラマティックに描く。

軸になるのは、梨花ますみさん演じる、サイレント映画の大女優アマンダ。序盤は「サンセット大通り」をなぞるように、彼女がコンラッド(彩風咲奈さん)の欲望渦巻くハリウッドへの水先案内人となる。ただし、アマンダは過去の夢から抜け出せないノーマとは違って、現実的。自らを踏み台にスターの座を手にしたジェリー(彩凪翔さん)への復讐を叶えるため、売れないエキストラ、コンラッドを利用する。

あらすじと併せてこう書くとめちゃくちゃ面白そうに見えるんですけど、実際にアマンダが出てくるのは1幕中盤までと2幕終盤のみ。1幕中盤の山場、コンラッドにスター教育を施した仕上げ部分から肩透かしが続く。せっかく「ハリウッドゴシップ」というくらいなので、マスコミを使ってのし上がる過程を見れるかと思ったら、マスコミを通したスター像が出てくるのは、ほぼ冒頭のジェリーだけ。コンラッドについてもスターの虚像と実像を二重うつしにしながら乖離を描いていかないと面白くないし、この脚本じゃただの感じ悪いサイコパス野郎にしか見えないんですよね…(もちろん演技力の問題も大いにある)。ほぼモブ扱いだったマスコミ側も一枚岩じゃなくて、映画製作、スターエージェントサイドとの駆け引きだったり、あるいは共犯関係みたいなものがあればもっとスリリングだったと思う。装置と世界観が全く統一できてないのが惜しいけど、マスコミによるスター像を映し出すモノクロ映像(奥秀太郎さん)が時代感を高めていた。

薬漬けのジェリーなんてまだまだ小粒で、アマンダこそがハリウッドの光と闇を体現できる、大スター。のはずが、ハリウッドの光と闇といいながら、クスリ関係や大恐慌による終焉も唐突で、欲望はさらりとひと撫で程度。 2幕終盤のアマンダとコンラッドの対峙と決別は過程を描きこんでこそ良いシーンになると思うのですが。かといって、エステラとの恋愛が描かれるわけでも、コンラッドの葛藤が描かれるわけでもなくて。田淵先生、いつもモチーフ設定は面白いのに、その後の書き込みが圧倒的に弱い。

たしかに冒頭から尖ってはいたが、それにしてもコンラッドが天狗になるスピードが速すぎて、何を考えているかまるでわからない。エステラやジェリーに対する態度もコロコロと変わり、サイコパス疑惑浮上。ハリウッドに毒される、身の丈に追いつかないというより、元から相当ヤバいやつなのでは。自主映画も絶対うまく行かなさそうな気がした。正直に言えば、彩風さんのスターオーラが乏しく、芝居も本人が入り込もうとしているのは痛いほど伝わってくるのに、求心力のないまま上滑っていく。少なくとも大劇場で芝居をしている時はここまで酷く見えたことはなかったので、受けの芝居、引っ張る芝居の違いとか、真ん中に立つことの難しさを感じる。これがバウホールではなくドラマシティであること、次期トップの主演作ということに危機感を覚えるけど、最近、宝塚の魅力や宝塚らしさは、舞台機構とメイクで概ねカバーできると思っているので、大劇場に立てば何とかなるのでしょう。エステラの潤花さんはヒロイン然としていて頼もしい。守備範囲広く娘役から女役までできそうな雰囲気を持っている。裏声が極端に弱いのが玉に瑕だけど、芝居声が良く、ダンスも軽やか。

劇中からずば抜けたダンス力で目立っていた縣千さん。フィナーレの黒燕尾で踊る姿に度肝を抜かれた。

男役のために生まれたかのような恵まれた顔立ちと体格。下級生ながらすっかり黒燕尾も板につき、いかにも端正なスターさんなのに、踊れば明らかに「規格外」。遠慮も忖度もなしに、取り憑かれたように躍り狂う。このシーンだけで「ハリウッド・ゴシップ」が名作に変わった。