書き溜めていたものを少しずつ消化…。
コロナ禍以降初かもしれない松竹座。松竹座の座組には珍しく中村屋が参加するということで、松嶋屋との共演(もしかしたら生で観るのは初かも?!)を楽しみにチケットを取ったら、にざさま休演の一報…。孝太郎の怖いコメントもあり、これまでの休演とはまた意味が違うのかなとビクビクしながら、ひとまず観に行ってきました。
(にざさまは、14日夜の部から復帰されてます!よかった!)
昼の部
『八重桐廓噺』
歌舞伎らしいといえばらしいのだけど、なんでもありの世界観にのれなくて、うとうとしてしまった…。
『浮かれ心中』
井上ひさしの「手鎖心中」の歌舞伎化。ええとこのぼんぼん栄次郎があの手この手で話題作りをして人気戯作者になろうとするブラックコメディ。かなり楽しみにしていたんだけど、これも意外と乗り切れず…なんでだろう…。物語自体もあまり好みでない上、舞台のテンポ感が役者同士で噛み合ってないように思えた。お父さんの芸と作品を受け継ぎたいという勘九郎さんの熱意はひしひしと伝わってくるのだけど。
七之助丈が栄次郎の妻おすずと花魁の二役で堪能できたのは、満足。ただ、それだけに、微妙にケチって2階席にしたのをめちゃくちゃ後悔した。これは花道脇で観るべきだったわー…。
目玉のちゅう乗りは、アルコール消毒をした上で瓦版を客席に巻いたり紙吹雪を撒いたりと、サービス満点。このシーンの勘九郎さんは特に勘三郎さんを意識していて、「書き続けなきゃいけないよ。書き続けなきゃ。」は、自身の体に勘三郎さんを憑依させて、勘九郎さん自身や今いる歌舞伎役者に向けてエールを送っているようで、思わず涙が出てしまった。
夜の部
『堀川波鼓』
不義密通を題材にした、いわゆる「姦通もの」。歌舞伎では唯一となる近松の「姦通もの」らしい。早い話がお酒の力で男女が一線を超えてしまう話なんですが、さすが近松。簡単に言えば「魔が差す」ということなんでしょうが、「封印切」や「女殺油地獄」がそうであるように、"衝動"や”欲動”に駆られて一線を越える瞬間と、そこに至るまでの心の機微の描き方があまりに上手すぎる。まるで糸がピンと張りつめ、それがぷっつり切れる音が聞こえてきそうな繊細な緊張感とドラマティックさが同居してるんですよね。(実は刺さらなかった昼の部の『八重桐廓噺』も近松なんだけど)
本来仁左衛門さんが演じるはずだった彦九郎は、不義密通が描かれる序幕には登場せず、二幕目のみの出番。登場後、わずか数十分間の中で、妻の不義に気づき、武士としての面目と夫婦愛のジレンマに挟まれながら妻を処するというかなり難しい役どころ。代役の勘九郎さんは爽やかすぎて、ちぐはくな印象が残った。
解説によると、武士の面目のため生き方を左右される女性たち(妻お種、お種の妹お藤、妹おゆら)三者三様が細やかに描かれているのがこの作品の見どころらしいのだけど、わたしはさっき書いた序幕の上手さに心揺さぶられてしまって、肝心の二幕はさほど興味を惹かれなかった。
お種が鼓の師匠 源右衛門と盃を重ねるごとに、次第に二人だけじゃなく空気感自体が酩酊して艶っぽくなっていくあの過程、本当にすごかった。 元々、勘九郎さんが演じるはずだった源右衛門は隼人が演じていて、彼の色気も上手くハマってたと思う。
『祇園恋づくし』
東と西の文化や言葉、気質の違いを背景に、江戸っ子と京男の恋と友情を描いたライトコメディ。終盤がややもたつくものの、鴈治郎と幸四郎という役柄そのままの東西の役者の顔合わせで、しかもそれぞれ男女二役を早替りで演じていて、賑やかな笑いがたっぷり。松竹座らしい演目だし、なによりちょうど祇園祭のさなかで上演されているので、風情も感じられたのがよかった。幸四郎さんの芸妓さんは、ご自身で言ってた通りちゃんと可愛かったし笑いもキレキレ(大阪にいる時の方が生き生きしてるよね)。鴈治郎さんの女形も、嫉妬深くて可愛いのに芯が通っていて、「身替座禅」の時も毎回思ってるように、立役より好き。隼人はこちらでも活躍。中村屋兄弟も出てて豪華な一幕でした。一点気になったのは、虎之介くんの上方ことばが壊滅的だったのだけれど、誰も指導してあげないんだろうか…。彼の親世代や壱太郎もネイティブではないとはいえ、明らかにおかしかったので、彼自身にも今後、上方歌舞伎を引っ張っていくべきメンバーに対しても大丈夫‥?と。
歌舞伎に興味はあるけど先延ばしになってる人、多分もう見といた方がいいと思う(今でも遅いかもしれないけど)。あと数年したらスカってなってると思う。次の世代が早くに亡くなってしまったので。。わたしもできる限り今観ておく。
— たちばな (@daranomado) 2022年7月17日
歌舞伎全体もだけど、上方歌舞伎に至っては、もう完全に遅いんだ…と改めて思い知らされてしまって、悲しい気持ちになってしまった。