『ダリとガラ』@ABCホール
今回はOFFICE SHIKA名義のプロディース公演だったんだけど、鹿殺しっていつぶりだろう‥と調べたら、2013年『BONE SONGS』以来10年ぶりでした…。幕間なし約2時間。
サルバドール・ダリの、生まれる前の胎内の記憶から死までを描く。8人の男性キャスト全員が奇天烈なダリを、6人の女性キャスト全員がミステリアスなダリの妻 ガラを代わる代わるに演じる面白い手法。ダリとガラがみな勢ぞろいし、胎内から生まれ落ちるオープニングシーンからしてアーティスティックで、引き付けられる。
早逝した兄の呪縛に苦しめられた幼少期から、次第に破壊的衝動の赴くまま奇行を重ねるようになるダリ。唯一通し役としてダリを演じる雷太さんが狂言回し的な役回りも兼ねながら、他キャストがまさに多重人格のように多面的なダリをシーンごとに入れ代わり立ち代わり見せることで、彼の何を考えてるかまるでわからない周囲を振り回す”奇人”感を鮮明に体感できる。ミニマムなセットで、バスタブやハシゴ、額縁など、限られた道具を意味合いを変えながら使い切っているのも面白い。
ただ、芸術と倫理は時に相反するもので、アーティストに人間性を求めるのはナンセンスと思いながらも、ダリのガラ以外の女性に対するサディスティックな姿勢にどうしても生理的嫌悪感が拭えず…。強迫観念に近い性への興味と恐怖の裏返しで、彼の人生と彼の芸術を描く上で欠かせない要素だとは理解してるんだけど、なんかそこだけやけに生々しく何より執拗で、げんなりしてしまった。
その辺り、ガラを複数キャストで演じている意味は、ダリの多面性の意味合いとは違って、8 1/2的なダリの「女」への幻想の象徴なんだろうと思うし、やはりこの演出は好きなんだけど…。
でも、ダリがどれだけ常識破りで鮮烈な人生を送ろうとも、老いには勝てず、凡人と同じように病を患い、ガラの関心も得られなくなり、大火傷を負い、衰えて死を迎えるという皮肉。ガラとの出会いから後半にかけてのほろ苦さは、大好きな「THE LAST PARTY」を思い出したりもして、好きではあったんだけどなー…。
『南極ゴジラの地底探検』@アートスペースB1
京阪中之島線 なにわ橋駅B1階にあるアートスペースでの上演。芝居用のエリアではないので、総コンクリートの無骨で歪な形をした空間は扉もなく駅とつうつう。駅特有のぱーんぽーんという音が遠くに聞こえたり、アクティングスペースと客席の間に太い柱があったりと、芝居にとって不利な特徴を「地底探検」というテーマにして借景にすることで、むしろプラスに変えていた。(チケットやアナウンスも凝ってて可愛い)
こちらも幕間なしの約2時間。9人+1匹のしっちゃかめっちゃかな地底探検隊の話で進むかと思いきや、地底人らしき何者かに出会ったところで、脈絡なく矢継ぎ早に(時に4コマ漫画のような短さで)和風カンフー、夏休みの学生、ミクロ世界の戦争などの色々な世界にスイッチングしていく。
各世界は、どうやらこの地球に同心円状に存在しているらしい。名前は同じながらも、それぞれ別のキャラクター、シチュエーションで一見なんの関わりもなさそうな世界をつなぐ、球李と星。たとえどんな間柄で出会おうが、反駁し合いながらも惹かれあう。元々輪廻転生とかパラレルワールドで出会い別れを繰り返す話に目がないわたしが大好きなやつ。根底にあるのは、ヨーロッパ企画的な「すこし不思議」に、ジュール・ヴェルヌやドラえもん的要素を振りかけた、ゆるーい世界なんだけど、そんな展開もありつつ、ままごとチックなラップがいきなり挟まったりしてエモさに打ちのめされそうになった(球李の瀬安勇志さんの不器用ツン感もめっちゃ良かった…)。
地核のマグマ噴出から逃れるため、同心円状の外側にある世界への旅を任された星。アートスペースの客席後方のシャッターが開き、現実世界が姿を表す。劇世界から抜け出し観客と同じ次元にいる球李と出会うところで、幕。このアートスペースならではの"旅”の終わりと劇世界の終わりが掛け合わさる粋な仕掛けに、ふわふわとした不思議な心地で家路についた。