だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

『キューティ・ブロンド』@シアター・ドラマシティ感想

f:id:kotobanomado:20190317135013p:plain

音楽/詞:ローレンス・オキーフ&ネル・ベンジャミン

脚本:ヘザー・ハック

翻訳・訳詞・演出:上田一豪

出演:神田沙也加 平方元基 植原卓也 樹里咲穂 新田恵海 木村花代 長谷川初範ほか 

 

ほぼ全編泣きながら見ていた。初演はメルパルクの2階で観たせいか、そこまで入り込めなかったのだけれど。日本から一歩出れば「外国人」としてアウェーになるように、ところ変われば誰もがホームとアウェーを経験するわけだけど、「女性であること」は、ほぼどこでもアウェーなのでは。外見での品定め、男性のステイタスの一部や所有物として捉えられること、セクハラ、セクハラに対して第三者からなぜか被害者側が責められること、男性を上回る成果や評価が、実力者との性的関係による見返りのためだと邪推されること―。女性の多くがまるで通過儀礼のように経験してきた困難が、等しくエルにも降りかかる。それを自分ならではのアイディアと行動力で突破していくエルが、眩しい。

「働く女は、結局中身、オスである」のフレーズで雑誌が炎上したりもしたけど、それって、男性=ホーム/女性=アウェーの呪いが解けていないだけの話。本来は、性別にかかわらず、自分の能力や感性を正しく磨いて発揮すれば、自分もみんなもハッピーになるはずなのだ。

神田さんは正直「神田沙也加」以外の何物でもないんだけど、最高にキュートで頭の冴えたエルだった。物腰柔らかで紳士的な佐藤エメットに負けず劣らず素敵だった平方エメット。ちょいダサからビシッと決めたビジュアルの変化も最高で、久々に胸がときめいた…。(「王家の紋章」で既に一度、平方堕ちしている)平方くんに変わったことで、前回よりロマンス要素が強くなったのも面白い。長谷川さんのアクの強さ、樹里さん、木村花代さんのパフォーマンス力も健在で、ミュージカルとしてもしっかり堪能できた。他にも、脇を固めるのは実力派ばかりで、みんないい仕事をしている。とりわけ、エルのお友達兼コロスのまりゑさんがいつも以上に振り切れていて最高だったし、MARIA-Eさんの歌とダンスもエネルギッシュで目を引いた。

自己肯定力とミュージカルって相性いいんだろうな。思えば、この作品だけじゃなく、

『ライオンキング』も『天使にラブ・ソングを』も、『アリス・イン・ワンダーランド』も『レ・ミゼラブル』も、好きなミュージカルはみんなそうだし。「ハッピーミュージカル」って、単に明るく歌い踊ればいいんじゃなく、

こういうのを指すんだと思う。すっかりときめいたし(それはひとえに平方くんのおかげ)心がクリアになった。さぁ、仕事頑張ろう。

宝塚月組『夢現無双』『クルンテープ』@宝塚大劇場 感想

f:id:kotobanomado:20190317130117j:plain

 『夢幻無双』

シンプルにつまらない。(真顔)齋藤先生らしく、詰め込みまくりの登場人物に、盛り込み過ぎてぶつ切りになったエピソード達。それでも盛り上がった『桜華に舞え』のようにはいかず、最後の最後までぶつ切りのまま、クライマックスの巌流島ですら、あっけなく終わっていった。物語としても盛り上がらないし、みやるりへの餞にもなっていないから、これならタンゴを踊った方がまだ良かったのでは。(『巌流』だけじゃなく『MUSASHI』でも踊ってた。)たまきちもみやるりもキャラ的にはハマっているはずが、とにかく見せ場がないので、単に汚いやつと綺麗なやつ止まり。今回が大劇場でのトップお披露目になる美園さんは、ソツない印象。ただ、しどころのない役だったからか、声がキンキンとしていて、一本調子に見えてしまった。月城さんは宝塚の2.3番手にありがちな、主人公のお調子者の幼馴染。ルキーニ、フィッツ・ジェラルドだけでなく、こういう役もしっかりこなせる。作品を重ねるごとにスターとしての貫禄が増してきた。白雪さち花さんが、憧花ゆりのさんの穴をしっかり埋めていたのが嬉しかった。

クルンテープ

珍しいテーマで期待していたのに、衣装や音楽がエキゾチックになっただけで、痴情のもつれで殺人は起きるし、死んだらやっぱり転生した。トッピングが多少変わっただけで、結局ベースは変わらないらしい。どうせやるなら振り切って、新しいシーンにチャレンジしてほしかった。そのくせ、たまきちがカッコよく赤スーツで決める場面で、帽子を取ったら、まさかのブロンドロン毛。その新しさ、いらんねん。

海乃美月さんがいない!と探し回っていたら、ショー休演。結愛かれんさんが芝居、ショー共に目立っていて嬉しい。輝月さんのド迫力女装に釘付け。蓮つかささんは相変わらず美しいが、もっと米食べてほしい、と切実に思った。たまきちとみやるりの妖しいダンスシーンが良い。トップ、二番手として最高のコントラストだった。男役として線が細く、今一歩押しに欠けるみやるりと、まだ若く粗削りなたまきち。二人が組み合わさると、それぞれの欠点を補うどころか、一転、長所に変わる。『BADDY』がこの二人を、唯一無二のタッグにまで押し上げた。みやるりが恐ろしいまでに艶めかしい。メイクもますます洗練されたようで、ただただ美しく、眩しかった。フィナーレの群舞、満を持してせり上がってくる、みやるりの姿に泣けた。そんなみやるりを迎え入れるたまきちは、誰と組むより包容力が増す。最強タッグの締めくくりは、やっぱり唯一無二の輝きに満ちていた。

映画『君の名前で僕を呼んで』感想

f:id:kotobanomado:20190317114430j:plain

恋愛の究極形はやはり「半身」を追い求めることなんだろうか。「君の名は。」では、体を分け合う相手を見つけ、見失い、「カタワレ時」に再び出会い、忘却の果てに、再び巡り会うというのがカタルシスを生んだわけだけど、「君の名前で僕を呼んで」もまた、タイトルからしてド直球なカタワレ映画だった。

痛み、傷つき、それでも確かに得た愛や友情。目の前には限りない可能性が広がり、でも同時に決して戻れない輝かしい夏の日もまた瞳に映ってる。予感と余韻、どちらもなんて眩ゆいんだろう。

 

考古学教授を父に持つエリオ(ティモシー・シャラメ)は、避暑地の北イタリアで一夏を過ごす。毎夏、父が受け持つ大学院生が研修にやってくるが、今年やってきたのは嫌味なほど二枚目のアメリカ人 オリヴァー(アーミー・ハマー)。自信家で横柄なオリヴァーと繊細なエリオは反発しあいながらも惹かれていく。

眩い北イタリアの景色と考古学や哲学、音楽―。インテリジェンスな空気感をまといながら気持ちを通わせていく二人の様子が、あまりにも美しすぎて美しすぎて、脳内で幾度もビッグバンを起こしながら観た。(そもそもティモシー・シャラメアーミー・ハマーが美しすぎる)エリオは、オリヴァーへの悶々とした感情を押し殺して、自分を試すようにマルシアと関係を持ってみるけど、オリヴァーへの想いは断ち切れず、気持ちを吐露する。対して、もう十分大人なオリヴァーは、同性愛が社会的に許容されないと自分を律していながら、異国の地でその枷を外す。(エリオ家のようにものわかりのいい家族はそうそういない)オリヴァーのエリオへの愛情は確かに本物。でも、それを一生自分の胸にしまい込んで、異性愛者として生きる道を既に選びとってもいる。知性に溢れ大人びているエリオも思春期真っ盛り。この夏を機に、真っさらな人生へと漕ぎ出したばかりなのに、初めて知った愛が即座に「秘めた思い出」にされる、痛み、辛さときたら。と、エリオの想いに寄り添いつつ、この映画自体が、いい!とか面白い!というより、「また浸りたい」と思わせてくれる、きらきらと甘く、ほろ苦い、まさに「一夏の思い出」のようで。わたしにもこんな夏あったんじゃね…?とすら思えてくる。(思い込み激しめ)

ちなみに、どうやら続編の製作が決まっているようで、監督曰く、続編の冒頭はパリで泣くエリオから始まるみたい。全然吹っ切れてへんかった!だって、「カタワレ」だから。たとえ一緒に過ごしたのはたったひと夏でも、たとえそれが思い出に変わったとしても、「カタワレ」はずっと「カタワレ」だから。

ステレオタイプ的なオープンゲイのカップルたちの訪問、自らの同性愛気質を自覚しながら一歩踏み出せなかった父、古代ギリシアの肉体美と同性愛、とセクシュアリティについて散りばめられている。(そういえば、時々飛んでくるハエの意味が気になる)そして、夫、息子ふたりをセクシュアリティ含め深く理解し、何も強いず抑圧しない母と、エリオに一生の友情を誓うマルシア。誰も二人の仲を糾弾したりしない。古代ローマ遺跡で発掘された女神像の腕を介して、エリオとオリヴァーが握手するシーンが大好きすぎてケータイの待ち受けにしてるのですが、マルシアとエリオの握手もそれに負けないくらい、愛に溢れた素晴らしいシーンだった。

はじめまして、さようなら。/ボルタンスキー展。

楽しみにしていたボルタンスキー展@国立国際美術館へ。

f:id:kotobanomado:20190303144445j:plain

想像以上の気張りっぷりだった。空間演出に抜かりがなく、単なる展示というより、アトラクションやイマーシブシアターに参加するイメージに近い。かなり刺激的な体験。作品リストも驚くほどしっかりした作りでありがたい。

大音量の心臓音やら鯨誘き寄せ装置が鳴り響く薄暗い館内に、ボルタンスキーの代名詞的な祭壇や、引き伸ばしすぎてピントのぼけたポートレートが無数に並んでいる。これ、普通に怖すぎる状況で、小さい子達が遠足に来ていたようだけど、大丈夫だったんだろうか。私なら泣いてた。

心もとなくそわそわしてしまうのは、笑顔で幸せそうな写真が、遠い過去の瞬間を切り取っていて、今は失われてしまったものだと直感的にわかるから。見ず知らずの誰かの人生、記憶や思い出―もしかしたらその人を直接知る人ももはやいないのかもしれない―かつて確かに過ごした日々を、人生を思い巡らす。

はじめまして、そして、さようなら。

誰かの人生の「余韻」なのか「予感」なのか、その気配を豊かに感じながら、喪われたものや時間と静かに触れあう濃密な空間。

f:id:kotobanomado:20190303144433j:plain

国立国際美術館で~5/6まで。もう1回行っておきたい。この後、東京、長崎と巡回。会場によって、空間構成を変えてくるという話だから、東京に観に行くのもありかもしれない。 

www.nmao.go.jp

この日は念願の農家厨房へも行けた!さすが人気店で、開店直後にすぐ席が埋まった。大満足の定食だったー。

そういえば、美術館前にノースショアができていた。逆に、レトロな船橋ビルがいつの間にか取り壊されていて、大ショック。。。素敵なビルだったのに。

大山崎山荘美術館と聴竹居。

4年ぶりぐらいに大山崎へ行ってきた。ひとつは、聴竹居へ行ってみたかったから。迷ったんじゃないか不安になる程急な細い坂道の果てにある、藤井厚二デザインの住宅。大山崎山荘美術館の加賀さん、サントリーの鳥居さん、この藤井さんが大山崎の山々を買い占めたらしいけど、豪奢な大山崎山荘から聴竹居まで、それぞれの美的センスが表れてて面白い。

そう、聴竹居は、90年前の建築とは思えないほどモダンでデザイン的に優れながらも、実用的。しかも、これみよがしではなく、とてもさりげない。和紙を多用した照明の素朴な美しさ、景色を臨む縁側の窓へのこだわりのようにパッと目を惹くものから、説明されてようやく気づく客人と居住者の動線の棲み分けまで、抜かりなし。さらには、足元の通気窓だったり、土管に通じる扉だったり、自然エネルギーを巧く利用できるような工夫が随所に凝らされ、特に夏場は快適に過ごせるそう。寒暖のみならず、地震にも強い家を目指しているそうで、備え付けの家具が多いのもそのせい。玄関の備え付けの椅子や傘立て、子供達のコンパクトな勉強部屋、キッチンからダイニングへ出来立ての料理をそのまま出せる仕掛けなんかは、「劇的ビフォーアフター」の匠がやっているような業で、今も昔も匠が考えることは同じなんだなぁと感心してしまった。おまけに、当時の最先端技術もしっかり取り入れていて、なんとオール電化住宅でヨーロッパから輸入した冷蔵庫も完備。本当に寸分の隙なく、モダンな家だった。

1時間ほどかけてサポーターの方の説明をじっくり聞きながら各部屋を見学。かなり充実感があった。ただ、去年の地震の影響で外観を工事中だったけど、地震云々以前にどこもかしこも、めちゃくちゃ傷んでいて、痛々しい。。当時のものが現存しているのが誇りのような語り口だったけど、むしろ修復しながら保存していく形に切り替えた方がいいのでは、と思った。興味ある方は早いうちに行ったほうがいいと思う…廃墟寸前…。見学は、毎週水・金・日4回回しで要予約。見学料1000円。こんな地味なところ誰も見学なんかしないだろうと高を括っていたら、意外に人いっぱい。早々締め切ってる回もあるので、希望日は早めに押さえたほうがよさそう。

ちなみに、藤井厚二の建築では八木邸というのも現存しているらしく、チラシをもらった。ここも、傷んでるんだろうか…早めに行かねば。あと、タイムリーに「太田喜二郎と藤井厚二 ー日本の光を追い求めた画家と建築家ー」展が。京都文化博物館で、4/27-6/23。

そのままの足で大山崎山荘美術館へ。あまり時間がなくてめちゃくちゃ駆け足の見学。

f:id:kotobanomado:20190303134105j:plain

f:id:kotobanomado:20190303133953j:plain

「櫛・かんざしとおしゃれ」展。べっ甲や象牙、蒔絵の櫛。デザインも多様で、南蛮人とか日本地図のデザインに至っては、果たしてオシャレとは一体…という迷宮に迷いこんだ。大山崎山荘は聴竹居と打って変わって重厚感のある洋館。中でも2階の吹き抜けがめっちゃ素敵なんですよ!「レベッカ」のダンヴァース夫人が今にも出てきそうな。今回は時間がなかったけど、展示にちなんだケーキを喫茶室でまったり食べて、ゆったり過ごしたい空間。(某ホテルのオーダーブッフェと某百貨店のチョコレート博覧会に行ったため)(つめこみすぎや)何故かいつ行っても空いていて、もったいないような、このままでいて欲しいような。(館内を撮影OKにすると人は増えるだろうけど、あの居心地の良さはなくなってしまうだろう)

安藤忠雄のコンクリート建築と合体してる。

f:id:kotobanomado:20190303133921j:plain

f:id:kotobanomado:20190303133853j:plain

梅田から30~40分プラス徒歩7分or無料シャトルバスで気軽に行ける。変に観光地化されてなくてのどかな大山崎。かなり急な坂道なので体力に自信がない方はバスをお勧めしますが、季節がよければのんびり歩いていくのが楽しい。

www.asahibeer-oyamazaki.com

ふたたびバラが咲きました/如月よもやま

<今月の話題>

大友克洋童夢

・フィリップ・ニクルー「MATSUMOTO」

岡崎京子東京ガールズブラボー

・はるな檸檬「れもん、よむもん」

桐野夏生「OUT」

・「リング2」

・「嘘を愛する女

・「シェイプオブウォーター」

・「ベルサイユのばら45」

 

 

 月初め。久々に2連休を取ってホッと一息。去年から気づかないふりをしてきたけど、今年、ヤバいかもしれない。仕事量とは裏腹に、一向に増えない会社の給料に見切りをつけて、iDecoと積み立てNisaを始めようと腹を決める。この先またしばらく休めなくなるので、ひとまずその準備をいくつか。

初めて日経womanを買ってみたりなど。

速攻で感化され、今年やりたいことリストの書き出し。(出だしが「夜行列車に乗る」。)意識低い系にしてはかなり大きな一歩じゃない?

家族揃って、近所にできたピザ屋へ行く。ド田舎にしてはオシャレで美味しすぎて、採算は取れているか、いつまで持つか、という不安で頭がいっぱいになりながら、頬張る。食べログに投稿してあげようと思う。

久々に漫画。「団地団」を読んでからずっと気になっていた童夢は「AKIRA」よりずっと好みだった。今思えば、「来る」後半のエスパー合戦はもはや「童夢」だったのでは。

今年は「渦が森団地の眠れない子たち」もある。るひまみたいに、団地バスツアー付チケットとかあったら絶対行くのに。

バンド・デシネ開拓の一環で、「MATSUMOTO」を読む。

松本サリン事件がメインで、地下鉄サリン事件はほんの触り程度。オーストラリアであんな前日譚があったなんて。オウムの異常性そのものより、警察やメディア、一般市民のレベルまで「違和感」を覚えつつも危機意識を持たず放置されることの怖さ、そして、あまりにあっけなく日常が失われるさまを淡々と。

東京ガールズブラボー岡崎京子さん初期の作品。

80〜90年代のサブカルチャー考察には必ず岡崎さんの話が出てくる。私は90年代後半~しか肌感覚がないけど、確かに、時代の空気感を捉えていると思う。とりわけこの作品は、先行して読んだ「リバーズエッジ」や「ヘルタースケルター」にも増して、カルチャーが、もう、ページから氾濫していた。カルチャーへの渇望やシンパシーこそがヒロイン サカエちゃんの生命力なんだ。

東京都民でもなく80年代を知らずおまけにカルチャーに疎い私は、サカエちゃんの従姉妹マユミのように、すっかり蚊帳の外という感じ。今の東京の「ナウい」子達も、こんなに多様なカルチャーを摂取して刺激的な日々を活き活きと送っているんだろうか。だったら、いいな。どうせなら田舎の私たちには手の届かないぐらい、欲望と刺激まみれに生きて欲しい。

「れもん、よむもん」ははるな檸檬さんのコミックエッセイ。

さすが「ダルちゃん」の著者、本の紹介はそっちのけで、読書へと駆り立てる強烈な自意識へと話を掘り進めていく。中高生時代の自分にプレゼントしたくなるような本。

「OUT」読了。

主婦たちがひょんなことから犯罪に手を染める程度を想像していたら、清々しいまでにOUTな人たちのOUTな話でした。こんなエグいの、どうやって映像化したんや…。でも、あそこまでの犯罪に手を染めるかはさておき、ゆっくり毀れて死んでいく社会のどん詰まり感の中で、一緒に毀れていくか、打破するか、の二択っていう根幹部分はあまりにリアルで、生唾ゴクリ。

WOWOWで一向に「らせん」を放送してくれないので、代わりに「リング2」。

1でちょい役だった中谷美紀がヒロイン。柳ユーレイもメインキャストで、20世紀末のサイコ・ホラーを象徴する(私の中で)「女優霊」と「ケイゾク」の二人が揃ったこともあってか、序盤に立ち込める雰囲気は1より遥かに濃密。ただ、もはや呪いのビデオのルールはどうでもよくなっていて、誰も彼も呪われていくので、ビデオ、ダビング(画質がどんどん劣化していく感じ)、砂嵐に仄暗いロマンを感じていた身からすると拍子抜け。

予約ミスでラスト30分が欠けていた嘘を愛する女撮り直し。

徹底的にダメな映画だった。脚本もキャストも画も全てがぬるい。長澤まさみの着ているコンサバ服だけが気に入った。ブランド教えて欲しい。

満を持して「シェイプオブウォーター」。

ギレルモ・デル・トロ監督の「パンズラビリンス」が大好きなので、これも楽しみにしていた。まず目を惹くのが、グリーンベースの美術やレトロな音楽。「アメリ」のダークサイド版といった風で、徹底的にこだわり抜いた作りこみ。「異種族ラブロマンス」と謳われているけど、むしろマイノリティ/マジョリティの溝がデカい。機知と愛情によって結びついた、ヒロインたちのマイノリティコミュニティ(ヒロインは声が出ず、仲の良い同僚は黒人、良き理解者は同性愛者、恋に落ちるのは半魚人)と、美しい妻と子供たち、マイホーム、マイカー、全てを手にした、理想的、模範的なマジョリティ(白人男性、軍人。イエローベースの明るい世界。)の暴力による支配が裏返しになっている。半魚人を制御しそこね、軍人の指がふっ飛ぶエピソードがわかりやすい。無理やりくっ付けた指が腐ってだんだんと変色し、悪臭を放っていくのだけれど、軍人は意地でも自分の「欠損」を認めない。「まとも」な「男」というマジョリティのありもしない幻想に憑りつかれている。ヒロインの良き理解者 画家のジャイルズはカメラに取って代わられ、広告の仕事をクビになった。消費の欲望を掻き立てる、広告に相応しいイメージが描けていないとダメを出される。でもヒロインと半魚人の恋物語をハッピーエンドのおとぎ話にして語り継げるのは、―ヒロインのネガティブな過去をポジに反転させる―彼のイマジネーションあってこそ。

トクサツガガガ」のダミアンが、「リアルってまるで怪人だね」と呟き、塾までの道のりを大好きな戦隊モノの世界に見立てたように、ファンタジーやイマジネーションって、リアルで生きづらい時に心に宿るものだから。負け組やマイノリティのレッテルを押され、生きづらい目に遭っている社会的弱者を救い、励ますものがファンタジーだ。(だから、ファンタジーの力でご都合主義的に問題が解決されたり、世界に平和が訪れたりはしないし、世界は強者が支配したままなのだけれど。)このマイノリティへの優しい視座と、ファンタジー、イマジネーションへのリスペクトが全編を通底している。うーん、こう考えると、基本構造も「パンズラビリンス」に似て好き系なはずなんだけど、それほどハマらなかったのは半魚人にドン引いてしまったからなのか。

舞台はベルサイユのばら45」のみ。今更「ベルばら」なんて …という熱量の低さで見たくせに、最終的にはワタコム、コムチカ、ノルユリ最高ー!!!となって終了。『ベルばら』は普通に上演されると見るに堪えないので、これくらいの抜粋で、お祭りイベント的にやった方が断然楽しい。充実ー。レジェンドチームの貫禄。カン様の流石のカデンツァに汀夏子さん渾身のジェミニ。安奈さんといっちゃんの「愛の巡礼」豪華聞き比べはどちらも最高過ぎて軍配上げられず。『ベルばら』でサヨナラだったノルユリ(特別編成のフィナーレでボレロがなかった)、18年越しのまさかの「ボレロ」には、嗚咽が止まらなかった。わたるさんはいつにもましてオスみに磨きがかかり、ばらタン、小雨なんか、今すぐ劇団に出戻ってほしいレベル。いや、水さんの小雨も捨てがたく、エロの大氾濫。コムさんも現役時代よりもずっと人間らしくて素敵なオスカルを見せてくれた。わたるさんや水さんを見ていると、これこれー!となる。完璧な作画のまま涼しい顔でいられても心動かない。私は宝塚で、現実離れした完璧な作画が、エネルギッシュに、そして色っぽく、ゆがみ、崩れるのが見たいのだ、と気づく。えぐみギリギリに、美しさが予想もしない化学反応を起こしていく。そんなスリリングで刺激的な瞬間が、宝塚にはある。…しばらくぶりに忘れていた感覚を思い出させてもらった。

そして、月末、仕事の果てにノロ。お腹より熱が堪えた。大山崎山荘美術館国立国際美術館へ行った話は別立てで書く予定。