アニマルショーをのぞけば約4ヶ月ぶりの観劇。久しぶりの観劇に臨んだ人たちの「知らぬ間に観る筋力が落ちている」というツイートで覚悟してたけど、まずもって耳が非対応で、台詞をなかなか拾ってくれないので困りました。
さて、棚からボタモチサパです。ACT公演だったはずが、コロナ特別編成で大阪公演が生まれました。今をときめく上田久美子氏のSF、しかも音楽は三宅純さん。期待しないはずがありません。
未来のいつか、水星(ポルンカ)。過去を消された男。記憶を探す女。謎に満ちたクレーター“SAPA(サパ)”。到達すれば望みが叶うという“SAPA”の奥地。夢を追い、あるいは罪に追われてクレーターに侵入する巡礼たち。過去を探す男と女もまた、その場所へ…。
追撃者から逃れて、2112時間続く夜を星空の孤児たちは彷徨する。禁じられた地球の歌を歌いながら──
長い夜を他人の夢の中で過ごす男。エスニックな音楽にのって巡礼者のように行き交う人々。でも、もはや水星には神様はいなくて、全体主義だけが蔓延っている。記憶をなくした男はまだ目を覚まさない。
美しいモチーフに加え、三宅純さんの音楽と、KERA作品を手掛ける上田大樹さんによる映像の力も相まって、究極にダサくなりがちな宝塚のSFがスタイリッシュに出来上がっていた。それには主演のまかぜ氏も一役買っている。
うえくみ作品のまかぜは解釈が全一致している。ああ‥やっぱりわたしは眠らない男より眠り続ける男が好きなんだな‥。眠り続ける男の纏わせるアンニュイな湿度、芳香。それは芝居のスキルとか単なるビジュアルというより、オーラ、風格の問題で、わたしはまかぜの纏うこういうオーラがたまらなく好きだ。モノローグには「螺旋のオルフェ」ぶりに痺れてしまった。
全体を見渡せば、もうちょっと上手い人で見たいな…という気持ちは何度か芽生えたけど、この役はまかぜのための役だったと思う。逆に、キキはしどころがなく可愛そうだし、星風さんのニンではないように見えたけれど。思いがけず良かったのは、難しい”女役”に体当たりで挑んでいた夢白あやさん。京さんの危なっしいスパイスも楽しかった。
しかし、せっかくのアンニュイな世界観が台詞で埋め尽くされる。SFだから説明台詞がどうしても増えてしまうのは仕方ないとして、やけに修飾が多いのも気になるし、2幕では特に、脚本家の言いたい欲が前面に押し出てくる。差異(マイノリティ)を締め出すことで作り上げたまやかしのユートピア(「BADDY」のモチーフでもあった)と、それを生み出すきっかけになった、差異を超えて分かり合えるという幻想を忽ちかき消す地獄の記憶。記憶をなくして夢の中で微睡むまかぜと、万人の業を背負って孤独にもがき苦しむ汝鳥伶さんは間違いなくダブル主演で、終盤までシルエットのみしか登場せず、最後にあれだけの求心力ある芝居を見せられるのは、今の宝塚では汝鳥さんしかいない。真の目的は国民に養分を供給するためではなく逆に彼らから情報を吸い取ることだった「へその緒」で、理想の社会を孕ませられる星風さん。近頃立て続けに読んでいたせいか、この辺りは、浦沢直樹感が爆発しているように見えた。
確かに今日的で切迫したテーマであることは間違いないんだけど、その声高さは、わたしの求めてたウエクミ作品ではないな、と思ってしまった。何度も書いてるように、わたしは原田先生は「清く清く正しく美しく」、植田景子先生は「清く正しく正しく美しく」、ウエクミ先生は「清く正しく美しく美しく」だと思っていて(このニュアンス伝わりますでしょうか)、今回は「正しく」が1こ増えちゃったね、という感想でした。