だらだらノマド。

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『蜘蛛女のキス』@シアター・ドラマシティ 感想

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舞台にあまり関心を持てず、物理的に観劇に割ける時間も少なかった2021年の中で、心待ちにしていた数少ない作品。
ストレートプレイ版は観たことがないけど、原作も映画版もミュージカル版も三者三様に好きなんですよね。といっても、ミュージカル版は10年くらい前?の、オギー演出の梅芸製作版を一度観たきりで、ほとんど記憶が残ってない状態。

今回の演出は、劇団チョコレートケーキの日澤雄介さん。ホリプロ製作でストレートプレイの演出家が手掛けたミュージカルといえば、森新太郎さんの手掛けた『パレード』での衝撃的な化学反応を思い出す。

この作品も『パレード』に負けず劣らずのハードな背景を持っているので、"社会派"とされる日澤さんにお声がかかったのかなとは思うんだけど、私が持つ劇チョコのイメージは飛び道具なしの堅実な芝居づくりで、一方、この作品は、いかに現実と夢を往来できるか、夢をいかに描けるか、がミソだと思ってるので、持ち味、違くない‥?と思った。

実際、ミニマルながら高さと奥行きを最大限に活かした装置(二村周作さん)で堅実に二つの世界をまとめ上げようとしていたけど、やはり、オーロラを中心とする夢の世界の引力が全くと言っていいほど感じられなかった。
振り返って、自分のオギー版の感想を読んでみると「現実と夢(映画世界)のメリハリがつかず曖昧」と書いてあった(その渾然一体のカオス感がオギーらしさでもあるのだけど)。確かに、前回も今回も、ハコの大きさやセット・衣裳の予算上、世界観を一気に切り替えたり切り分けることは難しかったと思う。

一方で、youtubeに落ちている初演映像を観てみると、チタ・リヴェラの圧倒的なカリスマ性と大掛かりな装置で夢の世界が段違いに華やか。日本版とは全く違った作品に見える。

特に「Gimme love」とか「Where you are」は、チタ・リヴェラのショースターとしての魅力が弾け、テンションが爆上がり。

ただ、よくよく考えてみると、このシーンが最高に盛り上がり、監獄と夢のシーンが明確に切り分けられたところで、モリーナの夢の世界をより深く味わえるようになるんだろうか。よりモリーナ達に寄り添えるようになるんだろうか。そして、本当にこの作品の筋道が見出せるんだろうか。映像と違って、現実と夢を同じ地平でないまぜにできるのが舞台の良さでもあるのに、メリハリをつけることだけが本当に正解なんだろうか。…もはやわからなくなってしまう。

そもそもの話、ミュージカル版「サンセット大通り」(トーキーに移行できなかったサイレント映画女優が美声で歌いまくる)と同じような感覚で、オーロラはこんなに派手に歌い踊らなあかんのか?そもそもミュージカルである必要性とは?という疑問が浮かんでくる。(身も蓋もない)

もう少し遅くにミュージカル化されていたら?もし映画化、舞台化されていなかったら?もしチタ・リヴェラじゃなかったら?この過剰とも言えるミュージカルらしさも少しテイストが違っていたんではないか。結果、複合的にミュージカル濃度を上げざるをえなかった作品を、後々、チタ・リヴェラという強力なアイコンも潤沢な予算もなしに、どう方向付けるか。そのディレクションって、あまりに難しすぎるのでは。

とはいえ、フィクションが現実世界を生きる助けになるというのは、私の大好きなモチーフなんですけど、現実世界から映画世界に静かに逃避するというより、映画世界(というより華やかなミュージカルシーン)を辛い現実世界に解き放って世界を彩っていく(看守や囚人たちまでミュージカルシーンに参加する)こと、そしてなおかつ、それが絶対にたどり着けないユートピアの世界という残酷な皮肉になっているのは、過剰なミュージカルらしさという仕掛けがあるからこそ。

そして、ラストシーン。モリーナの人生のエンドクレジットには、元気なヴァレンティンや刑務所の看守たちがにこやかに勢ぞろいしていて、華やかな白燕尾に身を包んだモリーナの歌とダンスの"ハッピーエンド"に白々しいまでの大喝さいを浴びせる。

モリーナは、ヴァレンティンや警察署の所長たちの筋書き通りに動き、他人の物語に回収されてしまった不幸な人なんだろうか。大好きなオーロラが演じた映画のヒロインに成り代わり、自分の物語を紡げたんだろうか。蜘蛛女とオーロラが表裏一体のように、それもまた事実をいかに捉えるか、ということなのか…と逡巡していたら、最後の最後に、過剰なミュージカルらしさを鋭利な刃物のようにして、思いっきり皮肉を突き立ててくるの怖すぎない?ある意味、これは原作よりも映画版よりも怖い結末だと思う。

そして、このエンドクレジットで、オーロラの映画を観ていたモリーナがヒロインになった映画を観る我々という入れ子構造が出来上がって、次は我々に託されるんだよね。この物語を観てあなたはどう自分の物語を紡ぎますか?(もっと言うと、どうやって「ビバ!レボリューション!」しますか?)

重いし怖い。正解もわからない。でもまた観たくなってしまう。

続いて、キャストの話。

石丸さんと相葉さんは大熱演。でも、わたしの記憶で異様に美化されているのか、石井モリーナに寄り添えた感覚があったんですよね。

安蘭さんのオーロラはもっとミステリアスに作り込むと思ってたので(蜘蛛女は期待通りだったけど)、あまりに生っぽくて、愕然としてしまった。

衣裳も、全体的に瞳子さんのスタイルに合ったものだとは思えず、振付がもっさりとしている上に安蘭さんもダンスが得意なわけでもなく、かといってハッタリをかますわけでもなく、何だか頼りなさげで音楽を持て余しているように見えて、え??となってしまった。

あと、ロシア革命前夜、革命家の腕の中で息を引き取る”ビバ!レボリューション”は、今後のモリーナの運命を特に暗示している重要なシーン(実際、ラストにモリーナがリプライズする)で、安蘭オーロラ演じる映画風の映像がスクリーンに流れながら、その前で安蘭さんが芝居をしているんですけど、そのニュアンスがよくわからず。シリアスな映像とは裏腹に、生身の安蘭さんは安っぽいコメディテイスト。それは、あくまでモリーナ目線で語る映画世界で、特にシンパシーを感じているであろうこのキャラクターにモリーナ自身が成り代わっているようなイメージかもしれないけど、異様にコント的で狙いがよくわからなかった。

香寿ママはあまりに若い。監獄のシーンに出てくるママは、モリーナが幼い頃の幻想なので、終盤はもっと老けで出てくるけど、それでも若い。でも、さすが誰の声にも馴染むたぁたんの魔法の声で、マルタの小南さんとのハーモニーは鳥肌もの。石丸さん、相葉さんも含めた四重唱「Dear one」は胸に迫るものがあった。
たぁたんの声は日本ミュージカル界の唯一無二の至宝だと思ってるので、M!やラカージュのようなルーティンものに加えて、こういう新しい役にも色々挑戦してほしいです。あと、やっぱり瞳子さんと一緒に出てくれるのはかつての雪組星組時代を思い出して嬉しいよね。
一方、バレンティンの幻想、マルタの小南さんも、太くまろやかな声で抜群の歌のうまさなんだけど、芝居苦手な雰囲気が漂っていて、立ち居振る舞いも含め固いので、もう少し柔らかくなるといいなーと思った。