だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

『4000マイルズ』と『ショウ・マスト・ゴーオン』と『あの夜を覚えてる』

メモを発掘したので今更放出!

『4000マイルズ』@シアター・ドラマシティ

www.tohostage.com

2011年にオブブロードウェイで初演。以降、各地で上演されている4人芝居。

ミニシアター系の映画のような温度感で、老いた祖母と、祖母宅へ自転車旅で立ち寄ったモラトリアム期真っ盛りの大学生の孫との取り留めのない日常が描かれる。

4人のキャラクターの他にも、亡くなった友人や養子の姉、アパートの隣人ら、舞台には登場しない人物が台詞からしっかり浮かび上がってくるのが良かった。

中でも好きだったのは、隣人の独居老人との関係性。隣同士でも"プライバシーの問題で"めったに顔は合わせないものの、電話で喧嘩しながらも安否確認し合い、新聞を回し読みし、時には扉を開け放してWi-Fiを拝借する、緩い繋がりが心地いい。結局、お隣さんは亡くなってしまうのだけど、その弔辞でも、登場しないはずの人物の生きざまが豊かさに伝わってきて、グッときてしまった。

高齢の祖母役を演じるのは高畑淳子さん。ひとりぶっちぎっている。老いをとんでもなくリアルに表現しているのはもちろん、長い人生の中で蓄積してきたであろう思想や知識、経験がその表情、言葉、身のこなしから感じられ、彼女がこれまで紡いできた人生に思いを馳せずにはいられない。

高畑さんのえげつない芝居を前に他のキャストは置いてきぼりを喰らっていた。孫のレオには岡本くん。Mバタなんかに比べたら随分等身大に近い役柄だと思うんだけど、欧米のティーンエイジャーって逆に難しいんだろうか。彼の出演作を2作しか見てない中ではあるものの、私の見る限りでは元々彼の持ち味は等身大とかナチュラルではない気がして、こういう役はニンではないような。独特のクセというかしなをつくるようなところがあって、妙に意味ありげに見えるんですよね。そういう意味では、Mバタの方が彼に合っていたとは思う。この作品のPR文に、この世の少年・青年役を全部やってる(という勝手なイメージ)モラトリアムシンボルのティモシー・シャラメ主演で上演予定だった(コロナで中止)とあって、いかにもすぎて納得。

レオの彼女役の森川さんは正直疑問。この役次第でもっと見え方が違ったのでは。瀬戸さんは瀬戸康史さんの妹らしい。わたしははじめましてだったけど、色々舞台に立ってらっしゃるよう。これは翻訳劇あるあるで仕様のないことだけど、中国人って言われるまで、なかなか人種の違いに気づけないよね…。

『ショウ・マスト・ゴーオン』@配信

www.siscompany.com

さすがの人気公演で、ぼーっとしてるうちにチケットは完売、楽しみにしていたライブ配信は公演中止に伴い当日キャンセル。もはやここまでか…と思っていたら、まさかの三谷さんが代役4役目にしてとうとう主役の舞台監督役に躍り出て、千秋楽の翌日に追加公演を設けて配信を実施するという超ミラクル技を繰り出してきた。

オリジナル版から時代やキャストに応じてキャラ設定や台詞をアップデート。正直、コメディとしては、オリジナル版の掛け合いには勝らなかったと思う。でも、無傷のままランニングできる舞台作品はおそらく一つもないようなこのご時世に、何が起きても諦めずに上演し切るという最高のファンタジーを、作品を地でいく「ショウマストゴーオン」っぷりで成し遂げるって、笑いよりも涙がこみあげてならなかった。

と言いながら、わたしは「ショウマストゴーオン」という言葉が好きなわけではない。というのも、「SHOCK」の影響なのか、近年、どんなトラブルに見舞われても満身創痍であっても公演を続けることが美談としてSNS上で消費されていくのを度々見かけてきて、それが違和感でしかなくて…。

でも、ここで描かれる決断は、どう足掻いても美談にできないくらい、どこまでも、ほろ苦くて滑稽で泥臭くカッコ悪い。最良の選択なのかすらわからないけど、舞台というたった数時間の儚い積み重ねの奇跡と尊さがつまっている。

コロナ禍になってから、無念にも公演中止になった作品は数知れず、表向きには無事に全公演上演できたものでさえ裏では色んな危機を乗り越えててきただろう。それら全ての公演に携わった人たち、そして、それを見届けた、あるいは見られなかった観客の祈りや想いを全て昇華させるような作品だった。

三谷さんが代役に入った舞台監督 進藤は鈴木京香さんが演じる予定で、オリジナル版からは性別もチェンジされていた(ちなみに、実際この舞台の舞台監督を務めたのも女性で、配信の幕間には三谷さんとの対談も放送された)。

これを三谷さんはオリジナル版同様男性として演じていて、時折台本を見ながら(舞台監督役なので台本を持ったり読んだりするのは元からある段取りで、かなり自然)淡々と芝居に参加する。疲れの溜まった地味な中年感が妙に舞台監督としてリアリティがあって、見ているうちに愛おしくなってしまう。舞台監督の恋人役(男性キャスト)との関係性も、三谷さんに変更になったからといって設定や台詞を変えることもない。三谷さんの進藤が本当に自然で、恋人の彼が登場した瞬間に人間関係がふわっと浮かび上がったのが素晴らしかった。芝居って単なるスキルじゃない。芝居の奥深さを噛み締めた。これが図らずしも2022年版として更にアップデートしてくれたようにも思えた。

そして、三谷さんが演じることで、脚本家への痛烈なダメ出しも「裏方が舞台に出るのは恥だと思ってくれ…!」の台詞も、メタ的な可笑しさをまとい、もはやここまで想定して書いたホンなのでは、と思わせるほど。終盤になるにつれ、何としてでも舞台を完遂させるべく奮闘する姿に気迫がこもり、その一言一言が演劇界を代表した宣誓のようにも聞こえ、じーんときてしまった。

三谷さんはいわゆるプランナーというやつで、本来なら初日が開けばランニングスタッフに舞台の進行をバトンタッチする立場なんだけど、なんだろう…このコロナ禍だから余計に、プランナーとランニングキャスト・スタッフの想いが三谷さんを通じて重なり合って、みんな一丸になって作ってるんだな‥という再認識と、そこにお客さんの思いも乗っかった瞬間の幸福感というか、気持ちの共有にひたすら泣けた。コロナ禍で再演することにこれだけ意味を持った作品は他にないんじゃないだろうか。2022年の観劇納めがこの作品で本当に良かった。希望を感じたよ。

 

「あの夜を覚えてる」@某所

no.meets.ltd

ニッポン放送の「オールナイトニッポン」55周年記念の配信ドラマ?演劇?
ノーミーツ 小御門さんの脚本・演出。前半戦は「オールナイトニッポン」生放送の裏側を描く「ショウマスト〜」的なバタバタ劇、後半戦はパーソナリティのある秘密に迫って、ラジオ愛を掻き立てる大団円へ。

おそらく全編にラジオ好きなら引っかかるであろう小ネタやあるあるネタが散りばめられているのだろうけど、ラジオに縁遠い私には全くわからない。ただ、前半戦ー後半戦を繋ぐブリッジ部分で、「オールナイトニッポン」のリアルパーソナリティたちの喋りが出てきて。そこで、この作品の主役である架空のパーソナリティ藤尾涼太(千葉雄大さん)について、あたかも自分達と同じように本当に「オールナイトニッポン」のパーソナリティを務めているかのように、自分の言葉で人となりや自分との関係性を言葉で紡いでいくのには、ちょっと感動してしまった。多分、劇中一番の感動。特に、ぺこぱのあのナチュラルな掛け合い、素晴らしかった。

その昔、オーソン・ウェルズがラジオで「宇宙戦争」を朗読して、本当に火星人が襲来したと勘違いした市民たちが大混乱に陥ったという逸話があった(その話自体、フェイクでは?という話もある)けど、まさにそのフィクション・ストーリーとリアルが交わる場所がラジオなんだと実感できる(1幕中盤で、過去放送で印象的な回をリスナーから募集したら、全部存在しない回だったというのも良いフリになっている)。

とはいえ、大前提としてラジオは、パーソナリティの語り口からその人となりを想像し、リスナーがその人に惚れ込む、ある種の信頼関係が必要になってくる(それが羨ましくもありながら、自分はハマれないなと思う要因でもある)ところが、1幕終盤で、藤尾はアドリブが苦手で、実はフリートークも作家に書いてもらった台本をそのまま読んでいただけ、という秘密が明らかになり、そのままパーソナリティ卒業を発表する。リスナーにとっては、背信行為に違いない。

2幕では、そんな彼がとあるトラブルから一夜限りパーソナリティに復活。台本を手放し、自分の言葉で率直にリスナーに語り始める。すると、リスナーもまた自分の思いをパーソナリティに打ち返す、公開ラブレター交換のような、面はゆくも温かなひとときが生まれる。2幕のエモーショナルなオチ部分のリスナーからのメールはリアルなものかと思いきや、これは仕込みらしい?ここもリスナーもまたぺこぱの二人のように藤尾を実在する人物かのように仕立て上げて、作り上げた方が面白かったのではと思ったけど、流石に役者にとって酷だろうか。

あと気になったのは、1幕が冗長。生放送でトラブルが突発的に起きてそれをみんなでカバーするというよりは、一人のどんくさい失敗によるものでその描き方にもちょっとイライラしてしまった。あと、幕間部分でリアルさを担保するような作り方をしている割に、ADほかスタッフ役の芝居や設定がかなり戯画的なのも、違和感を感じた。

全体的には、同じくノーミーツが製作に関わっていたサンリオピューロランドの「VIVA LA VALENTINE」の、ユーザーが嫌がるような業界の裏部分をあえて見せて、それを乗り越えて作り手と受け手の「夢」を結び直すというストーリーラインを思い出しつつも、あちらはファンタジー色が強かったので、キャラやフィクション度を統一しやすかったんですよね(あと、テーマパークやキャラの裏側ってもうそもそもコンテンツ強すぎで面白い)

それに、「ショウマストゴーオン」的なコンテンツを立て続けに観たということもあって正直既視感が半端なく、SNS上で絶賛されていた所以を感じることはできなかったかな。ただ、熱心なラジオリスナー的にはこういう風にも見えたらしく、なるほど、と思った。それは舞台好きが「ショウマストゴーオン」に、今の演劇界を重ね合わせるのと同じ、メタ視点での感慨。

そういえば、千葉くんは特別に追ってるというつもりはないのだけど、「桜蘭高校ホスト部」から不思議とよく見ていて、合う/合わない役柄がはっきりしている役者さんだけど、不思議な魅力があるんですよね。今回の終盤の千葉くんの語りは、まるでパーソナリティの鑑のように、彼の魅力が滲み出ていたと思う。ただそれも台本があって…。先にも書いたように、このフィクションとリアルの往来こそラジオの面白さなんだと、ラジオ初心者の学びの場となりました。

 

そして、今度は舞台になるようです。

event.1242.com