宝塚宙組『オーシャンズ11』@宝塚大劇場 感想
宝塚版は星組版を映像で一度見たきり。香取版も一度しか見ておらず、記憶もほぼなくて、作品に対する思い入れはない。それでも、初代、2代目のライナス、新公のダニーだったまかぜとキキが、この作品で真ん中に立っているのはなんだか感慨深かった。
まかぜダニーは、れおんくんやらんとむのようなギラツキはないかわりに抜け感があって、程よくアダルティー。文句なしのかっこよさだった。スタイリッシュに成立しているからこそ、妙に宝塚らしくダサく作っている、2幕冒頭の夢のシーンとか、ゾロみたいなシーンで、かえって齟齬が生まれる。これだけ原作物が増え、コテコテの宝塚ものが少なくなった今、「宝塚のスタンダード」も受け手側の意識も更新されているはずで、この手の「宝塚化」は必要ないんじゃないだろうか。
キキはすっかり頼もしい2番手になっていた。ビジュアルもより一層磨かれ、自信が漲っている。テリーの桜木さんは、歌も芝居もソツなくこなし、後半にかけて尻上がりに良くなったものの、トップと渡り合う敵役としてもっとスケール感がほしいところ。可愛らしい顔つきや華奢な体格も手伝って、男役としてのオーラが圧倒的に足らず、すぐ周りに紛れてしまう。身のこなしや居住まいも魅力不足。これじゃスーツ姿がきまらない。下手じゃないのに、もったいない。同じく、星風テスもオーラ不足。娘役の教科書的な芝居と歌で、テスの人物像が見えてこない。確かに、酸いも甘いも知った人妻役には、まだまだキャリアが浅いかもしれないけど、背伸びしてでも役を掴もうとする工夫が見えない上に、どんな衣装を着てもゴージャスに見えず、微塵もスターにみえないのは辛い。これでは物語が破綻してしまう。まかぜは学年的にもキャラ的にも、若々しい青年役より、今回みたいなアダルトな役が中心になってくると思うので、その相手役が今後もこの調子だと厳しいな…と思う。ハッタリ効かせてほしい!
ライナスには和希そら。この人のアニタ観たかったな…と改めて思う。小柄な体格も、今回はぴったりだった。フランクの澄輝さんはよく似合っていた。でも、さよならでこれは惜しい。
モロイ兄弟は、新公中心メンバーの、優希しおんさんと鷹飛千空さん。もっと弾けていいのに、このままだと和希そら一人勝ち。オーシャンズのメンバー以外では、留依蒔世さんが歌が上手いだけでなく、ちゃんと場面を成立させてくれる安心感が。
ショーは小池先生のいつものやつ。キキは男役群舞になると俄然輝く。大階段が初舞台生に負けじとうるさくて、無駄に頑張ったパワポみたいになっていた。一番好きなのは105が右往左往するところ。
『クラッシャー女中』@シアター・ドラマシティ 感想
作・演出:根本宗子
ここ5年ぐらいで一番きつい観劇だった。(小野寺よりしんどかったかも!)根本宗子作品が初めてなので、根本さんの作風が合わないのか、たまたま今回の作品だけなのかはわからないけれど。とにかく、ただただ、きつかった。
だって、休憩なしの2時間半。冒頭の10分、趣里ちゃんたちが小道具を動かして、役を纏う前の役者として取り留めのない話をしてる時点でもう疲弊。ぐるぐると堂々巡りの台詞、突然の歌、佳境を迎え白熱した芝居をする麻生久美子の周りで、騒音を立て続けるキャスト…。演劇サークルかな、と思うほど、やることなすこと全て青く、練られていないプランが、延々と繰り広げられる。え、これ、いる…?何回心の中でつぶやいただろう。
ストーリーとしてはシンプル。お金持ちで才能に満ち性格も良い、一見完全無欠のボンボン義則は、実はエセ天才の性悪男。家族ぐるみで才ある人たちを丸め込み、完璧な彼を仕立て上げただけだった。彼を取り巻いて様々な愛憎が裏返ると同時に、彼の化けの皮が剥がれ、人間関係がクラッシュする。そうして破れかぶれな義則(中村さん)に、かつてデザインの才能だけ吸い取られ、存在を消されたゆみ子(麻生さん)だけが手を差し伸べる。義則たちの視界から消された後も、一心に彼を見つめ続けてきた彼女にとって、これが最上級の愛情表現で、全てはこの「私だけが助けてあげる」瞬間のための破壊だった。この一方的な愛情(思い込み)の押し付け、こじらせ。
「りさ子のガチ恋俳優沼」を真っ先に思い出す。
そう、これは明らかに、「見えないもの」とされている、闇に沈んだ客席から中村倫也への視線とダブらせている。
と、普通にやれば間違いなく1時間半で終わるところを、やたらとこねくり回し、引き伸ばす。私には根本さんが大舞台で、何とか爪痕を残そうと必死に足掻いた(挙句、から回った)結果に見えたけど、そもそもこれが根本さんの作風だったら、わたし、合わない。作演自身が出る舞台の駄作率高い説の精度が、どんどん上がっていく。
中村倫也氏は、声が発光しているよう。甘ったるいのに澄み切っている、唯一無二の声の持ち主。麻生さんは全くピンとこなかった。クレジットと実際のパフォーマンスの比重も噛み合っていない。実質ヒロインの趣里ちゃんはパワフルに振り切っていた。趣里ちゃんの声は鋭い。
ハイリスクハイリターン/3/18~30よもやま。
3/18(月)~3/24(日)
仕事。ここ2年で増えた5キロをどうにかするため、せめてものストレッチアプリを入れたら、ものの5分で筋肉が死んだ。
宝塚の推し活HPと観客乱入の件がTwitterで話題。前者は特定のスターを「推す」というのが、宝塚らしからぬお下品な表現らしく、ファンの間で炎上していた。(そのせいか、もう閉鎖したらしい)Twitterプロモーションの一環のようで、アイドルや2.5次元のような、宝塚と親和性の高いファンに向けて放った、渾身のキャッチフレーズが「推し活」だったんだろう。HP内容はというと、いたってありきたり。「推し」という言葉とは裏腹に、トップスターの画像すら使わず、キャストの紹介ゼロ。あくまでもキャラクター紹介のテイをとって舞台写真を載せる。さらに、ここでもクレームを避けるため、キャストは全てOGという徹底っぷり。だから宝塚きっての人気作品、「エリザベート」のトートが出せない!代わりに、まさかのナポレオンが出ていた。この宝塚の気遣いときたら・・・!それでも炎上するねんけど・・・!
一方、観客乱入の件は、
一方の壁を隔てて向こうはもう客席、もう一方は引き戸が並んでて何だろうと思ってたら、トイレ個室だった!すごい!ミニマム!舞台も客席も小さい。客席は畳上にベンチスタイル。床暖房が効いている。
まずはイベント司会を兼ねた旭堂南春さんによる英語講談。全く英語が喋れない私でも割と理解できた。次が人生初のお能。歌舞伎や文楽は見慣れていて、テンポやスピード感を共有できている。たとえ言葉の意味がわからなくても、ちゃんと体がリズムを受け止められる。能は、そろりそろりと静かに始まった…のに、突如として「発作的」に、鼓が全力で鳴らされ、同時多発的に台詞を発しながら、猛スピードで動き回る。この一瞬にして沸点に至るスピード感、エネルギーが新鮮で、めちゃくちゃ面白かった。去年、「No theater」の後に観た、地点の「忘れる日本人」。あれもまた能だったんだ、と1年越しの気づき。山本能楽堂は必ずまた行く。
休み。ゆっくりしようと思ってたけど、『KEREN』が気になりすぎて、観に行く。
3月末を期限に、席替えを言い渡される。今日金曜日ってことは、実質今日までかい…!労力の割に代わり映えのしないフォーメーション。移ってきて早々に、ドリンクをこぼす。
携帯は本当に本当に切るか機内モードにしてください本当に頼む。
— 岩井秀人 (@iwaihideto) 2019年3月30日
そんで万が一、鳴ったとしても、鳴らしながらうろうろ出て行くとか、本当に本当にしないでくれ。あんただけの問題じゃないんだ。その場面を繰り返した稽古も、そこにいる800人の時間も無駄になるんだよ。
『世界は一人』@シアター・ドラマシティ 感想
作・演出:岩井秀人
音楽:前野健太
出演:松尾スズキ 松たか子 瑛太/
平田敦子 菅原永二 平原テツ 古川琴音
演奏:前野健太と世界は一人
(Vo,Gt.前野健太、B.種石幸也、Pf.佐山こうた、Drs.小宮山純平)
直前まで舞台の存在自体を知らなくて、 気になっていたハイバイの岩井さんの作・演だし、キャストも良いし、観に行きたいけど、もうチケット余ってるはずないよな…と、ダメ元でぴあをのぞいたら、あった。今月はドラマシティ皆勤賞。
いまは寂れ切って、
シャッター街となった地域に生まれ育った同級生三人が、
成長し、家族とモメにモメ、
窃盗で捕まったり、自死を計ったり、
上手く立ち回って、人生の罠から逃れたりなどしつつ、
東京へ出て成功したり、
失敗しながら再び巡り会う、物語。
明快なパワーバランス(性格、親の経済状況)が成立する幼少時代から、中高でのしくじりや自意識の高まり、家族との不和などを経て成人になって、時に思いがけなく、人生を拓いていく局面ひとつひとつが、ほろ苦い。
海洋汚染を招いた有害な汚泥は取り除かれ、再び綺麗な海になった。でも、汚泥はこの世から消えたわけではなく、どこかに移されただけで、あり続けている。ある日、ふいに攪拌される、みたいな、誰もが見て見ぬ振りをするけど、忘れられない、人生のすすけた部分がさらけ出されていた気がした。
小学校時代の「おねしょ事件」で、良平(瑛太)は吾郎(松尾スズキ)に恥を擦り付け、吾郎は復讐する。でも、実は、美子(松たか子)が真犯人なのか…。吾郎からしっぺ返しをくらった良平は、家に引きこもる。孤独が膨らみ続けて、時間も言葉も記憶も引き攣れる。対して、吾郎の家庭では、過去の記憶を他人と共有すること、そのズレを愛おしみ、笑い合える幸せが描かれる。ただし、そのズレが余りにかけ離れると幸せは簡単に壊れてしまって、人は忽ちよりどころを失くしてしまい、孤独になる。
うさんくさい心理カウンセラーが言うには、自己の一部は他者が引き受けられる。過去の記憶を皆で擦り合わせて、思い出が出来上がるように、他者の補完によって自分が作られていく。一人の中にも他者がいる。人は、人との関わりの中でしか生きられない。一度傷ついた心はまた疼くし、自分のコンプレックスやトラウマから心を守るため、他人を傷つけ、傷ついて、生きていくほかない。
根っこが悲しいからこそ、吾郎と美子の「出会い直せばいい」ソングと、他者と通い合ったひと時の幸せがキラキラとより輝く。松尾スズキ氏の独特の存在感が良くマッチしていた。作り手としてよりも俳優としての方が好きかもしれない。瑛太は舞台でも上手い。おまけに歌もうまくて、私の中でルキーニ待望論が生まれた。松さんはよくも悪くも馴染まない人だと思う。(だからこそ「カルテット」のマキさんがハマっていた)
大きな鉄製の枠組みだけのセットが万能。シーンによって何にでも変身するし、遊具みたいに人力でくるくる回転する時、とっても、寂しそうな音を立てる。前野健太さんの音楽とも溶け合っていた。
『KEREN』@COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール 感想
悪趣味な上に、構成もフォーメーションも振付も凡庸で、ダレる。殺陣が一番よかった。プロジェクションマッピングは高精細で立体感がある。パフォーマーの質はバラツキがあって、
宝塚のショーでもありがちな男女の駆け引きバトル、男性側はヤクザで、女性側はミニスカ女子高生。あぁこういうとこですら、制服姿の高校生が、性的ファンタジーを担わなければいけないんですね…とげんなりした。(女性陣は全体的に露出度が高く、お色気シーン満載)女子高生を追いかける、バルーン着ぐるみの相撲レスラーは、モンスターらしい。唐突に「白鳥の湖」を踊り始める。何これ、お相撲さん、馬鹿にしてない…?上演中も撮影OK。キャプションは公式HPより引用。
▼十数人の僧侶によるタップダンスとフレッド&ジンジャー風の男女による社交風ダンス
▼水芸人の水芸とウォシュレット演出のコラボレーション(ちなみにこの直前、サラリーマンが便器に吐いてます)
『プラトーノフ』@シアター・ドラマシティ 感想
翻訳:目黒条
演出:森新太郎
近藤公園 尾関陸 小林正寛 佐藤誓 石田圭祐
浅利陽介 神保悟志 西岡德馬
チェーホフが十代の頃に手がけた、元は上演5時間を超える長編戯曲が、ディヴィッド・ヘア脚色、目黒条さんの簡潔な訳のおかげで、短くスマートに。
1幕は湾曲したスロープ状のセットがメイン。出ハケが立体的に見えて面白かった。思えば、去年観た『カルメギ』(かもめの翻案)も、目まぐるしい出ハケを効果的に見せるストリート的なセットだった。同じく動線が印象的だった青年団の『ソウル市民』も、そうか、チェーホフ的だったのか、と今更納得した。
確かに面白いのだけれど、捉えどころのあるようなないような不思議な舞台だった。プラトーノフはいわゆるドン・ファン的。4人の女性を言葉巧みに翻弄する。未亡人アンナ(高岡さん)もまた、その比類ない美しさで男女問わず崇拝の的になっている。こう駒が揃うと、今にもアダルトな恋の駆け引きが始まりそうだけど、期待は早々裏切られる。みんなバカバカしいくらいに喚き、四つん這いになり(!)、髪を振り乱し、のたうちまわる、究極にカッコ悪い、色恋模様が展開する。2幕のプラトーノフなんて、客席まで臭ってきそうな、薄汚れた下着一枚しか着ず、ドンファンにあるまじき様相で、舞台を這いずり回っている。
歴史に名の残らない、いたって普通の人達が、凡庸な片田舎での人生に右往左往して、男も女もみっともなくもがいている。人生って多くの人にとっては、高潔なものではなく、つまるところ、こういうカッコ悪い日々の積み重ねだよね、と思う。でも、そこでは確かに、心も体も目いっぱいに活動して、明々と命がほとばしっている。
プラトーノフの巧みな話術とそれに見合わない妙な子供っぽさは、藤原さん自身が持つアンバランスな魅力がそのまま活きていた。時折、過去に演じたハムレットに擬えられているのも面白い。素朴で実直な妻 ソフィアは前田さんにぴったり。マリヤの中別府さんは声がよく、パッションが弾けて面白い。そして、なんと言っても高岡さんが美しい…!この説得力ときたら。正直、『夜中に犬に起こった奇妙な事件』の時は、あまりいい印象がなかったのだけれど、ヘアメイク、衣装の着こなし、ナチュラルな所作、心地いい声音と明快な口跡―どれをとっても、崇拝せざるを得ないオーラを放っていた。やっぱりキャスティングって大事・・・。
アンナへの信仰を捨て切れたポルフィリは、あっさりパリへ旅立ってしまう一方で、プラトーノフに焦がれる女たちは、この地から逃れられず、くすぶり続ける。女達との約束を数多反故にしてきたプラトーノフが、老人とのチップの約束を守って死んでいくのも、何だか皮肉だった。結末のイワンの台詞がいまいち腑に落ちてないんだけど、きっと戯曲考察したら面白いんだろうな。あと、時代背景も。