だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

『ノートルダムの鐘』実はもう1回観てた話。

ずーっと書き溜めてたメモをそっと放流します!

 

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ノートルダム鐘』ついに終わってしまいましたねー。

元々最終2週は自分が抱えてる案件が終わって暇になるので、野中フロロー登板を期待しながら2回遠征を予定してました。途中、芝フロロー降臨に驚きながらも、さすがに最終週近くはお戻りになるだろうと楽観視していたらとうとう最後まで戻られませんでした…(涙)。

直前に観た「俊寛」になぞらえてなんとか未練を断ち切ろうとアホなツイートを連発しつつ、野中さん以外のフロローを観たことがなかったので、道口フロローにも興味があり、7月末に観劇。プリンシパル5役のうち、カジモド、フロロー、エスメラルダが初見キャストでした。

過去2回の感想はこちら。

kotobanomado.hatenablog.com

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第一声からしてミュージカル的な響きなんだろうなと想像していた道口さんは、ミュージカル的というか声色、調子をコロコロと変化させながら、語り、歌うフロロー。やたらテンションと圧が強めなヤバい人で可笑しささえ漂う。序盤の「クロードは優しい兄さん♪」からもうフロローのキャラというか会衆劇としての劇中劇設定や作品の世界観が私の中で崩れてしまった。フロローの違った解釈を集めようとしてたんだけど、わたしの中で全幕通して一つのキャラクター像を結ばず、解釈うんぬん以前に混乱したまま終演。ちょうど観に行く直前に映像で夢醒めのメソを観て、陰湿で神経質そうな独特の雰囲気がどうフロローと結びつくだろうと期待していただけに、ちょっと残念でした。
うーん…これを迫力という…のだろうか…(それが存在感や求心力に繋がってるようにも見えない)確かに気持ち悪さは感じたかもしれないけど…。絶賛してる人も人間らしさを見出してる人もたくさんいるし…演じ手も受け手も色んな感性があって良いとは思うのですが…。

わたしがあまりに推しの名前を連呼しすぎてるがために、「推しじゃないから受け入れられないんだ」とかアンフェアな見方をしてる風に取られかねないかな…と思うのですが、うん…さすがに、長年演劇オタクをやってるので、それはそれこれはこれで観れてる自負はあるし、フロローというキャラ自体が好きで、むしろ好きフロローを増やして解釈を広げたいと思ってるので…。

カジモドは飯田さん、寺元さん、山下さんに続いて4人目になる田中さん。田中さんはこれまで観てきたカジモドの朗らか、少年らしさ、ピュアのような方向性と一線を画し、冒頭からシニカルで冷ややかな空気感を纏わせたダークヒーロー風。

その個性は興味深く感じたのだけど、台詞も動きも緩慢というかどこか心ここに在らずな風情で、冒頭の鐘たちへの呼びかけから台詞が立たず、カジモドの冒険譚でもあるはずの物語が一向に輝き始めない。
それに、カジモドは身体の見せ方、動きがキモになると思ってるんだけど、手持ち無沙汰感のある居住まいはかなり気になってしまった(単にカジモドとして身体の折り曲げが弱いとかいう意味じゃなく、身体の隅々まで神経が行き届いてない感じ)。
これまで何度も胸が熱くなったフィナーレの柵越えも鉛のシーンもただの段取りに見えてしまうのはさすがに辛い。
カジモドとフロローのお芝居にのれず、こうなればせめて歌を堪能したい気持ちに駆られるものの「陽ざしの中へ」も「石になろう」も全体的に重くフラット気味。高音が出しづらいせいか、顔が常に俯きがちで表情が見えにくいのも気になってしまった。

エスメラルダは山崎遥香さん。場がパッと華やぐような美貌で確かにヒロインとしての説得力はあるんだけど、こちらも手持ち無沙汰感というか歌もダンスもお芝居も隙が多く見えてしまい…。これまで観てきた松山さんは全体的に硬質な持ち味で、キビキビしたダンス、手堅い歌はもちろん、なにより辛酸を舐めて生きてきたのがわかる聡明さの中に潜む影や鋭さだったり、世の中に対してある種の諦めや達観みたいなものが漂うのが好きだったんだ、と今更ながら気づいた。そんな達観してる彼女がそれでもより良い世界を願うから尊いんだと。

…というわけで、4月に出会ってから通算7回目(恐ろしい…)の今季の締めくくりになった回はこんな感じでした…。

正直、わたしが愛した『ノートルダムの鐘』とは全くの別物でした。。。と同時に、あの日、あの回に出会ったからこそ、ここまで追いかけてきたんだと一期一会に感謝する結果になりました。

ともあれ、この春夏を支えてくれたのはこの作品に違いなく、尻切れとんぼではなくちゃんとお別れできたのは良かったです。ありがとー!