だらだらノマド。

趣味、日常をゆるゆる綴るライフログ。

8月のたしなみ。

続いて、8月のまとめ!(色々抜けているものもあるけど潔く無視!)

宝塚宙組『FLYING SAPA』

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宝塚宙組『壮麗帝』 

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Kミュージカルシネマ『モーツァルト!』

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スウィンダラーズ』@prime video

騙し騙されの詐欺映画。ビジュアルから「コンフィデンスマンJP」的な軽快なものをイメージしてたけどそうでもなかった。最後どんでん返しはあるものの爽快感は感じず。ヒョンビン氏もあまり役にあってなかったような。

『告白』@prime video

原作が好きじゃなくて(日テレが好きそうなテイスト)後回しになっていた映画。中島監督の映画は、女優さんが美しさ可愛らしさや男性にとっての癒し、マスコット的なものを求められずに、とことん気持ち悪さを曝け出せるのがめちゃくちゃ好きなんですが、この松たか子も不穏で気持ち悪くて最高でした。序盤のHRシーンの過剰さが中島監督らしくて圧巻でしたね。

『イーライ』@Netflix

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ホラー好きの知り合いからお勧めされたもの。中盤まで「エヴォリューション」「ユージュアルネイバー」のような信頼ならない大人達の話に心霊を混ぜた感じ?と思っていたら、まさかの悪魔爆誕で笑いました。なんやこれ。

『クェダム』@Netflix

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Netflixオリジナルの韓国短編ホラーオムニバス。韓国ホラーに興味があって観てみたけど、話は「世にも奇妙な物語」的というか割とありがちな展開。謎のクリーチャーがやたら出てきたりグロさを無理やり過剰に足し込んでいく感じが好みではなかった。

『スクリーム』@WOWOW

わたしが小学校の頃(1990年代)って、テレビではいくつも心霊番組やってたし、POV方式の「ブレアウィッチプロジェクト」とか「スクリーム」とかJホラーとか、当時の社会情勢やメディアをうまく取り込んだホラー映画の新たな潮流が生まれて、今思えばホラー全盛期だったんですよね。大人になってから、その頃の映画をちまちま観るのが楽しみになっていて、「スクリーム」もずっと気になってた映画のひとつでした。

ただ、その頃「最終絶叫計画」というのもあって、いつの間にかわたしの中で内容がごっちゃになってた。「スクリーム」は過去のホラー作品をメタ的(「キャビン」的な)に引用したりオマージュする、かたや「最終絶叫計画」はホラーだけじゃなく流行った映画のモチーフをパロっている。こちとら「最終絶叫計画」のイメージで見ているので、え、意外にまとも…!という裏切られた気分で終わりました…。あと、わたしはホラー映画をまんべんなく観ているわけではないので引用されているネタに反応できなかったのは悲しい…精進します…。

『テイルフロムダーク』@Netflix

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これもホラー好きの知人からお勧めされたもの。内容はともかくとして、中華ロケーションを存分に楽しめる作品。

NHK『JOKE』

クドカン脚本のほぼ生田斗真一人芝居状態のリモートドラマ。「リモートで殺される」と「ダブルブッキング」の間くらいのサスペンス・コメディ感。

2作になかった設定としては、人間の代わりに2台のAIが日常生活の相棒になっていることと、芸人の主人公がYouTubeで生配信中という設定で、主人公もテレビを見ている私たちにとっても見知らぬ不特定多数の誰かが閲覧しコメントを残していくところ。この2つの要素が社会風刺もまじえながらブラックに絡み合っていく。AIの"ボケ"や、あるいは人間のボケに対してのマジなツッコみのうすら寒さ…。

坂口理子「フロイデ」

やる気も自信もない音大生たちと、戦時下で音楽を諦めざるを得なかった幽霊たちとの邂逅。この手の戦時中の人たちと現代人がクロスしたりタイムスリップしたりする話は山ほどあって、ちょうどこれを読んでいる時にもNHKのひろしまタイムラインが話題になっていたり、ちょっと前にはホロコースト時代にもしもインスタがあったならという企画も見ていたので、物語そのものよりは、当事者が少なくなった出来事を語り継いだり、身近に感じられるようにするための仕掛けについて考えていた。

話がずれるけど、とある学生が、自分が読み終えた本がフィクションだと知って「なんだ嘘か、泣いて損したわ」的な、リアクションをしたという話を聞いて、そういうのも怖いなと思ってる。ノンフィクション、フィクションは当然ながら簡単に切り分けられるものではなく、例えばドキュメンタリー映画でも、誰かの主観的観点に則って編集されるわけで、ピュアな客観的事実ではない。でも意外とその感覚を獲得してこなかった人は多くて、SNSなんかを見てもやっぱり真実、嘘の単純な二分化で憤ってる人がめちゃくちゃ多い。例えば、芸能界なんてイメージを売り買いする世界なので、そこに真実を求めてしまうと何もなくなってしまうのに、そこに少しでも嘘を嗅ぎ取るやいなや全力で糾弾して叩き潰してしまう。そういう嘘を嫌う人たちが増える中で、”物語”がどれほど有効性を持てるのか、あるいは、そういう人たちだからこそ参加することによって真実らしさ(あくまで”らしさ”でしかなく、「1917」なんかを見てもそれはそれで怖さを感じる)が担保されるイマーシブシアターや、物語から人物を取り出してSNSに移植したひろしまラインがウケるのか、その辺りに関心がある。

全く本の感想ではなくなってるんですが、戦時中の人たちとの邂逅の話を続けるならば、現代人達に今の時代は恵まれていると再認識させ、やる気を奮い立たせる都合の良いトリックスターに仕立てるのは罪だなと感じています。

宝塚宙組『FLYING SAPA』@梅田芸術劇場メインホール 感想

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アニマルショーをのぞけば約4ヶ月ぶりの観劇。久しぶりの観劇に臨んだ人たちの「知らぬ間に観る筋力が落ちている」というツイートで覚悟してたけど、まずもって耳が非対応で、台詞をなかなか拾ってくれないので困りました。

さて、棚からボタモチサパです。ACT公演だったはずが、コロナ特別編成で大阪公演が生まれました。今をときめく上田久美子氏のSF、しかも音楽は三宅純さん。期待しないはずがありません。

未来のいつか、水星(ポルンカ)。過去を消された男。記憶を探す女。謎に満ちたクレーター“SAPA(サパ)”。到達すれば望みが叶うという“SAPA”の奥地。夢を追い、あるいは罪に追われてクレーターに侵入する巡礼たち。過去を探す男と女もまた、その場所へ…。
追撃者から逃れて、2112時間続く夜を星空の孤児たちは彷徨する。禁じられた地球の歌を歌いながら──
長い夜を他人の夢の中で過ごす男。エスニックな音楽にのって巡礼者のように行き交う人々。でも、もはや水星には神様はいなくて、全体主義だけが蔓延っている。記憶をなくした男はまだ目を覚まさない。

美しいモチーフに加え、三宅純さんの音楽と、KERA作品を手掛ける上田大樹さんによる映像の力も相まって、究極にダサくなりがちな宝塚のSFがスタイリッシュに出来上がっていた。それには主演のまかぜ氏も一役買っている。

うえくみ作品のまかぜは解釈が全一致している。ああ‥やっぱりわたしは眠らない男より眠り続ける男が好きなんだな‥。眠り続ける男の纏わせるアンニュイな湿度、芳香。それは芝居のスキルとか単なるビジュアルというより、オーラ、風格の問題で、わたしはまかぜの纏うこういうオーラがたまらなく好きだ。モノローグには「螺旋のオルフェ」ぶりに痺れてしまった。
全体を見渡せば、もうちょっと上手い人で見たいな…という気持ちは何度か芽生えたけど、この役はまかぜのための役だったと思う。逆に、キキはしどころがなく可愛そうだし、星風さんのニンではないように見えたけれど。思いがけず良かったのは、難しい”女役”に体当たりで挑んでいた夢白あやさん。京さんの危なっしいスパイスも楽しかった。

しかし、せっかくのアンニュイな世界観が台詞で埋め尽くされる。SFだから説明台詞がどうしても増えてしまうのは仕方ないとして、やけに修飾が多いのも気になるし、2幕では特に、脚本家の言いたい欲が前面に押し出てくる。差異(マイノリティ)を締め出すことで作り上げたまやかしのユートピア(「BADDY」のモチーフでもあった)と、それを生み出すきっかけになった、差異を超えて分かり合えるという幻想を忽ちかき消す地獄の記憶。記憶をなくして夢の中で微睡むまかぜと、万人の業を背負って孤独にもがき苦しむ汝鳥伶さんは間違いなくダブル主演で、終盤までシルエットのみしか登場せず、最後にあれだけの求心力ある芝居を見せられるのは、今の宝塚では汝鳥さんしかいない。真の目的は国民に養分を供給するためではなく逆に彼らから情報を吸い取ることだった「へその緒」で、理想の社会を孕ませられる星風さん。近頃立て続けに読んでいたせいか、この辺りは、浦沢直樹感が爆発しているように見えた。
確かに今日的で切迫したテーマであることは間違いないんだけど、その声高さは、わたしの求めてたウエクミ作品ではないな、と思ってしまった。何度も書いてるように、わたしは原田先生は「清く清く正しく美しく」、植田景子先生は「清く正しく正しく美しく」、ウエクミ先生は「清く正しく美しく美しく」だと思っていて(このニュアンス伝わりますでしょうか)、今回は「正しく」が1こ増えちゃったね、という感想でした。

7月のたしなみ。

今更7月のメモを掘り起こしてくる度胸…。たった4か月前にはこんなに悠々自適な暮らしをしてたんだな…と振り返って、悲しくなりました…(遠い目)

シアターコクーン「プレイタイム」

大手の映像配信だから見てみるか…ぐらいのテンションで視聴。舞台再開に向けての通過儀礼のような作品で、もうお見事でした。前半は劇場のバックヤード(奈落、キャットウォークなど)を縦横無尽に1台のカメラが探索していく。森山未來氏や黒木華氏の台詞(の稽古だとのちに分かる)にクローズアップしたかと思えば、普段なら客席から聞こえてはならないノイズ(舞監らのQ出しの声や機構の駆動音)を伴ったスタッフたちの動きへと焦点がシフトしていく。

映画はいったん映像作品として完成してしまえば、あの薄いスクリーン1枚にイリュージョンが凝縮されてしまう(それはそれですごい)一方で、演劇という行為は、お客さんから見える範囲が舞台上に限られているだけで、まるでイマーシブシアターのように(プレイタイムの第一印象は「イマーシブシアターみたい!」だった)大勢があらゆる場所で同時多発的に動き、それが多層的に組み合わさることでようやく作品として立ち上がる。実際に同じ空間内で同時多発的に起きているのに、お客さんたちが直接目にすることのない人たちの息遣いを「映像」で見るというねじれと、劇場内を彷徨わせてあえて遠近感を狂わせながら、舞台の持つ多層構造を体感していくという仕掛けは、コロナでありとあらゆる演劇がクローズになってから絶えず問われていた「生か映像か」の単純な二項対立じゃなく、「そもそも演劇という行為や劇場空間とは何なのか、そして、私たちが生で観劇して”やっぱり生はいいよね!”という時、果たして本当にそれをまるごと実感できているのか」という、演劇の根っこの部分への問いと答えのように感じました。
と同時に、劇場という観点から見ると、あらゆるセクションスタッフの手によって劇場の器官が徐々に動きだしたり(手引きバトンというのがまた!)、劇場に響くまるで咆哮のような機構の駆動音は、劇場が大きなひとつの生命体であるかのような息吹きを感じさせて、演劇や劇場の概念が揺さぶられるくらい驚いたし、劇場再始動というテーマからしても最高の演出でしたね。
ただ、演劇として見ると、岸田國士戯曲である必然性が見えず、前半のインパクトがあまりに強いので、本編で一気にトーンダウンしてしまう感はありました。ちなみに、前半部分は、原案でクレジットされていた、梅田哲也さんの「インターンシップ」が軸になっているようですね。以来、梅田哲也さんを猛烈にチェックしている。

TOHO MUSICAL LAB

東宝の無観客舞台。オンライン配信ありきの作品制作に興味を持ったので観てみました。約30分のオリジナルミュージカル2本立て。

1本目は「CALL」。(作詞・脚本・演出:三浦直之)

とある森、ガールズバンドが誰もいない「静寂」に歌い語り掛けながら、人知れずライブを行っている。やがて古ぼけた演劇の衣裳を見つけ出してきて、そこが朽ちた劇場であることがわかる。どうやら、単に劇場が潰れて廃墟になったというより、もはや「演劇」や「観客」の概念すら朽ち果ててしまった近未来らしい。

ここでは、私たちが今まで当たり前のように捉えてきたパフォーマーと観客の関係性は存在せず、パフォーマーは静寂に向き合い、見えない誰かに届くよう一途に祈りを込めている。クラップ、タップが静寂に響き、溶け合っていく。この朽ちた劇場には専門のドローン ヒダリメがどこからともなく登場して、バンドメンバーのミナモに、かつての華やかな劇場の記録を見せ、歴々の作品から観客の記憶を手繰っていく。このシーン、舞台から客席へと移動しながら(撮影大変そう)かつての観客に思いを寄せるのが最高にエモくて、(演劇通のフジワラさんとミズハシさんの席位置が回を重ねるごとに近づき)「惹かれ合ってんじゃん…!」っていうミナモの台詞は、とりわけキラキラと輝いていた。ここで舞台上にオドリバが現れて、客席側にいる二人は「観客」となり一度消え去ってしまった関係性が再構築される。さらには二人も舞台上へ加わって大団円を迎える。

ORFの歌番組がそうだったように、あえて客席の不在やライブパフォーマンス消滅の危機感をテーマにしてかつての記憶を辿りながらも、パフォーマンスが結ぶ関係性や可能性を新たに見つめ直した作品でした。要所要所でロロのエモさが光り、なおかつ3年位前からひそかに推している田村芽実さんが今回も芝居も歌も一際輝き、エモさに拍車をかけていて、あー、好き!となりました。

2本目は「Happily Ever After」。(脚本・演出:根本宗子)

根本さんは「クラッシャー女中」でかなり引いてしまってたんですが、今回はかなりオーソドックス。時間を共有しすぎて関係性が拗れてしまう現実世界と、夢の中の触れられない誰かとの邂逅。このコロナ禍における煮詰まりすぎる人間関係の不満と、片や人と接したり出会えない不安っていう両極端な悩みがコンパクトかつロマンチックに描かれていた。

この作品で驚いたのは音楽。清竜人さんの軽やかで耳ざわりの良いメロディは音域が広く歌いこなすのは難しそうだったけど、ミュージカルの風格あり。さすがの海宝先輩が目をむくようなスキルで難なく歌いこなしていて、ミュージカル満腹中枢が上がりました。

劇的茶屋「芝浜」

www.gekitekichaya.com

落語ミュージカルのオンライン配信企画。配信視聴に合わせて楽しめるよう、松竹梅のチケットランクに合わせた、お茶とお菓子が送られてくる。一番お安いコースでも、オリジナル懐紙と可愛らしいお菓子たちが付いてくる。このひと工夫で観劇前からかなりテンション上がる。

キャストは3人。それぞれZOOMの画面枠に入っている。俵和也さんの語りで大枠を固めながら、川口竜也さんと和田清香さんのミュージカル調の2人芝居が展開。俵さんが落語の世界観たっぷりな語り口で世界観に引き込んでくれるのが嬉しい。お菓子を一緒にいただきますしたり、お客さんからのチャットにリアクションしたり、オンラインならではのやり方で演劇のリアルタイム性を担保している。一方で、リモートではできないこともわきまえて奇を衒わないで地道に作り上げたのが伝わってくる作品。まさに「劇的茶屋」という名づけ通り、肩肘張らずふと立ち寄りたくなる「場所」のような。来月はまた新作があるとのことで、また寄ってみようかな。

hicopro「ツクリバナシ」

四コマ連載を休載中の漫画家の男性とその妻の話。創作に対する情熱と挫折が沸騰レベルの熱量と大仰さをもって描かれる。元の戯曲はままごとの柴さん。劇的茶屋も手掛ける永野拓也さんが、1組の夫婦を3組に増幅させてこれをミュージカル化。ミュージカルの作法をもって、四コマ漫画を描くという静かな行為と異様な熱量を見事に繋ぎ合わせていく。描きあげた四コマ最終回に夫婦が声かけするシーンがままごとらしくエモーショナルでグッときてしまった。ただの四コマ。でもそこには確かにキャラクターが息づいていて、彼らに順繰りに別れを告げていく。そして、また新たな創作の誕生を予感させるラスト。受容する側もそうですけど、創作側のこのイマジネーションもまた尊い

ヨーロッパ企画「京都妖気保安協会」@youtube

概要もさほど調べず何気なしに見てみたら、嵐電貸切車両からの1カメ演劇生配信というドエライ企画でした。ヨーロッパ企画らしい泣いて笑えるほっこりミニ作品で作品自体もよかったけど、もう電車っていうロケーション時点で優勝ですね。電車ならではのスリリングな演出もあり楽しい企画でした。

ハイバイ「て」

ひりひりするような家族劇。認知症のおばあさんがそれを傍観(者にされてしまった)している。実家を出た家族/残った家族がそれぞれがどんな思いで数年ぶりに一堂に介したか、同じくだりをそれぞれの視点から2回繰り返す、という仕掛け。これがめちゃくちゃ上手くできていて、2周目で話が全く違って見えてくる。再演があれば、ぜひ生で観たい。

 

千と千尋の神隠し

念願の初スクリーン鑑賞。映画館にとっては苦肉の策でしょうが、本当にありがたい機会でした。ディズニーで育ったクチなので、ジブリデビューが異様に遅かったのですが、ジブリ作品で最初にどハマりしてしまったのがこれでした。キテレツなくせに不思議と既視感のあるあちら側の世界と、名前と記憶と変身の話って、もう好きな要素しか詰め込まれてないですからね…。
スクリーンで観ると、1カット目からすごいーーという感情が爆発してしまい、泣くしかなかった。絵的にもストーリー的にも膨大なモチーフが複雑に絡んでいて、それを繋ぎ合わせる圧倒的なイマジネーション力には目をむくしかないし(きっと見れば見るほど発見があって、永遠に考察し続けられる)、社会人になってから改めて観ると、お仕事映画として腹落ちする部分もあってまた新鮮に受け止められるんですよね。というか、新入社員の頃を思い出して泣く(辛かった)。
そのせいもあってか、子供の頃は、あちら側の世界に憧れて、いつか自分の目の前にもそんな不思議なトンネルが現れれば…なんて思ってたけど、今ではあちら側の不可思議な世界を何故か見知っている気持ちで、何なら知らず知らずのうちに往来してる世界なのかも?という感覚にすらなってきました。初めての人たちとの新しい仕事にドキドキしてる時、その人たちと打ち解けられた時、見知らぬ土地に1人で行ってガイドブックにない何かを発見した時。そういう時にあの光景を見ている気がしたんですよね。
これからも大好きな映画であり続けるんだろうなぁと思う一方で、新海作品を観た時の強烈な新時代到来感のことも思い出しながら、一種のオールドファッションとして見てしまう自分もいた。周りには初見と思しき中高生が多く「意味わからんかったー!」と笑い合っていた。やはりいつの間にか時代が移り変わっているんだなー。

「透明人間」

toumei-ningen.jp

DV男と透明人間の恐怖(目には見えないけど執拗に気配だけは感じる)を上手く掛け合わせた映画。なんの変哲もない本来なら見過ごしてしまうであろう無人カットに、何かが潜んでいるかもしれない薄気味悪さと緊張感が漂う。オチも今的でした。

 

呪怨」@Netflix

www.netflix.com

楽しみにしていた配信。30分×回なので、比較的さっくり見れた。80〜90年代が時代背景になっていて、VHSで心霊番組を観るというエモいシーンから幕を開ける。一軒の呪われた家を発端に、複数の謎が紐づいていく「残穢」スタイルで、更には、女子高生コンクリ殺人事件、東電OL殺人事件のような誰もが知る事件のニュース映像が挟み込まれたり、事件があの家とリンクしていたのでは…?と示唆するような作りになっている。そういう点では好きなテイストではあったんですが、それよりも暴力、虐待、強姦、妊娠、胎児とか、特に女性にとってセンシティブな事柄への乱暴な「不幸のラベル化」(いつか流行ったケータイ小説的な)が気になりすぎて、引いた目で見てしまった。あと、せっかくこれだけ時代感を取り込んでいるのに、言葉とか役者から漂ってくる空気感がめっちゃ現代っていうのも乗り切れませんでした。

 

コリアタウン殺人事件」@prime video

 

POV方式のいわゆるモキュメンタリー。普通のサスペンス映画を念頭に入れてると、全く意味がわからなかったですね…。後から情報を仕入れると、実際にあった殺人事件(実際の事件関係者の写真を使用)で、インタビュー対象にもリアルな人たちが混じってて、なおかつ製作者不明を謳った映画らしい。それを前提にどこまで没入できるかという映画。そこに作品のミソが全部詰め込まれているわけですが、わたしはそれを知らないまま見たので、明確なストーリーがあるわけでもオチがあるわけでもなく、その上、事件の真相を追うカメラマンの思考回路が筋道が通っておらず、どんどん狂気じみて全くついていけないので、ただただ気持ち悪くこちらまで気が狂いそうになりました…。


「白ゆき姫殺人事件」@prime video、Netflix 

いわゆる「藪の中」タイプのミステリーで、他人の回想シーン以外は終盤までヒロインが登場しない。各人の主観的で都合のいいヒロイン像の断片が、SNSやワイドショーによって本人の知らぬ間に世間に垂れ流されていく。6年前の映画ですが、今の方がよりリアルに受け取れるかもしれない。それだけでもサスペンス・メディア映画として良くできているのですが、傷つきまくったヒロインにはちゃんとささやかな希望を残してくれていて(しかもその希望は旧メディアやオフラインのコミュニケーションと結びついている)、かなりの名作映画なのでは、と思っています。湊かなえさんの原作が既に面白いのかもしれないけど。

「見えない目撃者」@prime video

視覚障害を持ったヒロインが身の回りを知覚するときの過程が、「目の見えない人は世界をどうみているのか」を思い出して面白かった。後半、國村隼さんが警察官OB役で贅沢な出方をするシーンで一気に締まるんですけど、その後は意外と大味スプラッター

「十二人の死にたい子供たち」@prime video

冲方丁原作、倉持裕脚本。日テレはこういう系の本当に好きなんですね。うーん…これも「リモートで殺される」と印象が似てる。芝居が良くなかった。

恋は雨上がりのように」@prime video

子供の頃から歳上好きだったんですが、自分がおっさん側の年齢に近づくにつれて、おっさんと若い女子の関係性って女子がおっさんに良いように搾取されてるだけなのでは…という気持ち悪さが増して、むしろ拒否反応が出てきたんですよね。これも「おっさん×女子高生」というところで、またまたおっさんの願望が詰まったやつでしょ…と観るつもりはさらさらなかったんですが、訳あって視聴。残念なおっさん感がベースにありながらコメディにやたらキレのある大泉洋と超絶美少女だが何考えてるかわからないし絶対搾取されそうになくむしろ搾取する(「渇き。」がトラウマ)小松菜奈という絶妙なキャスティングで、気持ち悪さをギリギリ回避して、合法的に。むしろこの映画に詰まっているのは女性の願望なのかもしれない。搾取の心配のないいいおじさんとの温かな交流。こういうの、切実に欲しい。

日テレ「リモートで殺される」

「ダブルブッキング」に続く、日テレのリモートドラマ。原案は秋元康、脚本はAKB関係の作品を手掛けているらしい元麻布ファクトリー、監督 中田秀夫。「ダブルブッキング」が「search」だとしたらこちらは「アンフレンデッド」タイプ。元同級生たちとのリモート会議中、高校時代の友人の自殺を巡り殺人事件に巻き込まれていく。
薄々予感はしていたけど、最後は日テレ十八番のhulu誘導…。メディアミックスありきで作られたもんなんでしょうが、トリックの説明も何もないまま唐突に犯人だけ伝えられてもそれはサスペンスと呼べない、ただの駄作ですよね。サスペンスを抜きにしても台詞は間延び、ホラー演出も凡庸で、芝居の噛み合わせもまるで良くない。見所は前田あっちゃんの制服姿がいまだに猛烈に可愛かったことだけ。日テレリモートドラマというと、関東ローカル放送だった「ダブルブッキング」とどうしても比べてしまうわけで、あれもhuluへの誘導はあったけど本編でしっかり面白く完結させていたので、なんだかなーというもやもやで終わりました。

Inside Theater vol.1「シークレットカジノ」

画面・マイクミュートでもOKということで参加。当日メールが届いておらずあせったけど、事務局の方の迅速な対応で事なきを得ました(カジノという単語ではねられた可能性…)。前半は「Eschaton」のように複数あるZOOMの小部屋を自由に回遊する仕組み。会話やチャットだけでなく、アンケートやカジノなどで参加を促す仕掛けが盛り沢山で、わかりやすくルール化もされているのでとっつきやすい。後半は一転、一つの部屋に参加者が集約されて、各部屋で張っていた伏線を一気に回収していく。ここがSCRAPの腕の見せ所で、「のぞき見ZOOM」同様、”善意”が物語に参加する動機付けになっているのも印象的でした。

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最近この手のエンタメにハマっているので周りの人にも勧めがちなのだけれど、今更ながら、多少の気付きを得た。


Mystery fo You(サブスク謎)「七夕荘の隠しごと」

先月の3倍ボリューミーで満足度高い!紙だけでこんなに探索した気分になれるのか、と感動してしまった。在宅の日も少なくなってきたので今月をもって契約をいったんストップしたのですが、これがかなりボリューミーで面白かったので、若干後悔中。。というか、劇的茶屋もそうだったけど、家に中身の詳細がわからないものが届くってこと自体がわくわくしますね。

浦沢直樹PLUTO

鉄腕アトムの1エピソードから着想を得てここまで膨らませられるのかとただただ驚き。ゲジヒトを軸にしたハードボイルドサスペンスでありながら、生命倫理を掘り下げていく一大SF巨編。痺れました。(本当はもっと感想があったはずだけどメモっていなかった。。。)

 

宝塚宙組『壮麗帝』感想

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今まで観てきた舞台作品の中で、何が目の前で起きてるのか一番わからなかったのはこの移動式舞台なのですが、そこまでとは言わないものの、似た匂いを感じました。

まずオープニング直後の幕前芝居で何が起きてるのか、よくわからない。宝塚にありがちな説明台詞調の芝居が全然頭に入ってこないんですよ…。①オスマン帝国内の覇権争い②王族の家族構成③スレイマンの未来の妃マヒデヴランのことが、一気に説明されているはずなんですけど、頭に残るのはスレイマンの妹ハティージェのどうでもいい台詞「ちょっと見たいものがありますので、先に行ってますわ」なんですよね。「ちょっと」見たいものとは…と異様に気になってしまう。

語学力の極めて低いわたしがやりがちな失敗なので間違い無いと思うのですが、書き手として洗練されてないと、無駄な修飾語や副詞を入れがちで、台詞のひとつひとつが引っかかってくる。「なかなかに毛色の違った」とかも無性に気になった。そして、流れを削ぐだけのセンテンスやダイアローグとして不自然な部分(スレイマンとイブラヒムの「早かったな」「そうですか?」とか)もたくさんあって、一くんだり、一エピソード単位の面白い/面白くない以前のところで台詞が整理されてなくて、一向に話が入ってこない。ちなみに、ハフサ様登場の歌が思いっきり「王家に捧ぐ歌」テイストで、語彙力がないとこの曲調になるのかなと思いました。

物語としてはトルコに場所を変えただけで、「王家の紋章」だとか「天は赤い河のほとり」のような典型的な王朝もの。なのに、悪い意味でその王道盛り上げフォーマットにのっていかず、ある意味オリジナリティが高いといえるかもしれない。今回の作品なら、ヒュッレムとの恋模様、他国との対立、宮廷内の権力抗争、家臣との絆や裏切りのような、いくつかの要素が複合的に掛け合わさって初めて盛り上がると思うのですが、ヒュッレム毒殺の話が降ってわく→女官長が猛烈に長い説明台詞を発して毒殺失敗、ヒュッレムの体調が悪い話が降ってわく→次のシーンでヒュッレム急逝のように、伏線を仕込むどころかそれぞれの要素の因果を健忘症的に並べ書くのが精一杯で、物語運びの動線ができていない。ずっとその調子なので、要素ごとにばらけたまま掛け合わさって化学反応を起こすことがなく、ドラマとしてうねりが起きない。

浅学なもので、史実としてのスレイマン大帝とヒュッレムも、史実を元にしたドラマや漫画が存在することも観劇後に知ったのですが、それなら余計に何とかなったのでは…と思ってしまいました。

他の王朝物にはないモチーフとしては、ハーレムという特殊な設定があるわけですが、説明台詞以外に特に描かれない。当然ながらすみれコードがあるのでそこまで際どく描くことはできないけど、逆に宝塚ならではの華やかにショーアップしたシーンで見せられたのでは(というか、全体的に台詞で解決しようとするきらいがあるのですが、台詞が書けないならそういうシーンで誤魔化せばいい)。あと、スレイマンとヒュッレムのラブシーンでは、樫畑先生の萌シーンらしいものがいきなり挟まるんですが、スレイマンの人物像が全く描かれてないままなので、ただのエロオヤジにしか見えなくて(妊娠という言葉も頻発して生々しいし)本当にキモかった(こういうジェンダー観が年々無理になっていて、そもそもこういうシチュエーションに全くトキメキも萌えも感じられないという私の問題も大きいけど)。

ハーレムと宮廷内での権力闘争は、本来、ヒュッレムを中心とした女の話なんですよね。ヴィランズとして描かれているのはマヒデヴランだけど、ヒュッレムも、いかに皇帝に認められて地位を築くか、というハーレムで覇権を争うしたたかな女性の一員だと思うので。でも、これも男役中心の宝塚で描くには限界のあるモチーフでしょうし、おそらくそこをつっこんで書くスキルもないので、あっけなく終了。スレイマンだけでなくヒュッレムの人物像も宙ぶらりんになってしまう。

王朝もののフォーマットに則って、要素を整理していけば目新しくなくともそれなりに宝塚らしい作品はなったと思うので、逆に何でこうなってしまったのか不思議。でも、これを見る限りでは今回の作品がたまたま不出来だったというよりは、劇作家として確立していないレベルだと感じました。わたしはこのチケット料金、規模感でましてや今後、大劇場でやっていくにはキツイと感じたけど、SNSでは絶賛されていたり、逆に、知人談では「デビュー作では伏線回収すらできてなかったので大進歩!」ということで、おおぅ‥となっています。

桜木さん主演作として観ても、元々衣装に着られがちな桜木さんに、何故わざわざこんなデカめのコスチュームプレイをさせてしまうんだろう…というのが一番の感想。さっき書いた通り人物像が描けてないのでお芝居としてのしどころもないし。

相手役の遥羽さんは終始OL口調で不出来な台詞を不出来なまま発していて逆に正しさを感じた。2番手ポジションの和希そらさんはフィナーレの群舞が最高すぎたので、もうそれだけでこの虚無作品を観た甲斐があった気がしました。鷹飛さんは悪役だからか余計に男役らしく発声を作りこもうとしてるようだったけど、ちょっとスパイラルに陥ってる感じ。

 

宝塚再開は喜ばしいことなのに、何で一発目の感想がこんななんだろう…(遠い目)。観劇の機会が減って観られる作品が自ずと絞られてしまうと、見る目がシビアになってしまいますね!(ということにしておきます)

Kミュージカルシネマ『モーツァルト!』配信 感想

見れずじまいで不貞腐れていた韓国版『モーツァルト!』のオンライン配信。アンコール配信でようやく見ることが出来ました!国内の観劇ですらままならない中、まさかこういう形で見られるとは思ってなかったので、本当にありがたい。

piakmusicalmozart.com

キャストはこちら。

ヴォルフガング:キム・ジュンス

コンスタンツェ:キム・ソヒャン

コロレド:ミン・ヨンギ

オポルト:ホン・ギョンス

ヴァルトシュテッテン男爵夫人:シン・ヨンスク

ナンネール:ぺ・ダへ

ウェーバー夫人:キム・ヨンジュ

シカネーダー:シン・インソン

アルコ伯爵:イ・サンジュン

演出:エイドリアン・オズモンド

 

モーツァルト!』は、ウィーン初演・新演出版、ハンガリー版を映像で、日本初演・新演出版を生で観てきているはずなのですが、なんせ脆弱な海馬なもので、引き合いに出しながら間違ってたらすみません。(自分の記憶力に自信がなさすぎる)韓国版は初観劇です。

まず、日本版のオープニングって、新演出版でも「モーツァルトモーツァルト!」なんでしたっけ?(いきなり問うスタイル)日本版のオープニングだと、レオポルトや取り巻きが賛美するヴォルフガングの天才ぶりにフォーカスが当たって「天才モーツァルトの生涯」として物語が始まり、アマデとヴォルフガングの関係性を主軸に展開する。

韓国版はオリジナル版に沿っていて「奇跡の子(Was für ein Kind!)」から始まる。こちらのバージョンだと、赤いコートをマリア・テレジアから褒美として受け取るくだりがあって、何故、大人になってから新調するほど気に入っているか、わかりやすいし、この赤いコートって、アマデ(神童)時代の象徴であると共に、高貴な身分に音楽を捧げることによって庇護を受けることの象徴でもあって、途中でコートを脱ぎ捨てるくだりまで含めて、彼の音楽家としての思想を示す重要なアイテムだと思うので、オープニングでその由来を入れてくるのは、正しさを感じた。

音楽的にも「モーツァルトモーツァルト!」のように重々しくなく、アマデの子供らしい振舞いに父親が突っ込みながらも、最後にはレオポルトの本音も滲んで、レオポルトの人となりや家族関係がクリアに伝わる。日本版には登場しない母親役やナンネールが子役であることも要因かも。

1幕のその後はかなりオーソドックスで、爽やかすぎるジュンスヴォルフガングにちょっと戸惑ったぐらい。これが2幕になってくると、ギアチェンジしてくる。元々、ヴォルフガングはアダルトチルドレンとして描かれていて、日本の新演出版でも、この辺りはかなり整理されてわかりやすくなった印象でしたが、親子、そしてナンネールも含めた家族の話としてより深まっていたことに衝撃を受けた。(ウィーン新演出版でもレオポルトの印象が強かったけど、なんせ言葉がわからないので、そこまで理解が深められてなかった)

とりわけ印象的なのは、2幕、ヴォルフガングがウィーンで成功を収め、一緒に喜びを分かち合えると思って呼び寄せたレオポルトに拒絶されるシーン。ここでレオポルトははっきりと「今や息子が光となり私が陰になってしまった」って独白した上で(日本で言ってる印象がない)、ヴォルフガングを一切褒めることも認めることもなく、とにかく難癖をつけまくる。その前には、コロレドの元に自分の孫を連れて行って、彼がヴォルフガング同様「私の血を受け継いだ」奇跡の子であり、「天才は(自分が)”作り出せる”」と断言するヤバいくだりもある。この2つのシーンから、レオポルトにとってヴォルフガングはいつまで経っても自分自身に付属するもので、彼へ向ける愛おしさは結局、自己愛の延長に過ぎないということが痛いほどわかるんですよね。なので、自分の力なしで成功した息子を受け止めることはできないし、愛情なんてなおさら。そして、レオポルトはその「愛さない」呪いをかけたまま、死んでいくわけですが…。で、これまた衝撃だったのは、この後の「何故愛せないの」の歌詞が日本版とニュアンスが違ったこと。日本語では「思い出だけ抱きしめ」となっているフレーズが「幼い頃の自分をしまっておく」(的な)になってて、「思い出」っていうと「お父さんと一緒に歩んだ記憶を忘れずに」という意味かなと思ってたんですが、この文脈だと「天才(神童)としての自分」なんですよね。父からの愛情が「天才(神童)としての自分」にしか注がれないことに慟哭しながら、それでも父が望んだ天才アマデと決別して、自らの人生を生きる宣言をする、ってことで。ジュンス絶唱も相まって、あまりに壮絶なシーンで、鳥肌総立ちでした。

神話を始め古今東西の物語には「父殺し」のモチーフがありますが、このミュージカルはむしろ「父殺しが出来なかった」悲劇なんだなと気づく。正しく父を乗り越えられず、父の死後まで続く呪いによって殺されてしまった王子の物語。ヴォルフガングを権威的に縛っているのはコロレドも同じで、第二の父的な存在だと思うのですが、彼はレオポルトに「天才は作り出せる」と言われても、そんなのまやかしであることに気づいているんですよね。自分の理性の範疇を超えたヴォルフガングの才能を認めた上で、自らの権威付けのために利用しようと画策しているので、もはやレオポルトより可愛い気あるのでは疑惑が‥。レオポルトが亡くなった後のヴォルフガングとコロレドの追加曲(「星から降る金」と似通う人生の選択について説いた曲。でも選ばせようとする道は真逆)で、もう一度ヴォルフガングを支配下に置くべく、何度振られても構わず口説きまくる猊下。でも、ここでもヴォルフガングは1幕同様、頑として拒絶するんですよね。何故第二の父コロレドに対しては真っ当に闘って倒せるのに、レオポルトにはできないのか。これが「愛」と「家族」という呪いなんでしょう。

「私ほどお前を愛するものはいない」か「プリンスは出ていった」(うろ覚え)で、ナンネールとレオポルトが壊れゆく家族について歌う時、子役ナンネールとアマデが駆けていく回想シーンが挟まるとか、ヴォルフガングがナンネールの結婚資金を送ろうとする時ナンネールの幻が現れるとか、そういう細かな演出も「家族」の物語性を強めてましたね。それに、ヴォルフガングが死の間際に「王子は王となった。金の星を探したけど幸せは見つからなかった」(これも日本版の印象がないんですけど歌ってます‥?)的な歌詞があって、ナンネールが歌う「私がプリンセスで弟がプリンス」だとか「プリンスは出て行った」のモチーフと「星から降る金」の王と王子の寓話が重ね合わさる。男爵夫人に導かれコロレドを退けて自ら選びとったはずの人生に、虚無感が一気に押し寄せて、ぞっとした。かたや”プリンセス”だったナンネールはヴォルフガングのために自分が主役の人生を送れていないはずで。プリンスからキングになろうが、プリンセスになれなかろうが、たどり着いた先は虚無っていう。これって結局『エリザベート』でいう「Nichts, Nichts, Gar Nichts(何も何も何もない)」なのでは、と震えた。

エリザベートの傍らには甘美なトートがいたけれど、ヴォルフガングの傍らにはアマデがいて、ナンネールにはやはり子役のナンネールがいる。日本版のアマデがヴォルフガングと表裏一体にである一方で、韓国版は出番も絡みも限られていて一見印象が薄め。日本版だと、導入部からしてアマデ=「ヴォルフガングの卓越した才能の象徴」というイメージだけど、韓国版は「神童だった幼き日の自分そのもの」なんですよね(そして、ナンネールの子役もまたナンネールの回想シーンにアマデのように登場する)。挙句の果てには、2幕最後の「影を逃れて」リプライズでは、舞台上に誰も登場せず、ようやくヴォルフガングが現れたと思いきや、彼の目の前でアマデとレオポルトが熱く抱擁し合うという悪夢を繰り広げてくれて、どこまでも影を逃れられないし、何も何も何もないのだと虚無の眼差しになりました。愛とは、家族とは、大人になることとは、自分の人生を生きることとはどういうことなんだろう…(泣きそう)。

それでいうと、これまであまり考えたことなかったけど、コンスタンツェもまた別の形で、親に支配というか搾取される人生を送っているんだな、ということを今更。プラター公園での再会シーンで共鳴し合う二人の心の根底にある寂しさをひしひしと感じた。それに、「ダンスはやめられない」の歌詞が、日本版では直接的に表現されていない「自分の人生を生きたい」というニュアンスが強く、凡人とか天才とか関係なく、コンスタンツェも自分の人生を生きることがままならず、もがいている人なのだと思った。みんながみんな、もがいている…(再度泣く)。

キャストは、さすがにみんな歌がお上手だった。ヴォルフガングは1幕の時点ではこの感じでどういう風に2幕を展開していくんだろう‥という良い子ちゃんなお芝居だったのですが、2幕のギアチェンジが凄まじかったのと、全体を観ると「父と子」という軸が見えて1幕の芝居にも納得した(ところで今までそんなにまじまじとジュンスを見たことないけど、こんなにぽちゃっとしてましたっけ?)。コロレドは良い声だったけどもう少しオーラが欲しい。レオポルトは理想的。アルコ伯爵の悪い顔が忘れられません。

あと、装置は、迫り出す階段やキャンピングカー風のウェーバー家など何となくオリジナル版を彷彿とさせるようなものがいくつか。背景は映像(あまり良くなかった)で、全体的にはオーソドックスな作り。照明は多い緑・青・紫系をよく使っていて、照明プランナーも招聘かなと思ってたんですが、クレジットを見る限り韓国の方でした。韓国ミュージカルはプランナーを海外から招聘してくるイメージが強く、そこで得たノウハウなのかもしれません。

 

以上、感想でした。

面白かった!素晴らしかった!という気持ち以上に、ウィーン版『エリザベート』を観た時同様、今まで観せられてたん何やったんや(泣)感があり、大きな衝撃を受けました(小池先生への不信感が募る一方)。今回の日本語字幕は、明確かつかなり具体的に表現されていて、これが字幕上補完したものなのか元の歌詞から情報量が多いのかは気になりますが、どちらにせよ日本歌詞よりもずっとオリジナル版のニュアンスを汲んでると思うので。もちろん、これを家族の物語として更に深めた細やかな演出も素晴らしかった!

来年や再来年は韓国へ行けるようになってるんでしょうか‥最近コスメやドラマでも韓国にハマりつつあるので、早いところ行きたいな…。

5月のたしなみ。

在宅勤務2か月目。ヨガに始まり、映画や芝居を観て、ヨガして、本読んで、ヨガする生活…慣れました。ひょんなことから韓国ドラマ「愛の不時着」が流行っていることを知り、ネタとして見始めたらすっかりハマってしまって、後半は鬼のように韓国ドラマ(というかヒョンビン氏)ばかり観ていましたね…。自粛期間中でなければ、バンダースナッチ目当てにNetflixに入ってなければ、それと、アマプラで韓国映画を観る流れができてなければ観ていなかったと思うので、タイミングってあるなぁ…と不思議な感覚です。とりあえず、また一つ趣味が増えました。

5月のたしなみ 演劇・パフォーマンス配信編はこちら。

kotobanomado.hatenablog.com

Netflixアマゾンプライムで観た映画と漫画少しと在宅あれこれ。

  • 「グッドナイト・マミー」@Netflix
  • 「バイバイマン」@Netflix
  • 「エヴォリューション」@prime video
  • 「ミッドナイトインパリ」@prime video、Netflix
  • 「女神は二度微笑む」@Netflix
  • 「魔術師」@prime video
  • ノクターナル・アニマルズ」@Netflix
  • 紳士は金髪がお好き」@prime video
  • 「疑惑」@prime video
  • 「ザ・ボーイ」@Netflix、prime videoと「エスター」@Netflix 
  • 否定と肯定」@prime video
  • 「しらなすぎた男」@prime video
  • 「ヘアスプレー」@prime video
  • 万引き家族」@prime video
  • 「ブラックレイン」@prime video
  • 「ブラッククランズマン」@prime video
  • 「目の見えない人は世界をどう見ているか」
  • 金田一37歳の事件簿」 1〜4巻
  • 「あげくのはてのカノン」
  • 「マッドジャーマンズ」
  • ヨガ
  • 麺お取り寄せ

 

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5月のたしなみ。(演劇・パフォーマンス配信編)

5月もほぼほぼ在宅勤務でした。4月以上に調子に乗って色んなコンテンツを摂取しまくったので、いくつかに分けて書いていきたいと思います。まずは演劇・パフォーマンス編!

  • 劇団チョコレートケーキ「遺産」
  • 劇団チョコレートケーキ「ドキュメンタリー」
  • 劇団チョコレートケーキ「治天ノ君」
  • 範宙遊泳「うまれてないからまだしねない」
  • 庭劇団ペニノ「笑顔の砦」
  • MONO「約三十の嘘
  • iaku「あたしら葉桜」
  • Wir spielen für Österreich
  • SCRAP「のぞきみZOOM」
  • 「迷宮クローゼット」
  • 東京03リモート単独公演「隔たってるね」
  • ハイバイ「ワレワレのモロモロ 東京編」
  •  劇団ノーミーツ「門外不出モラトリアム」
  • DAZZLE「Labyrinth 東京C」
  • リモート演劇の旗手たちに聞く
  • 余談。

 

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